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2015年2月の3件の記事

2015-02-18

長良川鉄道 美濃市駅

先週末は、岐阜県の美濃市へ。
名古屋からは、高速バスなら乗り換えなしだが、高山本線の特急「ひだ」に乗って美濃太田乗り換え、長良川鉄道を利用すれば、接続のいい便を選ぶと高速バスよりもかなり速い。

美濃市訪問は以前にも書いたことがあるが、今回も小坂酒造の蔵開き訪問をメインにした旅である。

美濃市駅のホーム

美濃市の様子を紹介する前に、欠かせないのが長良川鉄道の美濃市駅である。
長良川鉄道は、かつて国鉄の越美南線(えつみなんせん)だったが、赤字ローカル線廃止の対象となってしまい、第三セクターの鉄道として再出発した。

美濃市駅のホーム

越美というのは、越前と美濃を結ぶ路線という意味。
だが、岐阜側にある越美南線と、福井側にある越美北線はついにつながることはなく終わってしまった。
昔は、越美北線の終点である九頭竜湖と越美南線の終点である北濃を結ぶバスが通っていたが、いつのまにか廃止になってしまったようだ。

昔ながらの美濃市駅出札口と改札口

私は、1982年に福井駅から越美北線、バス、越美南線と乗り継いで、ここ美濃市駅で降りた……はずなのだが、記憶がかなりあやふやである。
なにしろ、例によって夜行続きの強行軍の旅だったもので、半分寝ている状態だったに違いない。

美濃市駅前

今の長良川鉄道は、もちろん車両も国鉄時代とはことなり、駅もずいぶん改良されている。
だが、ここ美濃市駅は昔のまま……だと思う。あまり記憶にないのだが。

木造のホームの出入口、改札口に続く通路、昔ながらの駅舎などなど、今ではどれも珍しい存在だ。
しかも、有人駅である。きちんと手入れされているところがよい。
そして、駅員さん(当然駅長さんだろうが)が出札口で発行してくれる切符は硬券だった!

名鉄美濃駅跡


美濃市といえば、1999年までは名鉄美濃町線が通じていた。
長良川鉄道の美濃市駅から、名鉄の美濃駅までは歩いて5分ほど。
1982年の旅では、ここで乗り換えたことになっている。
確かに、名鉄の駅舎はクラシックでいい雰囲気だったのは、かすかに記憶にあるが、あとは駅に停まっていた電車の写真を1枚撮っただけなのが残念である。

名鉄美濃駅跡


でも、廃止後もうれしいことに、駅舎が保存され、駅の跡には車両もきれいに保存されている。
左端の電車(旧・札幌市電→名鉄美濃町線)は、正面部分だけのカットなのだが、連接車のために車体が長すぎてホーム跡には収まらなかったのかもしれない。

2015-02-12

見事な蔵造りの町並み: 宮城県村田町

2月2日の月曜日に、岩手県北上市で仕事があったので、せっかくだからと前日の日曜日から東北入りをすることにした。
同行の人たちは東京から日帰りなのだが、それじゃもったいない。
しかも、2日まではJR東日本の「大人の休日倶楽部パス」の有効期間に入っている。
交通費も安くなるわけで、仕事を依頼してくれた人にも偉そうにできるというわけだ。

宿泊地として決めたのは仙台。どうせ乗り放題の切符なのだから、青森か盛岡まで行きたかったのだが、翌日に雪で鉄道がストップしたら目もあてられない。というわけで、北上より東京側にある仙台に決めた。

村田町の蔵造りの町並み

せっかく1日まるまる空いているのだから、仙台市内から少し足を伸ばしてみようと思って選んだのが、20kmほど南東にある宮城県柴田郡の村田町。
蔵造りの町並みがあるというので、仙台駅前から約1時間おきに出ている高速バスに乗った。

バスは東北自動車道経由で約30分ほど。村田町役場のバス停で下車すると、広い県道に並行して、1本入ったところに蔵の町並みがあった。
村田町の蔵造りの町並み「田島屋酒店」

