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2013-12-18

三陸縦断の旅5: BRTの車窓から 陸前高田~大船渡

結局、陸前高田には13時ごろから2時間ほど滞在した。
市街地のあったところには、今はほとんど人が住んでいないので交通機関が入らない。
市役所の仮庁舎のあるバス停まで、重い荷物を背負い、上り坂を20分ほどをかけてひいはあ言いながら戻ってきた。まさか、BRTの小さなプレハブのバス待合室に、コインロッカーがあるなどとは思いもよらなかった。

大船渡線BRT

この写真は、市役所前のバス停。BRTだけではなくて、岩手県交通などの停留所もここにある。
気仙沼に戻るBRTの後方に、小山を崩して宅地を造成しているのがちらりと見える。
東京に住む陸前高田出身の人にあとで聞いたところによれば、震災前の丘上の土地は値段がつかないほどだったのに、震災後にはずいぶん値上がりしたとのことである。

大船渡線BRT

気仙沼から一般道を走ってきたBRTは、脇の沢~小友でいよいよ専用道に入る。大船渡線の線路敷をアスファルトで舗装した道路である。
JR東日本は一時的な措置のように言っているが、線路がアスファルトに埋められたことによって、鉄道による復旧の可能性が薄れるとして、地元の人たちの心中は複雑なものがあるそうだ。

大船渡線BRT小友駅

これが小友駅。BRT化することで、専用道上にある駅はすべて新しくきれいになった。
バスのボディと合わせて、赤がイメージカラーになっているのだろう。なかなかしゃれている。

大船渡線BRT小友駅

この写真はバスの後部座席から撮影した小友駅。雰囲気は鉄道のままだ。
単線の線路敷では大型バスはすれ違うことができず、駅ですれ違えるようになっていることがわかる。
また、駅間でもすれ違いの場所があちこちにあって、それぞれの場所には信号も取り付けられている。
そんな場所で、バスは当然左側に行き、律儀に一旦停止をする。ちなみに、BRTのダイヤは1時間に1~2本程度である。

大船渡線BRT細浦駅付近

これもバスの車窓越しに撮った細浦駅付近の様子。
湾が細く切れ込んでおり、細浦という地名の由来が一目瞭然である。
また、この写真でもわかるように、水に面したところはすべて津波の爪跡が残っており、至る所で重機が忙しそうに働いている。
こうした復興工事のため、現場には全国から数多くの人がやってきており、沿岸の宿は常に満員の盛況のようだ。おかげで、大船渡市内か陸前高田市内で宿をとろうと思ったがどこも満員。ようやく釜石市内のホテルで空室を見つけることができた。

大船渡線BRT大船渡駅付近


大船渡市内に入ると、道路の両側が冠水している場所が目につくようになってきた。
地盤沈下してそのまま海水が残ってしまったのだろう。そんなニュースを見たことがある。

大船渡線BRT大船渡駅付近


バスは大船渡の中心部に入る。これが復興なった大船渡の魚市場。
前述のように、この日は釜石まで行かねばならず、残念ながら新鮮な魚介類も、大船渡名物になったサンマラーメンも食べることができなかった。

バスはまもなく終点の盛に到着。すでに時刻は午後4時に近く、もう空は薄暗くなってきたが、釜石までまだ先は長い。

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著書

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  • 『ようこそシベリア鉄道へ』(天夢人)
  • 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
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