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2013年5月の3件の記事

2013-05-15

浅草: 六区の裏にあるワイルドなアーケード街「ひさご通り」

昼間に上野まで出たついでに、時間があったので浅草へ。
ひところは、ずいぶん足が遠のいていたのだが、このところ用事もないのにちょくちょく訪れるようになった。
やはり多感な小学校時代を過ごした町である。表通りは観光客であふれる一方、裏通りはただ雑然としている町なのではあるが、どこか落ち着くのは不思議である。

ひさご通り

まずは、バスを浅草一丁目で降り、「すし屋横丁」を抜けて六区に向かってみた。最近は、「すしや通り」と呼ぶのだそうで、ちょっと薄味になった感じである。
六区は再開発の真っ最中で、知らない間に大きなホテルができていたり、あちこちが更地になっていたりして驚いた。
以前のままがよかったという人もいるかもしれないが、あのままじゃ座して死を待つだけだから、しかたないところだろう。かつての賑わいを少しでも取り戻してくれればいいのだが。

ひさご通り

六区の北側から千束通りに通じるアーケード街が「ひさご通り」である。
同じ浅草でも、仲見世や新仲見世がお客様向けの商店街ならば、ここはなんと言えばよいのだろうか。地元に密着した商店街というわけでもなく、昔から薄暗くて不気味な場所であった。
かつては、安っぽい飲み屋や作業着を売る店が建ち並んでおり、労務者と呼ばれていた人たちがたむろしていたように記憶している。
小学生時代、一人で六区から竜泉、あるいは花川戸から今戸あたりまで、ふらふらと遊びに出かけていた私でさえ、ここを一人で通るのをはばかられたものである。

元祖・コリアンストリート

今では、雰囲気もずいぶん明るくなって、かつてのワイルドさはずいぶん薄れてきた。
ただ、人通りが少ないので自転車が何台も全速力で走り抜けるのは困りものである。

そんな「ひさご通り」なのだが、脇道を一歩入ると、この写真のような焼肉屋が並ぶ細い細い路地がある。
このうちでも先輩格らしき店を実家に持つ知人によると、朝鮮半島から出てきた人たちが、戦後の苦難の時代をここで助け合って暮らしてきたのだとか。
新大久保などは目じゃない元祖コリアンストリートである。今度、ゆっくり店を訪問してみようと思う。

花やしき

レトロっぽさが人気の遊園地「花やしき」はこのすぐ東側にある。
昔は入場無料なので気軽に出入りできたが(もちろん遊具や乗り物は有料)、例の風営法のからみで入場が有料になったのだと聞いた。子どもたちが遅くまでたむろするのを防ぐためらしいが、ご丁寧なことである。

2013-05-08

『写真への旅』(1976年、荒木経惟)  アラーキーは”秀才”である

"アラーキーは秀才である"……と思う。だから、いい加減な文体で好き勝手に書いているように見えて、要点は的確に押さえられている。写真をどう撮るかが具体的に示されていて、これを読んだことで私は写真がうまくなった……と自画自賛をしている。

『写真への旅』

この本の存在を教えてくれたのは高校時代の友人である。大学に入っても、数人でよく旅行に出かけたり写真を撮ったりして遊んでいたのだが、そんな我々の間でこの本はあたかもバイブルのように扱われていたのだった。
そして、ここに書かれているアラーキーのことばが、金言のように私たちの頭に刻まれた。
「写真は対決である。ノーファインダーで撮ってはならない。写される人と目が合っていなくてはならない」
「相手と自分との関係が写真に表れる」
「大切なのは被写体である。写真はそれを切り取るだけ。写真は複写であり記録だ」
「風景写真は順光で撮れ」などなど。

これを読んで、憧れの女性を望遠で隠し撮りしていた友人は、彼女に堂々と声をかけて間近で写真が撮れるようになった。
逆光で海を写して「きれいだなあ」なんて喜々としていた私も自分を恥じた。そして、それまでに撮ってきた写真のうち、およそ3分の2は実質的に何も写っていないことに気づいたのだった。
「写真の本質は記録なのだ。被写体がつまらないのに、それを小手先のテクニックで美しく見せようというのは間違っている。重要なのは、人間にせよ風景にせよ、記録に値する被写体を見つけることだ。美しさを”創造”するのは絵画に任せればいい」

今聞くと、目新しくもない発見だが、時あたかも「コンポラ」と称するわけのわからない写真が一世を風靡していたころである。カメラ雑誌には、ボケボケ、ブレブレ、意味のない高コントラスト、むやみやたらな粗粒子の写真が所狭しと掲載されていた。
「こんな写真、もらってもうれしくないよなあ。10年たったら何の価値もない」と私は思っていた。
コンポラとは、コンテンポラリー・フォトグラフィー(現代写真)の略。異議申し立て運動の一種だったと思うが、それが主流になってしまうと、ただつまらないものでしかない。

私は大学入学と同時に写真クラブに1か月ほど入っていたのだが、部員が学園祭に出品する写真というのが、一方はこのコンポラ、他方はこれまた手近な机や花を写しましたという意味のないサロン風写真ばかりだった。ご丁寧に、写真の枠に飾り模様を入れていたりして、もう見るに耐えないものばかりであった。
そんな環境に辟易していたころだったから、この本は私たちにとって待望の1冊だった。本のなかで、荒木は日本の各地に出向いて、独りよがりの写真サークルに優しく指導したかと思うと、けっして美人ではない田舎のバーのママを「複写」してくるのである。
私は写真クラブをすぐに辞めて、志を同じくする友人たちとともに、荒木を見習って現実をひたすら複写し続け、以後の学園祭に出展していたのだった。

