« 2013年3月 | トップページ | 2013年5月 »

2013年4月の5件の記事

2013-04-21

渋谷駅周辺あれこれ

九州に行ったときのことをだらだらと書いているうちに、東京では桜が咲いて散り、東横線の渋谷駅が地下化され、下北沢付近の小田急線も地下に潜ってしまった。
そこで、遅ればせながら、渋谷駅とその周辺のことなど。

東横線渋谷駅

東横線渋谷駅の雰囲気は独特なものがあったので、以前から撮っておかなくてはと思っていた。
とくに、改札口の外から、行き止まり式のホームに停まっている車両と、雑踏を写しとれればとは考えていたのだが、とうとうそれもできずに廃止を2日後に迎えることになってしまった。

すでに、鉄道ファンのみならず、ごく普通のOLとも見える人たちまで、スマホで撮影しているような状況だった。しかも、夕方だったので乗降客が多く、改札の外からは車両が見えない。
というわけで、撮れたのは上のような写真だけ。

東横線渋谷駅

でも、この日が来ることを想定して、2008年にホームで撮っていた写真があった。
それが、この上と下の写真である。

東横線渋谷駅

まあ、あの雰囲気がわずかでも残せたのはいいのかなというところだろう。

さて、この東横線の駅の移転だけでなく、渋谷はここ10年で大きく姿を変えようとしている。今の姿を残しておくのは早いほうがいい。

渋谷駅南西側

じつは、私が以前から気に入っているのが、渋谷駅の南西側の一角である。
すっかりおしゃれになってしまった渋谷周辺にあって、このあたりはかろうじて昔ながらの泥臭い雰囲気を残している。

渋谷駅南西側

いずれ、この一角も、すぐ近くにそびえるセルリアンタワーのような高層ビルになってしまうのかもしれない。

渋谷駅南西側

そのときは、先日の東横線渋谷駅のような大騒ぎもなく、ひっそりと姿を消していくことだろう。

2013-04-17

長崎・とっても不思議な「生目八幡宮」

長崎のことを書いているときりがないのだが、今回はこのあたりで最終回。
長崎駅の北西に位置する天神町の「生目八幡宮」である。「生目」は「いきめ」と読む。

この神社は、昔の浦上街道に面している。……といっても、広い通りを想像してはいけない。このあたりの旧浦上街道は坂道と階段だらけ。階段路地どころか、階段街道なのである。

旧浦上街道

路面電車の走る新しい浦上街道の西側、丘の中腹を上り下りする道である。
車道になっている場所もあるが、ちょうど長崎駅から浦上駅の西側に並行するあたりは、階段があちこちにあって歩行者専用道となっている。

旧浦上街道

しかも、この写真でおわかりのように、じつに生活感のあふれた道であるゆえ、長崎に来るたびに足を向けるのである。
住んでいる人は、どこに行くにもまずは階段を上り下りしなければはじまらないわけで、のんきに散歩している人間はともかく、地元の人はさぞかし大変なことだろう。

生目八幡宮

そんな街道を歩いていると、急な階段の脇に掲げられた「↑生目神社」という看板を見つけた。
いや、前回も見つけたのだが、そのときは疲労困憊だったので、階段を登る体力も気力もなかったのであった。
それが心残りだったので、今回は意を決して登坂いや登段。ひいはあいいながら、鳥居をくぐったのである。

願掛けの紙

小さな小さなお堂に入ると、その内側にはこの写真のような紙が所狭しと貼られていた。
よく見ると、紙には「目 目 目 目……」「め め め め……」とびっしりと書かれており、最後に「目がよくなりますように」「眼病快癒」などと書かれて、住所・氏名が記されている。
そう、願掛けだったのだ。
生目八幡宮は、眼病に効く神社なのだとわかった。あとで調べたところによると、宮崎県にある生目神社がもとのようだ。
なかには、小学生の子が懸命に書いたと思われるものもあった。

