三陸縦断の旅9: 宮古~小本 北リアス線の車窓
三陸鉄道北リアス線の宮古駅は、JR宮古駅に隣り合って建っている。
もちろん、JR宮古線だった当時は同じ駅から発着していたのだが、第三セクター化されたことで駅舎も別になったわけだ。線路は駅構内でつながっている。
駅舎の中は、まるでおもちゃ箱のようにいろいろなものが置かれていた。
社員の女性が一人忙しそうに接客しているのだが、これは駅舎内で売っているパンやお土産の販売のため。切符は自動販売機で買うことになっている。
昼飯を食べる時間もなく移動してきたため、ここで菓子パンとお茶を買って乗り込んだ。
じつは、切符を買う段になって気がついたのだが、大人の休日倶楽部切符は三陸鉄道も自由に乗れるのであった。それを知らずに、南リアス線では盛~吉浜の切符を購入していた。
損した! と一瞬思ったが、すぐ思いなおした。
「そうか、だからあのときの運転士さんは、わざわざ乗車証明書なんてくれたのかも」
そして、不通区間の開通に向けて奮闘している三陸鉄道に少しでも寄与できたと考えれば安いものである。
もっとも、だからといって北リアス線の切符も別途購入したかというと、そこまで太っ腹ではない残念な私であった。
宮古を発車してトンネルを抜けるとすぐに山口団地駅。このあたりまでは市街地なのだが、まもなく車窓は人家もまれな林に入る。
上の写真は、一の渡(いちのわたり)駅。駅のそばに家が一軒あるのは見えたが、周囲はそれだけという秘境駅っぽい駅である。思わず降りたくなる衝動にかられたが、それでは八戸に着くのが真夜中になってしまうので自重。
運転席の真後ろに立って外を眺めるのも楽しいが、最後尾(といっても1両だけの列車)の窓から外を眺めるのもおもしろい。ワンマン列車だから車掌が不在で気兼ねがいらない。
そうして何枚か車窓の写真を撮った。上の写真は、たぶん田老(田老)~摂待(せったい)間だと思う。田老~普代は1984年に三陸鉄道となってからの開通区間なので、レールも線路敷もこんな感じでしっかりしている。
あの3月11日、大津波のニュースを聞いたとき、すぐに私が思ったのは、「あの万里の長城と呼ばれた田老の防潮堤は役に立ったのか?」ということだった。以前の田老町長が、周囲の非難や嘲笑にもめげず、定期的に襲われる津波から町民を守るために、かなりの予算を使って立派な堤防をつくったというエピソードは有名である。
だが、残念なことに防潮堤を越えるほどの、想定をはるかに越える津波がやってきた。
それでも、津波が町内を襲う時間稼ぎにはなったかもしれないという意見がある一方で、防潮堤があることで安心してしまって逃げ遅れた人が増えたという証言もあるとのこと。
かくのごとくに災害対策というのは難しいものである。ハードの整備はもちろん必要であるが、それだけではどうにもならないことがわかる。
などと思いを巡らしているうちに、列車は13時53分に小本着。ここから先、田野畑まではまだ不通なので列車はここまで。この区間は岩手県北バスの振替輸送になっている。
小本駅のホームから先を見やると、トンネルの手前に車両が停まっているのが見えた。
バスは小本駅前の広場から発車。この日、3回目の乗り換えである。
田野畑に向かうのは奥に停まっている大型バス。手前の中型バスは、龍泉洞や岩泉駅に向かう岩泉町民バスである。
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