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2013年7月の2件の記事

2013-07-31

稲荷町~田原町あたり

これもまただいぶ前のこと、6月下旬に上野から浅草まで歩いたときのことである。
地下鉄銀座線に乗ると、途中に稲荷町、田原町と2駅あるが、歩いてもたいしたことはない。
仏壇通り、合羽橋道具街、合羽橋本通りなど、ほかではあまり見られない商店街もあって、散歩しても飽きない町である。

稲荷町にて

もっとも、稲荷町も田原町も、すでに地名としては消えてしまって、北上野、松が谷、西浅草などとなっているい。松が谷はいかにも由緒ありそうに聞こえるが、旧地名には存在していなくて、昔はずいぶん不思議に感じたものだった。
付近に「松」の付く「松葉町」「松山町」「松清町」があったことに由来しているのかもしれない。

同潤会上野下アパートメント

今回はたまたま同潤会上野下アパートメントの取り壊し現場を見ることができた。
同潤会住宅最後の建物だという。かなり老朽化が進んでいたので、しかたないといえばしかたがないかもかしれない。
健在なりしころの写真を1枚貼って、昔を偲ぶこととしたい。

同潤会上野下アパートメント

撮影したのは1984年。もっとも、前庭に木が生い茂っていて建物がよく写っていないのは勘弁のほどを。
詳しくは、拙ホームページをご覧ください。

そして、上野下アパートと向かい合っている落語長屋(噺家長屋)はというと、かろうじて残ってはいるが、もはや長屋にはなっていない。残った建物は両側が駐車場になっていて、いかにも息苦しそうである。
かつては、ここに四軒長屋があって、稲荷町の師匠こと8代目林家正蔵(のちの林家彦六)と9代目桂文治が住んでいたのである。
四軒長屋が健在だったころの写真も上記のページにあるので、お暇な方は見てくだされば幸いである。

落語長屋

そんなことを思いながら、浅草に向かってずんずんと歩いていくと、かなり面妖な建物が目に入った。
トップの写真の建物である。
昔は四軒か五軒の棟割長屋だったのだろう。右端の建物がモルタルで固められ、中央あたりも変容している。わずかに、豆腐屋だけが昔の雰囲気を残しているのだろう。
豆腐屋の部分をメインにしたのが下の写真である。

木村豆腐店

上野と浅草の中間あたに来ると、、時折降っていた霧雨もやみ、陽が戻ってきた。
そして、行く手にスカイツリーが見えてきたのである。

妙音寺前

それにしても、このあたりは東本願寺をはじめ、やたらに寺がある。
写真の左側は妙音寺という寺である。
浅草といえば観音様ばかりが有名だが、このあたりが寺だらけということは、あまり知られていないのではないか。

とまあ、こんな感じで30分弱の散歩も終わり。あとは、いつものように喫茶マウンテンで休憩。
このときは、はじめてクリームあんみつを注文したのだが、その量の多さとほどよい甘さに疲れも吹き飛ぶような気がしたのであった。

2013-07-28

市谷薬王寺町の路地

極多忙の1か月あまり、ほとんど家を出ることなく、ブログの更新をする暇もなくて失礼しました。
まずは、リハビリついでの1本。
打ち合わせの帰りに、ぶらぶらと歩いているうちに行き当たった市谷薬王寺町の路地から。

市谷薬王寺町の路地

5月末であったが、すでに蒸し暑い日であった。
それでも、仕事で煮詰まった頭を冷やすために、大久保通りの脇道を神楽坂に向かっていると、味わい深い階段に行き当たったのである。

一見、階段の上はそのまま民家の敷地に入っていきそうだったが、どうやら路地になっていることがわかった。趣深い路地というのは、たいていが通るのがはばかられるように見えるのだ。

市谷薬王寺町の路地

この写真は、階段を上りきって後ろを振り返ったところ。
路地に咲くツツジが美しい。

市谷薬王寺町の路地

板張りの塀、凝灰岩のブロック、舗装されていない道に敷かれた石──この石はかつての都電の敷石にも見えるがどうなんだろう──など、パーフェクトとは言えないまでも、路地歩きの心を満たしてくれる素材にあふれている。

市谷薬王寺町の路地

自宅を出たら、すぐにこんな路地があるような生活はいいなあ。
住んでいる人にとっては、いろいろと不便があるだろうが、少なくとも子どもの情操面にはプラスになるような気がする。なによりも、飛び出したとたんに車にはねられる心配はないね。

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