生目八幡宮からの眺め

お堂から出て、猫の額ほどの境内に出ると、夕暮れの長崎の町が見渡せた。
車が行き交う道路からわずか数百メートル離れて、ほんの少し丘を登るだけで、こんなひそやかな空間があるとは、まるで白日夢のようであった。

2013-04-11

長崎市内の2人乗りモノレール

長崎・立山町で丘の上から見つけたのはこれだった。
坂道・階段を昇るための2人乗り懸垂式モノレールである。

さくら号

一昔前、いや二昔前の電話ボックスのような物体が、「モノレール」の車体である。
そりゃあ、年をとったらこの階段地獄を昇り降りするのは大儀だろう。そんな人のために、実験的(?)に長崎市内に3か所設けられている。
ここ立山町にあるものは2番目につくられたもので、路線延長が51.3m、最大勾配は32度。車体には「さくら号」と書かれていた。

モノレールの線路

路線は、こんなふうに道のカーブをなぞっている。
このレールが、丘の上から見えたのだった。
操作は乗る人が行う。ただし、これを動かすためのカードを持っているのは、地元の年配の人だけ。この日は、残念ながら乗っている人は見かけなかった。

と、これでおしまいでは申し訳ないので、2005年12月に別の路線で撮影した写真をお目にかけよう。

てんじん君

これは天神町にある2人乗りモノレール第1号、その名も「てんじん君」である。天神町が「てんじん君」ならば、立山町のは「たてやま君」にすればよかったのにと思うのだが、余人には推し量ることのできない事情があるに違いない。

上の写真をよーく見ると、人が乗っているのがわかるだろう。貴重なショットである。

てんじん君の車内

そして、これが「てんじん君」の車内。乗り込むときは、手前のバーを上げ、動かすときはバーを下げるのだそうだ。
ドアもなくて危険だと思うかもしれないが、なにしろスピードは1分間に15m(!)。時速に直すと900mである。1時間走っても1km進まないのだから、当然歩くのよりもはるかに遅いから問題ないのである。

2人乗りのはずなのに椅子が1つしかないのも奇妙だと思ったが、私の明晰な頭脳は「もう一人分は立ち席に違いない」とひらめいた。そう思って上の写真をよく見ると、椅子の右に微妙なスペースがあることがわかる。
ちなみに、掲示には「乗車人員または積載荷物量 2人または150kg」と書いてあった。

てんじん君

さて、この乗り物の問題はといえば、まさにそのあまりの遅さだろう。もっとも、車輪をまわす普通のモノレールと違って、歯車を噛み合わせて進むのだから遅いのもしかたない。その分、坂でも逆走の危険は少ないわけだ、たぶん。
そして、この路線をつくるためには、ある程度の道幅がなくてはならないが、無数にある長崎の階段路地で、条件に合う道はそう多くない。結局、3路線がつくられているのだが、焼け石に水のように思えてならないのである。

製作は、福岡県にある嘉穂製作所。かつては炭鉱の巻き上げ機などをつくっていたそうだが、最近は全国各地でこうしたミニモノレールをつくっている。
じつは、私が宮田幸治さんと共著で2005年に出版した『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)の中で、このミニモノレールを取り上げた。そのときの取材は宮田さんに行ってもらったが、酔狂にも私も出版直後にここを訪れたのだった。

この本はかなりの名著だと思うのだが、その後、山海堂が倒産したので現在は絶版である。
どこかで再版してくれないかなあ。

(まだつづく)

2013-04-07

山岳都市・長崎の丘で探したもの

個人的に、長崎は日本一の山岳都市だと思っている。
長崎駅に降り立ってぐるりと眺めわたすと、東にも西にも山の斜面にびっしりと建物が並んでいる。
これで、山頂に教会の塔でも建っていれば、イタリアの山岳都市そのものなのだが、残念ながら大浦天主堂も浦上天主堂も標高の低いところにある。

立山町遠景

さて、もう旅行から1か月も経ってしまったが、長崎滞在2日目の話である。
行き先は立山町。駅前のすぐ東側にある丘に広がる町である。
長崎駅前からバスに乗ると、狭い道を右に左にカーブしながら約20分ほど。丘の上にある終点の立山町に到着した。