まったく知らなかったのだが、この町並みは、昨年秋に宮城県初の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されたのだそうだ。だが、真冬のためなのか、日曜日なのに観光客の姿は見えない。
日陰の凍りついた道を慎重に歩きながら、なまこ壁を配した見事な蔵づくりの商家の数々を写真に収めた。
トップの写真は、乾坤一(けんこんいち)で知られている(らしい)、造り酒屋「田島屋酒店」の建物である。

東北地方には、現在の東北本線にほぼ並行する奥州街道と、奥羽本線にほぼ並行する羽州街道という2本の大きな街道があるのだが、この村田町はその2本を結ぶ街道沿いに発達し、交通の要衝として栄えたのである。完全な受け売りだけど。

村田町の蔵造りの町並み

ところが、明治以降の村田町は鉄道の線路から外れてしまったために、よくも悪くも昔の姿を残したまま、いままで残ったというわけである。

でも、あと20年くらい前に来ていれば、さらに町並みも見事だったんだろうなあ。
今では、あちこちに櫛の歯が抜けたように更地が残っているのが痛々しい。
商店街だったようなのだが、ほとんど歩いている人を見かけなかったのも寂しいところである。
とはいえ、蔵造り以外の商店にも、町歩き好きの人間には興味深い建物が並んでいて楽しかった。

村田町


中心部のメインストリートは1km弱なのだが、そのうち蔵づくりが集中しているのは500mほどか。
私が勝手に名付けた、この「村田シャンゼリゼ」を1往復半ほどぶらぶらして、町並みめぐりは終えることにした。

近所に有名なお寺もあるらしいのだが、風が冷たくて体がすっかり冷えてしまった。
しかも、歩道がない道の端は凍結しているうえに、車が次々にやってくるのだから、のんきに写真なんぞを撮っているつもりでも、ときに身の危険を感じる。

村田町


本来だと、町並みを探訪するときは、必ず喫茶店か食堂か資料館に入って、地元でカネを使うことを旨としているのだが、開いている店もほとんどなく、次の帰りのバスの時刻が迫っていたので、申し訳ないけれど、写真だけ撮って仙台に戻ることにした。
その代わりといってはなんだが、こうしてブログで取り上げて、多少なりとも宣伝をしたつもりでいる。

ところで、町への交通は、仙台からの高速バスのほか、東北本線大河原駅と結ぶバスの便もある。
本当はこれに乗って帰りたかったのだが、日曜日は本数が少ないので断念した。

2015-02-11

トークショー御礼

2月8日、秋葉原の書泉ブックタワーにて、『鉄道黄金時代 1970's』のトークショー(トークイベント)をやってきました。
小雨降るなか、約40人の方に来ていただきました。
私のホームページ、ブログを読んでいらっしゃった方もあり、感謝いたします。
恥ずかしながら、そのときの写真も掲載。ただし、小さく。

トークショー

東京の古い町、イタリアの小さな町(2人)はやったことがあるのですが、鉄道関係ははじめて。
みなさんが、あまりにも真剣に聞いてくれるので、最初のうちはかえって緊張してしまいました。

当日は、たくさんの写真を見せようとするあまり、いろいろと用意したエピソードを明かすのを忘れていました。
急行八甲田や十和田に乗ると、盛岡を過ぎたあたりで青函連絡船の乗船名簿が配られたとかなんとか。
もっとも、予期せぬところで笑いが出たりして、いろいろと勉強になりました。

最後に、偉そうにサイン会まで。

トークショーサイン会

当日は、編集者、営業担当がいる前で、続編を期待する声が多く出たのは有意義でした。

そうそう、会場には、本にも登場する中学鉄道研究会の1年先輩(高崎第一機関区に連れていってくれた人)が来てくれました。卒業以来、なんと40年ぶり!
昔のことがいろいろと思い出されて、しみじみとしたひとときでもありました。

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著書

  • 社会人に絶対必要な語彙力が身につく本[ペンネーム](だいわ文庫)
  • 『ようこそシベリア鉄道へ』(天夢人)
  • 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)
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