向島ぶらぶら歩き
先日は、浅草から隅田川を渡り、向島百花園から東向島あたりをぶらぶらしてきた。
東武線と隅田川にはさまれた地域である。
父母のどちらの実家にも近いのだが、バスで通過したことはあっても、30歳を過ぎるまでめったに降りたことはなかった。
この写真は、水戸街道の東向島三丁目交差点にある料理屋の魚大。
もとは魚屋だったそうで、おいしい魚が食べられると店のホームページに書いてあった。
店ができて70年というから、戦争直後に開業したのだろうか。このあたりは、空襲で焼け野原になったはずである。
水戸街道を500mほど南下すると、小さな東向島一丁目交差点から東側に、墨堤通りまで「鳩の町商店街」が続く。かつて、遊里として知られていた一帯である。この付近は、東京大空襲で焼け残ったため、狭い道の両側に戦前からの古い家屋が今でも残っている。
同じ墨田区でも、玉ノ井のいろは通り、京島の橘銀座通り(現・キラキラ橘)では、ほとんどの家が建て替えられてしまっているのに対して、この商店街の東側には、まだこうした古い家が何軒も残っている。
この店は米屋。なかには、古い家屋をそのまま生かして、喫茶店にしているところもあった。
鳩の町商店街をさらに東に進んだところにある酒屋(右奥)雨宮商店。
右手前の店(赤松商店)は化粧品店だったのか雑貨店だったのか。看板の「ラモナー化粧品」が興味をそそる。
ネットで調べてみると、大正4年に創業した石田香粧株式会社の商標で、同社は今でも下谷に本社を置き、戸田と蕨の工場で化粧品を製造して、OEMを中心とした事業を展開しているそうだ。
このあたりの道は、複雑怪奇に交わったり、離れたりで、実に簡単に道に迷う快感にひたれる。
そんななかで、鳩の町商店街から100mほど南、小さな四つ辻にひっそりとたたずんでいたのがこの質屋。
やっぱり、質屋は目立たないところに建っているのが本来の姿かなと思うのである。
そして、古い板壁の家の前に置かれていたのがこれ。
この写真を見て何であるかがわかるのは、少なくとも東京生まれの人間では、50代以上だろう。
かつては、どの家の前にも、こんなごみ箱が置かれていたものだった。
週に2、3回しかごみを出せなくなる前の話である。
もっとも、ごみ出しの日時を限定したことで、今のような清潔な町になったのだと思えば、面倒もいたしかたない。
このごみ箱は、鉢植えの台として第二の(?)人生を送っていた。
ぶらぶら歩いているうちに、日が傾いてきた。
夕日に照らされる木造の家、わけがわからないほどに込み入った道、雑然として統一のとれていない家並み、軒先の鉢植え……戦後の高度成長期に育った者にとって、まさにこれが東京下町の原風景である。
まあ、向島が下町かどうかについては議論があるかもしれないが、今や柴又や都電荒川線沿線を下町と呼んでいるのだから、向島を下町といっても問題はないだろう。
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