コザの南北問題
平敷屋から疲れ切ってバスに乗り、さあ今度こそホテルで一休みするつもりだったが、また貧乏根性が湧いてきた。
1993年にコザ十字路で撮った写真と同じ場所で、現在の写真を撮ってみようと思いついたのだ。
コザ十字路は、コザの中心部から北東寄りにある交差点である。
その写真というのがこれ。コザ十字路の北西側から南東方向を撮ったものだ。
すでに1990年代になっており、沖縄の町もずいぶん変わっていたので、那覇やコザの市内ではあまり写真を撮っていなかった。そんななかで、写しておいた数少ない写真の1枚がこれなのだ。
さて、それと同じ場所の現在の姿が下の写真。
以前の味わいのある建物は姿を消し、どこにでもあるような郊外の風景になってしまった。
まあ、22年もたったからしかたがない。それしても、もっと当時の街並みを撮っておけばよかった。
コザ十字路のすぐ近くには「銀天街」というアーケードがある。沖縄市がコザ市だったころには賑わっていたという商店街であるが、残念ながら現在はシャッターの閉まったままの店が多い。
20年以上前だったか、商店街の活気を取り戻そうと。テレビ番組とタイアップしたことがあったっけ。
10年前に来たときは、その関係なのか、商店街の真ん中に和田アキ子の像がドーンと派手に建っていたのを見た。
はたして、現在はどうなっているのか。中を歩いてみるべきだったが、道路の反対側から見ると、営業している店が見えず、薄暗い。交差点まで戻って横断歩道を渡るまでの気力が湧いてこなかった。
ただ、周辺の商店の壁をペインティングしているところをみると、いろいろと試行錯誤しているのだろう。頑張ってほしいものである。無責任な旅人の感想にすぎないけど。
その代わりといってはなんだが、歩いて向かったのは銀天街とは反対側の丘にある越来城跡。越来は「ごえく」ではあるが、ウチナーグチの会話では一般的には「ぎーく」と発音するようである。民謡の「職業口説(くどぅち)」にも出てきたっけ。
越来城跡はこぢんまりとした公園になっていて、コザの市内(正しくは沖縄市内だけど……)を見渡すことができた。
那覇が大都会になったことは、モノレールの車内からもわかるが、コザもまた大きな都市であることを実感する。
さて、今度こそホテルに戻って……と思ったが、そこでその日の朝にホテルの旦那から聞いた話を思い出した。
「南のパークハウスの先に、大きなイオンのショッピングモールができたんよ。グランドオープンは25日からだけど、もう昨日(22日)からプレオープンしてるから行ってみたら?」
「へえー、プレオープンって、誰でも入れるの?」
「地元の人には招待状が届いたけどね。大丈夫、誰でも入れるよ」
そのときはさして興味もなかったが、ローカルニュースではどこもトップ扱いである。
まあ、ホテルから南へ1.5kmほど。国道に面していてバスでも行けるという。ものは試しと訪ねてみることにした。
招待状がなくても大丈夫かなと思ったが、そんなに人が集まるところで、沖縄の人がいちいち入口で招待券をチェックするわけがないと信じた。いや、けっしてけなしているんじゃなくて、ほめているんですよ。念のため。
行ってみると、それはそれは城砦のような大きな建物。
なかに入ると、プレオープンというのに、館内には多くの人が集まっていた
食事処、ファッションの店、そして大きな書店などなど。あんな立派で品揃えもよい書店は、東京でもそんなにあるものではない。
沖縄ならではの品もあって、地元の人も観光客も楽しめるようにできていた。
「中国人の観光客も見込んでいるらしいよ。那覇から観光バスで直行するっていうから」というホテルの旦那の話も本当らしい。
こんなものができたら、銀天街はひとたまりもないなあ、としみじみ感じてしまう。
腹が減ったのでなにか食べようと思ったが、食事処はどこも東京で聞いたことがあるような店ばかり。これじゃしょうがないと帰ろうと思って館内案内図をみたら、オリオンビールのビアホールを発見。
結局、この日の夕食は、ここですませることにした。
ところで、ショッピングモールは、沖縄市ではなく南隣の中城町に位置している。聞くところによると、ここは米軍のゴルフ場があったところだそうで、なるほどと思った。
そのゴルフ場の名前にちなんで、ライカムのイオンショッピングモールと呼ばれているらしい。
それにしても、このショッピングモールの文化的影響と経済効果は大変なものになるだろう。
そして、どこかの人が書いていたことの受け売りになるが、こうした施設の成功が続くことで、米軍基地がなくなっても沖縄は経済的に困ることはないと確信できたという。
沖縄の現状を知らない人は、いまだに「沖縄の人は基地がなくなったら、経済的にも困るだろう」などと言っているが、けっしてそうではないことが、すでに北谷でも証明されているし、ここでも証明されるだろう。
一抹の不安をもっていた沖縄の人もいただろうが、こうした成功が続くことで自信につながるに違いない。
だからどうしたと言われても困るが、普天間基地が返還されて、あの土地が再開発されたら、どんなことになるのかぜひ見てみたい気がする。
もっとも、普天間返還には辺野古の問題がからんでいるので、一筋縄ではいかないのだが……。
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