謝苅を歩いてみた
旅先で路線バスに乗って楽しいのは、その土地の特徴ある地名である。
沖縄では、その感動もまたひとしおだ。
那覇から20番のバスで初めて名護方面に向かったとき、とくに印象に残ったのは2つの地名である。
1つは、浦添市にある「勢理客」。
ワンマンバスの電光掲示板に「勢理客」と表示されて、「次はじっちゃく」というアナウンスが流れたときは、さすがに驚いた。だが、尊敬すべき半田一郎東京外国語大学名誉教授・琉球大学教授に琉球語の手ほどきを受けていたおかげで、次の瞬間に「なるほど」と納得した。
言語学の話になるので詳細は省くが、母音のなんとか化や子音のなんとか化などによって、
「せりきゃく」→「しりきゃく」→「しりちゃく」→「じっちゃく」と変化したのだろう。
まあ、「勢理客」自体が当て字だろうから、最初の読みが正確に「せりきゃく」だったかどうかは、わからないが。
ちなみに、別の場所では、同じ字で「せりきゃく」と読む地名もあった。
もう1つは、今回のぶらぶら散歩先である「謝苅」である。
女性の声で「次は、ジャーガル入口、ジャーガル入口」というアナウンスを聞いて、心がわくわくした覚えがある。
漢字を見ると「謝苅」である。「じゃがる」ではなくて「じゃーがる」というおっとりとした、多少の間延びのした音に魅せられて、いつかは入口ではない真正「謝苅」に行ってみようと思うようになったのである。
謝苅入口からコザ方面行きに乗り換えると、バスはヘアピンカーブの道を、丘の上に向かって進んでいく。
謝苅の町は、かなりの高度をかせいだところにあった。
さて、どういう町だったかといえば、たぶん私以外のほとんどの人間なら、なんの変哲もない町だったと答えるに違いない。
でも、私にとって、初めて行く町というのは、どんな町でも楽しいのである。
謝苅二区のバス停で降りると、歩道のない道を歩いていくしかない。しかも、国道58号線からコザに向かう道だから、交通量は多くてかなり危ない。
少し歩くと、公園があって展望台が設けられていた。
そこは、北谷の町が一望できる特等席だった。
列をつくって、くねくねと登ってくる車もよく見える。
真西に面しているから、夕焼けはさぞ美しいだろう。
この日は晴れたりくもったりだったから、あまり夕焼けは期待できなかったが、それでもあと1時間半ほどいれば、日没は見られたかもしれない。
しかし、日が沈んでから町歩きをしてもおもしろくなさそうだし、なによりも交通量の激しい道を歩くのは危険である。
再び坂を登ることにした。
あちこちで、道路から住宅地に入る分かれ道がある。
そんななかで、雰囲気のある道に入ってみた。
うっそうと茂った木々のあいだに、ぽつりぽつりの昔ながらの家があって、車がひしめく車道から見ると、ちょっと別世界である。
住宅地をしばらく進むと階段があって、車道に戻ることができた。
車道に戻ると、ぶらぶら散歩を楽しんでいた私の目に、大きな看板のイラストが飛び込んできた。
なんと、このくねくね道を整備して、カーブの少ない広い道路にしようということらしい。
はたして、そのときにこのひそやかな住宅地はどうなるのだろうか。
くねくね道がようやく平らになったあたりに「団地入口」というバス停があり、鳥居が目に入った。
奥には拝所(うがんじゅ<おがみしょ)があった。本土でいえば鎮守の森にある神社のようなところである。
そして、拝所の向かいの眺めのいい場所には、上の写真のような「平和之塔」なるものが立っていた。
そして、そのそばの碑には、さきの戦争においてこの町で亡くなった人の名前が記されていた。
見ると、1つの集落で何十人から何百人という人が死んでいる。
ここでもまた、いくら想像しても、したりないほど、すさまじい地上戦があったのだ。
坂をひたすら登った疲れもまじって、大きなため息をつくしかなかった。
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