三陸縦断の旅4: 陸前高田市街地の20年前と今
陸前高田の市街地があったところにやってくると、そこは見渡す限りの更地であった。
20年前の1993年にやってきたときは、ここに都市があって家々がぎっしりと並んでいたのである。
それが、大津波で跡形もなく消えてしまっていた。訪問当日はちょうど震災から1000日目。さすがに瓦礫は片づけられていたが、復興工事はまだまだ進んでいなかった。
知ってはいたけれども、その変化を目の当たりにして胸がいっそう重苦しくなってきた。
前回、市内で撮影した写真は十数枚。デジタル時代の今だったらもっと撮っていたのだろうが、当時は旅行かばんに入れるフィルムの数にも限界があったから、そうそう闇雲に写真を撮ることはできなかったのである。
まずは、大船渡線 陸前高田駅駅前通りの20年前と今。
アーケードのある商店街が姿を消して、正面の山がやけに近くに見える。
道路に描かれた白線が昔のままであるのが、かえって痛々しく感じる。
次の写真は、市街地の北部にあった荒町商店街の20年前と今。
このあたりには、古い家並みが続いていた。もしかすると、震災の前までにすでに建て替えられていた建物も多かったかもしれないが、残念ながら調べる術がない。ご存じの方がいらっしゃればコメントしていただければ幸いである。
これを含めた十数組の対比写真については、来年初めにもiPhone/iPad用無料アプリ「TimeTours」に収録の予定である。アプリだけでなく、写真ライブラリも無料で公開の予定なので、しばしお待ちを。
この写真は、トップの写真にある駅前通りを直進し、突き当たりの丁字路にあった「市神社」の跡。市神社は、陸前高田の人びとに親しまれた神社、というより祠であった。
この大きな石はその御神体だったのだろうか、流されずにぽつんと残っていた。その石の上には縄が張られ、神社や神棚で見られる紙垂(しで)が下げられている。
そして、更地となった土地のあちこちに、こうした花が供えられていた。
道路にはどこからどこに行くのか、1分に1台くらいの割合で自家用車が通っていった。そして、そんな車に交じって、復興工事のためのトラックが轟音をあげて通り過ぎるのだった。
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