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2013年10月の3件の記事

2013-10-29

復活しつつある富山市中心部

だらだらと書き続けていた富山の最終回。
今回は、2009年に新しく開業した市内線(路面電車)の環状線に乗ってきた。
日本の路面電車として、久々の新線開業区間である。
(豊橋駅前や高知駅前で短い延長や、富山ライトレールのような鉄道線からの移行はあったが)

富山城址公園をバックに

新設の環状線は、富山駅前→丸の内→大手モール→西町→桜橋→富山駅前を反時計回りにめぐる路線。最近、都会のミニバスでよく見られる一方通行路線である。この系統のうち、丸の内~西町が新しく開業した区間である。

大手モール停留場付近

丸の内で在来の路線と分かれると、富山城址公園沿いの広い道を走り、大手町交差点で右折。
そこから、大手モールを走るのがトップの写真である。バックに見える富山城の天守閣は1954年に復元したもの。

薬屋

富山市はコンパクトシティ構想のもと、都市機能や住宅を中心部に集中させようとしている。少子化・人口減少の時代、郊外にやたらに都市圏を拡大するとインフラ整備のために莫大な税金が必要となってしまうからだ。

そして、コンパクトシティ実現には公共交通機関の整備が欠かせない。その一環として路面電車の活性化に取り組んでいるわけだ。

総曲輪商店街

それが功を奏しているのか、総曲輪(そうがわ)や西町、荒町など、中心部の商店街は、以前来たときよりも活気を取り戻しているような印象を受けた。

ぜひとも成功事例として、全国の中小都市の手本となってほしいものだ。

9000形

最後の写真は、再開発商店街の総曲輪フェリオをバックに走る9000形9003編成。
黒だか漆色だかのこの車両は、前にも書いたが撮影者泣かせの色である。
順光の写真なのに、真っ黒になってしまった。

2013-10-23

追悼 やなせたかし『手のうちを満貫に』

マンガ家のやなせたかしさんが亡くなった。
高知県出身とばかり思っていたので、生まれがわが家のすぐ近くである北区西が原だと知って意外な感じがした(ちなみに、西が原には現在、ドナルド・キーン氏が住んでいる)。
しかも、『アンパンマン』を出版しているフレーベル館が、わが家から徒歩30秒ほどのところにあるので、さらに親しみがわいてくる。

フレーベル館に設けられた祭壇

年をとると、人間というのはグチやらぼやきが多くなって、見苦しく聞き苦しくなるものだが、こと、やなせたかし氏においては、90歳を過ぎても話し方や話す内容が、まるで若者みたいで若々しく、非常に好感が持てた。しかも、着ているシャツが派手でよろしかった。

誰を手本にして生きようなんて考えたこともない私であるが、年をとった暁には(もうすでにいい加減な年ではあるが)、やなせたかし氏を見習って、くどくどとつまらないグチを口にしないようにしようとは思っている。

さて、やなせたかし氏死去のニュースで、『手のひらを太陽に』の歌が流れてきたところで思い出した。
大学の3年生だったか4年生だったかのとき、『手のうちを満貫に』という替え歌をつくったことがあった。
麻雀が斜陽となりつつあった時代。午後ののどかな雀荘で、友人と卓を囲んでいるうちに、ふと思いついたのである。
麻雀を知らない人には、ちっともおもしろくないだろうが、その歌詞をここに紹介しよう。
--♪---♪---♪---♪---♪--
僕らはみんなハッている。ハッているから強いんだ。
僕らはみんなハッている。ハッているからつもるんだ。
手のうちを満貫に進めてみれば
あっさり流れる僕の起家(チーチャ)
上家(カミチャ)だって、下家(シモチャ)だって、対面(トイメン)だって
みんなみんな、ハッているんだドラ待ちなんだ~
--♪---♪---♪---♪---♪--
「真っ赤に流れる僕の血潮」を「あっさり流れる僕の起家」にしたあたり、音もそこそこ合っていて、われながら見事である。最後の「友だちなんだ」を「ドラ待ちなんだ」にしたのも、なかなかである。
その見事さに免じて、「みんなドラ待ちでハッていれば、ドラを捨てれば三家和で流れるからいいじゃないか」などと野暮なことを言わないでほしいな。

さて、大学卒業後しばらくして、当時の友人と再会して久しぶりに卓を囲んだことがあった。
すると、隣の卓で麻雀をしていた学生の一人が、この歌を歌っていたのでビックリ。
思わず、「その歌、どこで聞いたの?」と尋ねたら、「ああ、ずいぶん有名な歌ですよ」とにっこり答えてくれた。
今から約30年前くらいの話である。

2013-10-20

富山駅周辺・乗り物関連比較写真

富山に行った記事を1カ月前に書いたきりになっていたが、その後、ひどい風邪をひいて寝込んだり、元気になったり、ぶりかえして参っていたりする日々でした。
とりあえずは、前回の続きとして、富山駅周辺の写真でも。

まずは、JR富山駅自体が北陸新幹線のための大工事中。ホームから改札までの距離が恐ろしく長くなっていたのにビックリ。しかも、地鉄(富山地方鉄道)や市内線(こちらも地鉄の路線だが)に乗り換えるには、改札を出てからさらに長い距離を歩かなくてはならなかった。

工事中の富山駅

「白エビ丼が食べられた駅ビル名店街は閉鎖!?」と心配したが、駅前のプレハブの建物の中で土産物店とともに営業中であった。
下の写真は、2005年に撮影した富山駅の正面である。

2005年の富山駅

さて、元気に駅前に出てくると、ちょうど市内線の新型車両「セントラム」9000形が駅前を横切っていった。
環状線の開業にともなって増備した車両である。しかも、黒いボディーの9003編成だった。
最近では、JR九州の「ななつ星」もそうなのだが、つやのある黒っぽい塗装の車両が増えている。
高級感があっていいのかもしれないが、写真に撮るにはなかなか難しい。

セントラム9000形

じつは、このアングル。40年前の1974年に富山に来たときに撮ったものに合わせたのだった。
そのときの写真がこれ。
時代の変化を感じるなあ。当たり前だけど。

1974年の富山駅前

もう夕方になっていたので、前日、前々日の仕事で疲れた私は、そのままホテルで寝ようとも思ったのだが、そこは貧乏性のこと。一休みしてから、何かうまいものがないかと市内を放浪することとなる。
残念ながら、連休最後の月曜日だったので、うまそうな店は軒並み休業。
それでもなんとか店を決めて、胃をアルコール消毒したうえで、つまみやらメシやらを収めてふらふらと通りを歩いていたら、やってきたのがこの車両。

富山市内線の花電車(夜)

電飾電車である。しかも、微妙にチカチカ点滅しているものだから、派手派手しいことこの上ない。
デジカメを持参しなかったことを悔いたが、機種交換したばかりのスマホで何枚か撮ったところ、この程度にうまく写った。あなどりがたし、ソニーのXPERIAである。

知らなかったけれども、市内線開業100周年の記念の花電車だった。
ちなみに、この花電車の昼の顔はこんな感じ。

富山市内線の花電車(昼)

昼の顔と夜の顔がまったく違う。
そもそも、これを花電車と呼ぶのはどんなものなんだか。ホームページには、花電車の運行ダイヤが乗っていたが、昼にこれを見ても、あんまりありがたみがないんじゃないかなあ。

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著書

  • 社会人に絶対必要な語彙力が身につく本[ペンネーム](だいわ文庫)
  • 『ようこそシベリア鉄道へ』(天夢人)
  • 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)
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