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2013-03-13

久しぶりの浅草松屋屋上は狭かった

浅草にある松屋が改装されて、昔の姿を取り戻した。
それは知っていたのだが、再び屋上に立ち入れることになったのは、現地に行くまで知らなかった。
今からン十年前、私が幼かったころに、よく母親に連れてこられた懐かしの場所である。

というわけで、さっそくエレベーターで屋上へ。

浅草松屋屋上

もとより昔の遊戯施設が残っているとは思わなかったが、それにしてもガランとしている。
しかも、警備員にしっかりと監視されているので、ちょっと背中がこそばゆい。

なぜ、こんな殺風景な屋上を公開したのかといえば、どうやら、スカイツリーが間近に見えることが売りのようだ。売りといっても、もちろん無料で立ち入れる。

浅草松屋屋上

ときは2月14日、世の中はバレンタインデーと称する日だったため、申し訳程度に地味な飾りつけがされていたのが微笑ましい。

それにしても、遊戯施設があったころの松屋屋上は、ずいぶん広く感じられたのだが、こうして見るとやけに狭い。
建物が更地になって狭く見えるのと同じ感覚か、それとも単に私が小さかったからなのか。
ここで、ホームページ本館でも紹介している、1972年当時の浅草松屋の写真を貼り付けておきたい。高校生のときに撮った写真だ。

1972年当時の浅草松屋

注目は屋上に見える遊戯施設の数々である。
ちょっと拡大。

1972年当時の浅草松屋

観覧車をはじめとして、名前は忘れてしまったが、いろいろな乗り物が写っている。
もちろん、ここに見えている以外にも、さまざまな乗り物やアトラクションがあったっけ。
私が神童だった幼年時代の思い出がここに詰まっている。

さて、最後の写真は1986年のもの。外装の老朽化が進んでいたというので、金属の板らしきものが張りつけられた。いかにも応急措置という印象で、風格ある松屋のイメージもなくなってしまい、がっかりした人も多かった。
古いものを下に隠してでも、薄っぺらな新しさが求められた時代だったのである。
「浅草松屋」を「松屋浅草」と呼ぶようにしたのも、このころからだったか。今でもなじめない。
とはいえ、外装をまったく破壊しなかったのがよかったのだろう。それが今回の復元につながったに違いない。

1986年の浅草松屋

モノクロ写真で残念なのだが、手前の都バスは黄色の地に赤帯。
それまでの薄いクリーム色の地に青帯は、美濃部革新都政のイメージが強かったので、代わって登場した鈴木俊一都知事本人か取り巻きかが色を塗り替えさせたというのが定説である。

かつての濃いクリームに朱色の帯という配色を再現したつもりかもしれないが、以前よりもかなり色が強かった。
「あまりにも暑苦しい」という都民からのクレームが相次いで、あっという間に消え去ったのであった。

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