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2013-12-24

三陸縦断の旅7: 釜石市内

1日目は釜石市内中心部にある「サンルート釜石」に宿泊。
このホテルも復興事業関係者の宿泊が多いようで、夜遅くになっても作業着を着た男性たちが飛び込みでチェックインをしていたのを見た。

この写真は、私の泊まった最上階から駅の方面を見たところ。
道路の行く手に遠く見える緑色の屋根が、新日鐵釜石製鉄所。その左に見える赤錆色の鉄橋は、不通となっている三陸鉄道南リアス線のものである。

釜石市内

この写真を見る限り、津波の爪跡はうかがえないが、町中を歩くとあちこちにその痕跡が残されていた。
市街地の南東側にある港は、この写真の左手前側にあたる。そちらに近いほど被害が大きかったわけだ。
ホテルは通りのすぐ北側にあるのだが、フロントの男性の話によると、そこでも2mほどの津波が襲ってきたという。
「ほら、外側の壁に少し跡が残っているんですよ」
と指さしてくれた先には、泥のような黒い線状のものがこびりついていた。

甲子(かっし)川

ホテルに荷物を置いて、食後の散歩は駅方面へ。甲子(かっし)川を渡る大渡橋からは、すがすがしい景色を目にすることができた。河口のすぐそばにあるこのあたりでは、津波で川の生態が大きく変わったそうだが、今では川を遡上する鮎も戻ってきたという。

釜石駅前

そして、ホテルのある中心部から約10分で釜石駅へ。
本来は、釜石線、山田線、三陸鉄道南リアス線のジャンクションなのだが、現在は1日に10本あまりの釜石線の列車が発着するのみ。山田線と南リアス線は岩手県交通バスへの振替輸送となっている。

じつは、この駅を訪れるのは27年ぶりである。
前回は、例によってあわただしい貧乏旅行だったので、駅周辺を歩いただけに終わってしまって記憶があまり残っていないのだが、駅前の写真を1枚撮っていた。

1986年釜石駅前

それがこの写真である。
バックの山並みは変わらないが、駅舎も駅前広場もすっかり変わってしまった。
ずいぶんきれいになって、駅の奥にあるビルにはユニクロまで入居している。
ただ、駅前の賑わいは昔のほうがあったように記憶している。

駅からは大通りの港側を歩いて戻ることにした。
大通りから50m海側に入っただけで、津波の爪跡は大きく残っていた。更地が広がっているだけでなく、おそらく2年半まえからそのままであろうこんな建物も残っていた。

釜石市内


もちろん、津波の被害が甚大であることは頭ではわかっていたが、こうしてところどころではあるが三陸海岸を自分の目で見ていくと、津波の被害はとんでもない広さに及んでいることが改めて実感させられる。

ちなみに、この写真のあたりは、もとはバーやスナックが建ち並ぶ飲食店街だったという。今では、ほんのごく一部の建物が残り、そこでわずかに営業が行われていた。

では、旅の2日目、釜石から列車とバスを乗り継いで、八戸まで7時間以上をかけての移動のはじまりである。

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著書

  • 社会人に絶対必要な語彙力が身につく本[ペンネーム](だいわ文庫)
  • 『ようこそシベリア鉄道へ』(天夢人)
  • 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)
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