« 辺土名で村営バスに乗り換え | トップページ | 奥は昔の奥だった »

2015-05-16

あこがれの楚洲、そして痛恨の見逃し

辺土名からの国頭村営バスは、奥線と東線の2路線がある。
奥線は、辺土名から西海岸に沿って北上し、北端の辺戸(へど)を経て奥まで行く路線。

22年前に来たときは民間の琉球バスの路線だったが、撤退して村営のマイクロバスに変わった。
琉球バスで来たときは、目的地の奥での折り返し時間が15分ほどしかなく、大急ぎで村を半周して戻るしかなかった。それを逃すと次のバスは3、4時間後だったから。

国頭村営バス

東線は、辺土名から山越えをして、東海岸にある安田(あだ)、楚洲(そす)の集落に立ち寄って、安波(あは)で折り返す路線だった。
こちらも安波で20分くらいの折り返し時間しかなかったが、同乗した小学校の先生のご厚意で、帰りは辺土名に向かう地元の人の車に乗せてもらい、1時間半ほど滞在することができた。

だが、安田と楚洲には降りている時間がない。安田は通過して車窓から見たのだが、私の乗ったバスは楚洲は通らなかった。そう、楚洲は、まだ見ぬあこがれの集落となっていたのである。

楚洲

ところが、沖縄に着いてから知ったのだが、幸運なことに今年の4月から路線と時刻が改正になっていた!
奥線のうち1便は奥から楚洲まで延長運転となり、東線の1便も楚洲から奥まで延長されていた。

しかも、うまく乗り換えると、楚洲に40分、奥に70分~90分滞在できることがわかったのだ。
地元の人の意見を聞いて利便性を上げたと書いてあったが、私のようなマニアックな人間にもありがたい改正である。

楚洲共同スーパー

というわけで、辺土名11時30分発の奥線楚洲行きで、まずは終点までいくことにした。所要時間はほぼ1時間である。
辺土名から奥までの間に、同乗していた数人のおじさん、おばさん方が1人、2人と降りていき、奥では日野市から来たご夫妻が下車。とうとう一人になった。
奥から楚洲までは、いよいよ初体験の路線である。

途中までは林のなかを走っていったかと思うと、ところどころで東海岸の荒々しい海岸線が見えてくる。
──全然、観光地化されていなくて、おもしろいなあ。
と左側の車窓に見とれていたそのとき、40歳ほどと思われる運転手が声を上げた。

「ほら、あれ。ヤンバルクイナ!」
「えっ、どこどこ?」
「今、道を横切っていったでしょ」
「……」

楚洲共同店

海に見とれていたのが間違いだった!
私は、走る車内から必死に周囲を見回したが、見つけられなかった。
バスは無情にも、そのまま走っていくだけだった。

見られるチャンスがまったくなければ、全然気にしなかったものを、紙一重で見る機会を逃したのは非常に悔しい。
──これは、野生のヤンバルクイナを見ずに死ぬことはできないぞ。
私はそう決心するのであった。

楚洲

11時31分、楚洲に到着。
目の前に海が開けた、小さな平地に30戸ばかりの家が並んでいる。
私以外の98%くらいの人にとっては、単なる沖縄の田舎の集落にしか見えないだろうが、私にとってはあこがれの地である。そこがなんの変哲もないところでも幸せだった。

例によって、まずはバス停前の共同店に突入。
意外に広々として明るい雰囲気である。60代後半と見えるおばさまがレジのところにいた。
「バスで来ました~。前からここに来たいと思っていたんですよ」
「今月から時刻が変わったからね」
と、和やかな会話を交わすことで、さりげなく不審者じゃないことを印象づける私。

空腹なのでパンを買いたかったが、まだ配送のトラックが来ていないようでパンがない。
しかたがないので、飲み物と甘い菓子を買って、店の前の小さな広場で食べることにした。

楚洲

店内の写真を撮らせてもらったのだが、そこで見つけたのが「やんばるくいな」なる泡盛。この記事の上から4枚目の写真である。
実物を見られなかった悔しさをまぎらわせるために、この泡盛の写真を撮る私であった。
「それは空港で買うと2倍近くするわよ、おほほほ、いかが?」

うーん、ちょっと食指が動いたが、このあとずっとこの瓶を抱えて移動するのも面倒なので、残念ながらあきらめた。

楚洲

折り返しの時間まで約40分。
小さな小さな集落なので、それだけあれば4周も5周もできる。あまった時間は、小さな広場でぼんやり過ごすことにした。

それにしても、車を使っても奥までは15分、南隣の安波までは20分。自動車が普及するまでは、さぞかし移動も大変だったに違いない。船が頼りの生活だったのだろうか。
正面の海を見ながら、昔の楚洲の暮らしを想像してみるのであった。

« 辺土名で村営バスに乗り換え | トップページ | 奥は昔の奥だった »

沖縄ぶらぶら歩き」カテゴリの記事

コメント

untipogiappneseさん、似たようなところをウロウロしているようですね(笑)
といっても、与那覇岳には登ったことはありませんが。
まだ、ヤンパルクイナのリベンジはなっていません。

古い記事にコメントしてすみません。
2週間ほど前、やんばるをウロウロしました。ので、興味深く読ませてもらっています。
沖縄本島の最高峰(と言っても400m台ですが)の与那覇岳の頂上付近で、
眼の前の登山道を走って横切った鳥を一瞬ですが、目にしました。多分、あれが・・・
と思っているんですが、確証はありません。

ikeさん、こんにちは。
昔の沖縄の共同売店というと、薄暗~い感じがして、それはそれでよかったのですが、今回はどこもずいぶん明るくなって写真映りもよくなったようです。

バスは、道もすいているし路線も短く、客も少ないので、まず遅れることはありません。
まあ、イタリアならそれでも遅れてきますが……。

でもあせったのは、コザから与勝諸島に行く通常の路線バスと、やはりコザから名護に行く高速バス。どちらも那覇始発で、那覇市内が通勤時間帯なので、30分ほど遅れてやってきました。
接続時間をたっぷりとっておいたので、かろうじて乗り換えられました。

毎回登場するスーパーや売店の佇まいがいい感じです。いつもおもしろくて、写真の隅々まで観察してしまいます。

それにしても、凄い旅程ですね。バスが40分遅れてしまったら・・・、と思ってしまいました。

悔しい~~。ヤンパルクイナを求めて、次回は国頭村の民宿に泊まることになりそうです。

旅行の行程は、ごくごく簡単に手帳に書き留めています。
場所と到着・出発時間に加えて、なにか大きな出来事があったらそれも。
写真もメモ代わりになりますし。それを見ていると、いろいろと思い出すものです。

「奥」の集落は何となく覚えていますが
「楚洲」は全くはじめてききます。
念のため、Googleで場所を確認しましたが、
やはり踏み入れていない地でした。
ヤンバルクイナには挨拶をすませています。

駄菓子さんの超マニアックで
ONタイムのような旅記に
どうやって記録しているんだろう?・・と
(野暮なことを すみません)

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 辺土名で村営バスに乗り換え | トップページ | 奥は昔の奥だった »

著書

  • 社会人に絶対必要な語彙力が身につく本[ペンネーム](だいわ文庫)
  • 『ようこそシベリア鉄道へ』(天夢人)
  • 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)
無料ブログはココログ

.