« あこがれの楚洲、そして痛恨の見逃し | トップページ | 今帰仁の仲宗根をぶらぶらした理由 »

2015-05-19

奥は昔の奥だった

楚洲から13時17分発の村営バスに乗ったのは私一人。
来た道を奥まで引き返した。もちろん、ヤンバルクイナが飛び出してこないかと、まばたきもしないで、目を皿のようにして見ていたが、残念ながら現れなかった。

奥のバス停

さて、奥の集落は、まさに沖縄本島の北の奥にある。
沖縄に住んでいる人でも、奥と聞くと、やんぱるの最果ての地という印象らしい。
といっても、そこそこ大きな町であり、宿も2、3軒あるようだ。また、ここはお茶がとれることでも知られている。

奥の集落

前にも書いたように、22年前に奥に来たときは、バスの折り返しのわずか15分ほどを利用して、集落のほんの表面をなでただけのような滞在だった。
「またこのバスで帰るからね」と運転手に念を押して、走って一周して写真を撮ったのである。

今回は、東線経由の次のバスまで1時間15分。その次の奥線なら1時間45分の余裕があった。
私は、集落が見渡せる丘に上り、路地という路地をくまなく歩き、奥の空気を堪能することができた。

赤瓦のお宅

前回の短い訪問では、伝統的な平屋の家が多く、赤瓦もずいぶん残っていると記憶している。

で、今回の印象はどうだったかというと、22年のギャップを感じさせることなく、奥は昔の奥だった。
那覇の変化とは無縁……まったく無縁ではないだろうが、昔の印象そのままといってもよいくらいである。

奥の集落

ぶらぶらと歩いていると、どこかの家の前から話し声が聞こえた。
「おばあちゃんがいらっしゃったら、話をお聞きしたいんですけど」
どうやら、那覇からテレビ局のクルーが来ていて、取材の下交渉をしているようである。

奥の集落

沖縄の人にとっても、ここは貴重な存在なんだろうなあ……なんて思いながら歩いていると、目の前を軽トラックが走って行った。荷台のワンちゃんと目が合う。
とっさにカメラを構えて撮ったのがこの写真である。

この直後には、白く長いあごひげをたくわえたおじいさんが、トラクターにのって前を横切って行ったが、タッチの差で撮影のチャンスを逃してしまった。横顔は撮ったんだけど。

奥の集落

この集落では見事なシーサーをいくつか目にした。
黄色と赤の鮮やかなシーサー、こんなのを屋根に乗せて大丈夫かと心配するほど大きなシーサーなどなど。
そして、家の入口に鎮座していたのがこのシーサー。確かに魔よけの役割ならば、このほうがいいかもしれない。
それにしても、なんだかスマトラかボルネオの村のようにも見える。

奥の共同売店

そして最後には、例によって共同売店に突入。
さんぴん茶とクリームパンを買って、「前に来たときは、バスの折り返しの時間が短かったんだけど、今回はゆっくりできました」と、やはり不審者ではないことを強調。まあ、楚洲と違って奥ならば、旅行者には慣れているには違いないが。
「ああ、琉球バスの時代よね~」と、おそらく私より少し年下ではないかと思われるおねえさんは、にこやかに応対してくれた。

奥から辺土名への帰り道は、行きに使った西海岸経由の奥線ではなく、楚洲、安田、安波の東海岸を経由して、山越えをする東線を利用。この便の客は、最初から最後まで私一人。あとは、安田で荷物を運転手に託した人がいただけだった。

幸運にも、その便は、日に1回だけ、やんばるの森という研修・宿泊施設を経由するものだった。これも今回のダイヤ改正でできたコースで、途中は森また森の中を通り、カーブとアップダウンの連続。なかでも、山中にある安波ダムの堰堤の上を通っていくのには感激した。

もちろん、ヤンバルクイナがいつ出現してもいいように、目をしっかり開けていたが、視野に入ってくるのは深い森と、「ヤンバルクイナの飛び出し注意」「リュウキュウオカガメに注意」という看板だけだった。

「いやあ、楽しみました」
「なんにもないでしょう」
「そこがよかった!」
辺土名の終点で、私は興奮収まらぬ状態で運転手さんに運賃の650円を手渡したのであった。

あとは名護まで路線バスで1時間。結局、この日は都合5時間以上バスに乗ったことになる。

« あこがれの楚洲、そして痛恨の見逃し | トップページ | 今帰仁の仲宗根をぶらぶらした理由 »

沖縄あちらこちら」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« あこがれの楚洲、そして痛恨の見逃し | トップページ | 今帰仁の仲宗根をぶらぶらした理由 »

フォト
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想

広告