浅草: 六区の裏にあるワイルドなアーケード街「ひさご通り」
昼間に上野まで出たついでに、時間があったので浅草へ。
ひところは、ずいぶん足が遠のいていたのだが、このところ用事もないのにちょくちょく訪れるようになった。
やはり多感な小学校時代を過ごした町である。表通りは観光客であふれる一方、裏通りはただ雑然としている町なのではあるが、どこか落ち着くのは不思議である。
まずは、バスを浅草一丁目で降り、「すし屋横丁」を抜けて六区に向かってみた。最近は、「すしや通り」と呼ぶのだそうで、ちょっと薄味になった感じである。
六区は再開発の真っ最中で、知らない間に大きなホテルができていたり、あちこちが更地になっていたりして驚いた。
以前のままがよかったという人もいるかもしれないが、あのままじゃ座して死を待つだけだから、しかたないところだろう。かつての賑わいを少しでも取り戻してくれればいいのだが。
六区の北側から千束通りに通じるアーケード街が「ひさご通り」である。
同じ浅草でも、仲見世や新仲見世がお客様向けの商店街ならば、ここはなんと言えばよいのだろうか。地元に密着した商店街というわけでもなく、昔から薄暗くて不気味な場所であった。
かつては、安っぽい飲み屋や作業着を売る店が建ち並んでおり、労務者と呼ばれていた人たちがたむろしていたように記憶している。
小学生時代、一人で六区から竜泉、あるいは花川戸から今戸あたりまで、ふらふらと遊びに出かけていた私でさえ、ここを一人で通るのをはばかられたものである。
今では、雰囲気もずいぶん明るくなって、かつてのワイルドさはずいぶん薄れてきた。
ただ、人通りが少ないので自転車が何台も全速力で走り抜けるのは困りものである。
そんな「ひさご通り」なのだが、脇道を一歩入ると、この写真のような焼肉屋が並ぶ細い細い路地がある。
このうちでも先輩格らしき店を実家に持つ知人によると、朝鮮半島から出てきた人たちが、戦後の苦難の時代をここで助け合って暮らしてきたのだとか。
新大久保などは目じゃない元祖コリアンストリートである。今度、ゆっくり店を訪問してみようと思う。
レトロっぽさが人気の遊園地「花やしき」はこのすぐ東側にある。
昔は入場無料なので気軽に出入りできたが(もちろん遊具や乗り物は有料)、例の風営法のからみで入場が有料になったのだと聞いた。子どもたちが遅くまでたむろするのを防ぐためらしいが、ご丁寧なことである。
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