立山町からの眺め

朝には雨があがるという予報だったが、10時になってもまだ小雨が残っていた。
それでも、丘の上からの眺めは結構なものである。グラバー邸からの眺めもいいが、あちらはまさに絵に描いたよう。それに対して、ここはかなり生活感が漂っていてなかなかよい。

立山町高部

この写真の右下に階段が写っているが、こうした階段が"下界"に通じていくのもまたよい。
もっとも、一番下から歩いて登ってくるのは、ちょっと御免こうむりたいところである。
階段付近には車道もないから、付近に住んでいる人は、さぞかし大変なことだろう。

立山町南斜面

ところで、この日の目的は、立山町の頂上に行くことだけでなくて、もう一つあった。
それを探しに、私は丘の南斜面にまわることにした。
幸いなことに雨もやんで、散歩にはまずまずの陽気である。

目的の場所は、だいたい地図で目星をつけていたのだが、なにしろ階段とくねくねの路地の連続である。
降りる階段を1本間違えると、道に迷うこと必定だ。
一度降りたら、もう登る気にはならないだろう。
そこで、見通しのよい尾根道の車道から、じーっと目をこらして斜面を眺めていると……。

立山町南斜面

あった!
上の写真の赤で囲んだ場所である。

130405f

そこを拡大したのがこの写真。
はたしてこれがなんであるか。詳しくは次回へ。

2013-04-02

長崎の路面電車

3月の九州行きの続き。
福岡から「特急かもめ」に乗って4年ぶりの長崎へ。
長崎に行った目的はいくつかあるのだが、その一つがこの路面電車。
とある事情で、写真を撮っておく必要があったのだ。
蛍茶屋

これは、3・4・5系統の終点となっている蛍茶屋。電車はここが終点で、すぐそばに山が迫っているのがわかる。その名の通り、なかなか味わい深い風景である。写真は、2004年に登場した3連接の3000形である。
道路(長崎街道)はこの先、道幅が狭くなって小倉に向かう。そのうち、長崎街道も歩いてみたいなあ。
晴れ男を自認する私だが、なぜかここに来るときはいつも雨である。この日はかろうじて小雨で済んだ。

石橋

次の写真は、5系統の終点石橋付近。大浦天主堂やグラバー邸に向かう観光客が乗る路線である。ここは、終点に近い500mほどが単線になっていて、しかも道路の端を走るものだから、なかなか趣がある。
もっとも、並行する川の工事が行われていて、撮影場所が限られてしまったのは残念であった。

正覚寺下

終点めぐりみたいになってしまったが、これは1・4系統の終点の正覚寺下。観光通り、思案橋といった繁華街を抜けた電車は、まもなくここに到着する。まさに、どん詰まりといった終点の様子だ。
長崎では、こんな古い電車が大切に使われているのがいい感じ。渋い配色もよく似合う。

観光通り

電車の写真ばかりだとオタクだと思われるので(もう手遅れか)、人が入った写真も撮っておいた。
こんなに賑わっていますよという様子である。
観光通りの電停。それにしても、このネーミングはあまりにもストレートだよね。

5000形電車

今回も全線乗って終点も行き尽くしたのだが、写真をすべて出していたらキリがないのでこのへんでおしまいにしよう。
最後に、2011年に登場した5000形電車。3車体の連接車で、よく見るとわかるように台車は両端の2両にしかついていない。最近の路面電車ではよくあるタイプである。

さて、前回来たときには運賃が100円だったのだが、その直後に25年ぶりの値上げがあった。
とはいっても全線均一(乗り換えができる)で120円。まだまだ全国の路面電車で一番安い。
ちなみに、長崎の路面電車は公営ではなく、長崎電気軌道という私企業が経営している。

« 2013年3月 | トップページ | 2013年5月 »

著書

  • 社会人に絶対必要な語彙力が身につく本[ペンネーム](だいわ文庫)
  • 『ようこそシベリア鉄道へ』(天夢人)
  • 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)
無料ブログはココログ

.