追悼 やなせたかし『手のうちを満貫に』
マンガ家のやなせたかしさんが亡くなった。
高知県出身とばかり思っていたので、生まれがわが家のすぐ近くである北区西が原だと知って意外な感じがした(ちなみに、西が原には現在、ドナルド・キーン氏が住んでいる)。
しかも、『アンパンマン』を出版しているフレーベル館が、わが家から徒歩30秒ほどのところにあるので、さらに親しみがわいてくる。
年をとると、人間というのはグチやらぼやきが多くなって、見苦しく聞き苦しくなるものだが、こと、やなせたかし氏においては、90歳を過ぎても話し方や話す内容が、まるで若者みたいで若々しく、非常に好感が持てた。しかも、着ているシャツが派手でよろしかった。
誰を手本にして生きようなんて考えたこともない私であるが、年をとった暁には(もうすでにいい加減な年ではあるが)、やなせたかし氏を見習って、くどくどとつまらないグチを口にしないようにしようとは思っている。
さて、やなせたかし氏死去のニュースで、『手のひらを太陽に』の歌が流れてきたところで思い出した。
大学の3年生だったか4年生だったかのとき、『手のうちを満貫に』という替え歌をつくったことがあった。
麻雀が斜陽となりつつあった時代。午後ののどかな雀荘で、友人と卓を囲んでいるうちに、ふと思いついたのである。
麻雀を知らない人には、ちっともおもしろくないだろうが、その歌詞をここに紹介しよう。
--♪---♪---♪---♪---♪--
僕らはみんなハッている。ハッているから強いんだ。
僕らはみんなハッている。ハッているからつもるんだ。
手のうちを満貫に進めてみれば
あっさり流れる僕の起家(チーチャ)
上家(カミチャ)だって、下家(シモチャ)だって、対面(トイメン)だって
みんなみんな、ハッているんだドラ待ちなんだ~
--♪---♪---♪---♪---♪--
「真っ赤に流れる僕の血潮」を「あっさり流れる僕の起家」にしたあたり、音もそこそこ合っていて、われながら見事である。最後の「友だちなんだ」を「ドラ待ちなんだ」にしたのも、なかなかである。
その見事さに免じて、「みんなドラ待ちでハッていれば、ドラを捨てれば三家和で流れるからいいじゃないか」などと野暮なことを言わないでほしいな。
さて、大学卒業後しばらくして、当時の友人と再会して久しぶりに卓を囲んだことがあった。
すると、隣の卓で麻雀をしていた学生の一人が、この歌を歌っていたのでビックリ。
思わず、「その歌、どこで聞いたの?」と尋ねたら、「ああ、ずいぶん有名な歌ですよ」とにっこり答えてくれた。
今から約30年前くらいの話である。
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