神様の住居跡と墓がある:浜比嘉島
宮城島からまたバスに乗り、平安座島を経由して浜比嘉島へ。
バスは上り下りとも、本島-平安座島-宮城島-伊計島というメインルートからいったん外れ、浜比嘉大橋を渡って浜比嘉島に立ち寄る。
浜比嘉島には、海沿いに浜、比嘉、兼久(かねく)という3つの集落がある。
平日7往復のうち5往復は、島の北西部の浜、北東部の比嘉の2つの集落だけに寄って平安座島に戻るのだが、2往復だけは島の南にある兼久まで行く。
そして、私が宮城島の新里商店前で13時8分に乗ったバスは、まさにその兼久まで行く便であった。
せっかくなら端まで行こうという軽い気持ちで、兼久まで乗っていくことにした。
次に上りのバスがやってくる2時間以内に、比嘉か浜に戻らなくてはならないが、遠いほうの浜までも距離は3km程度だから楽勝である。
ちなみに、私が乗ったときの乗客はゼロ。途中で年配の男性が2人乗り込んできた。
兼久で私がバスを降りると、50代と見える善良そうな運転手さんが心配そうに「帰りは……」と言うので、「歩いていくから大丈夫」と答えた。
すると、安心したように、「シルミチューはこっちをまっすぐ」と教えてくれた。
ここで白状しなくてはいけないのだが、偉そうにこの記事のタイトルに「神様うんぬん」と書いたものの、ここに着くまでシルミチューが何かも知らなかった。
運転手にしてみれば、「バスを使ってまでシルミチューを見に来るとは、なんと熱心な観光客なのだろう」と思ったに違いない。
この浜比嘉島は、琉球開祖の神とされる女神アマミキヨ(アマミチュー)と男神シルミキヨ(シルミチュー)が住んでいた島という伝説があるのだそうだ。本土でいえば、イザナギ・イザナミにあたる。
アマミキヨが琉球開祖の偉い神さまというところまでは知っていたが、不覚にもシルミキヨは知らなかった。
ここまで来たのも何かの縁かと思って、林のなかを歩いてくと階段があった。
そこを登ると、いかにもおどろおどろしい場所が……。これが二神の住んでいたという霊場シルミチューだ。
トップの2枚の写真がそれである。
本格的に礼拝をする人は、鍵を借りて柵の奥にある場所に行くようになっている。
シルミチューへは無料で行けるのだが、これとは別に、シルミチューのある山上の展望台に、有料で登れるようになっていた。
管理人である地主さんの家は休憩所となっていて、奥からおばさんが出てきた。
「300円いただきます。これは飲み物代が入っているから帰りに寄って飲んでいってね」とのこと。
きれいに手入れされた庭を横切り、急な斜面の岩場を最後は鎖を頼りに頂上に登った。
そこからの眺めが3枚目の写真である。
展望台からの帰りに、休憩所でマンゴージュースを飲んだのち、併設されていた土産物の部屋を覗いてみた。
すると、そこには水晶をはじめとした鉱物の数々が。
見事な結晶もあって、「これは珍しいよ」とおばさんに言われるのだが、見ている分にはいいものの、個人的にこうしたものにはあまり購入意欲が湧かない。
「パワーストーンのアクセサリーもありますよ」と勧められたのだが、丁重に辞して店を出た。
兼久で意外と時間をとったので、あとは早足で比嘉、浜の両集落へ。
この写真は、比嘉集落の付近から平安座島を見たところである。
左に見えるのが浜比嘉大橋だ。
平安座島の上や右あたりをよく見ると、大きなタンクのようなものが見えるだろう。
これが、備蓄用の石油タンクである。
「最初は賛成の人も反対の人もいたけどね。最後は金を積まれて賛成ということになったわけ」
翌朝、私が与勝諸島に行ってきたというと、コザのウエスタンホテルの主人は、こう説明してくれた。
地図で見ると、島の4分の3近くが石油基地となっているのがわかる。
おそらく、海中道路はその見返りなのだろう。
「オレが高校生のころは、まだ橋がなくてさー。そのころ平安座島で大きな火事があって、みんなで見に行こうということになったんよ。でも、その日は船が終わっていてさ、次の日に船で行ってみたら、もう火事は消えていたわけ」
40代と見えるウエスタンホテルの主人は、当時をこう述懐した。
ところで、比嘉集落近くの海岸には岩場があって、そこにアマミキヨとシルミキヨの墓がある。
でも、この二人……というか二神というか二柱は神様である。
ということは、そこには神様の遺体や遺骨が納められているのか?
そもそも、神様に墓があるものなのか?
不思議でならないが、そこがまた興味深い。
浜比嘉島にはリゾートホテルが1軒あるが、全体にのんびりとした雰囲気である。
かつては農業が盛んだったということだが、現在は漁業と水産加工業がメインの産業である。
とくに、もずくの生産はかなりの量にのぼるようだ。
浜の漁港の前には、こんな店もあった。
もずく直売店だから「もずく家」というストレートなネーミングが心地よい。
こうして、伊計島、宮城島、浜比嘉島の3島を濃密にめぐり、かなり満腹になって、しかも疲れたので、平安座島には立ち寄らずに帰ることにした。
奥のほうの島を先に行っておけば、次回は手前の島に行くだけでいいので楽だという理屈である。
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