もとは『アサヒカメラ』の連載だったものを1冊にまとめた本である。2007年に光文社文庫で復刊したが、それでも旧版の初版本がネットで8000円の値がついているのには驚く。私の手元にあるのは、もちろん当時買った初版である。

若いころの私は中途半端なインテリだったから、スーザン・ソンタグの『写真論』やら富岡多恵子の『写真の時代』を読んだこともあったが、それでうまい写真が撮れるようにはならなかった。ところどころにいいことも書いてあったが、あくまでも写真の評論や批評であって、創作の役には立たなかった。
そんな小難しい理屈よりも、荒木のいう「バーシバシ写真を撮って、いい写真をたくさん見ること」のほうが、ずっと的確なアドバイスであった。

ところで、世の中の多くの人は「アラーキーは天才だ!」というが、そのどれだけの人が彼の写真をじっくり見ているのだろうか。あんなに地味で実直でストレートな写真はない。だけど、荒木はシャイだから、そんな自分が照れくさくて、「俺は天才だ!」と叫んでいたのだろう。かつて『写真時代』なんかで発表していたエロ写真も、現実を複写するという態度の延長だと私は感じている。

アラーキーのあのチョビひげや丸メガネにだまされてはいけない。千葉大学を出て電通に入った彼は、日本写真界の秀才なのである。

(発行:朝日ソノラマ 現代カメラ新書、著者:荒木経惟、定価:650円、初版発行:1976年5月25日)
 2007年に光文社文庫で復刊

2013-05-06

板橋区大門: 浅間神社

世の中は神社ブームだそうである。
仏像ブームに続いて神像が人気を呼んでいるというから、寺ガールの次は神ガールが話題になるかもしれない。

町並みの変化を味わいながら散歩をする身にとっては、寺や神社は昔とほとんど変わることがなくて、失礼ながらそれほど強い興味を持っていなかった。
だが、都会のまん真ん中にうっそうとした鎮守の森があって、静寂に満ちた空間が広がるというのは、なかなかいい風景である。ほかの国では、あまり見られないのではないか。

浅間神社

と、さんざん能書きを垂れたあとで今回紹介するのが、板橋区大門にある浅間神社である。
このあたりは、かつて徳丸ヶ原と呼ばれた地域の一部で、純然たる農業地帯だったという。

20年ほど前に訪れたときも、都区内とは思えないほどのんびりとした風景が広がっていたが、なかでも興味を抱いたのはこの地域に点在する神社の数々であった。

浅間神社

この地域で有名な神社というと、重要無形民俗文化財に指定された「田遊び」の祭りが行われる板橋北野神社と赤塚諏訪神社だが、それにも増して印象的だったのが、この写真の浅間(せんげん)神社である。
ほかの神社ならば、大きな鳥居の向こうに立派なお堂が建っているところだが、トップの写真を見ればわかるように境内はがらんとしている。しかも、写真の手前側には金網が張ってあって、奥のほうにぐるっとまわって入るしかない。

浅間神社の富士山

すると、境内の隅に小さな鳥居があり、小さな祠が3つ、石像が2体立っている。ほかの神社の境内でも、メインのお堂の端にこうした祠が間借りするように合祀されている例はよくみるが、ここはこの祠が主人公である。
パワースポットという呼び方は好きではないが、この神秘的ともいえる情景を見ていると、どこか不思議な気分になってくるのは確かである。

そして、碑がいくつも建っているのが見えるが、その多くは富士講のようである。浅間神社という名前からも、ここが富士信仰の神社であることはわかる。
そして、祠の裏にはやはり富士山があった。ここを登ることで、富士山に登ったことになるというやつである。最近では、東京の富士山めぐりをする物好きな人も増えてきたようで、ご同慶の至りである。

浅間神社の富士山

そして、これがその富士山山頂からの眺め。ピンクの木は花桃だろうか。
奥の無機質な塀は国道17号線新大宮バイパスである。20年ほど前、初めて大門・徳丸を散歩したときには、まだ用地買収が始まったばかりだったが……。

浅間神社の富士山

これが、山頂から「登山道」を振り返った写真。
そういえば、私が小学生のころに住んでいた浅草北部にも、浅間神社があった。やはり富士信仰の神社で、地元では「お富士さん」と呼ばれていた。有名な浅草の植木市はここを中心にして開かれる。

ところで、「せんげん」という音読みの呼び名は中世か近世になってからだろう。もとは、「あさま」だったのは間違いない……と思って調べたらやはりそのようだ。「浅草(あさくさ)」と「浅草寺(せんそうじ)」のようなもので、ちょっと気取って音読みにする例はよくある。

では、なぜ浅間山ではなくて富士山信仰が「あさま」なのかと誰もが考えるところだが、はっきりとしたことはわかっていないらしい。
それらしい説明として、「あさま」ということば自体に火山の意味があって、大昔は噴煙を上げていた富士山も「あさま」だったのではないかという。おそらく、そんなところだろう。
となると、「あさま」の語源は何かということになるが、「あ・さ・ま」をどう分けても、くっつけても該当する古語は思い当たらない。アイヌ語が語源ではないかという説もあるそうで、謎は深まるばかりである。

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著書

  • 社会人に絶対必要な語彙力が身につく本[ペンネーム](だいわ文庫)
  • 『ようこそシベリア鉄道へ』(天夢人)
  • 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)
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