福岡・西新あたり、40年のへだたり
3月8日、仕事で突然福岡に行くことになった。
東京を朝に出ると日帰りができてしまうものだから、交通費は日帰り分の航空券しか出ない。
でも、せっかく福岡まで行くのだし、当日は金曜日だったものだから、自腹でもう1泊、いや2泊してきた。そのときの話である。
空気中には花粉が漂い、さらに大陸から黄砂やらPM2.5やらが飛んでくるというなか、翌9日には福岡市内散歩を敢行した。
ホテルから地下鉄で向かったのは西新である。これまで、「にししん」と読むのかとばかり思っていたら、「にしじん」であった。
なぜわざわざ西新に行ったかといえば、上の2枚の写真を見ればおわかりになるだろう。40年前に撮影した写真の場所に行ってみようと思ったわけだ。
上の写真が1973年7月に西新の三叉路で撮影したもの。まだ西鉄の福岡市内線が走っていた。電車の停まっている道が、福岡を東西に貫く明治通りである。
下の写真が今回撮影したもの。道路が拡幅されているので、同じ場所で撮影することは不可能であった。
驚いたのは、正面に写っている佐賀銀行である。なんと、40年前と同じ姿のままであった。さぞかし頑丈につくられたのだろう。
さて、せっかくだから付近を散歩しようと思ってふらふらしているうちに行き当たったのが、明治通りと並行して南側に走る商店街。あとで調べたところによると、ここが旧唐津街道なのだそうで、確かに味わい深い通りであった。
商店街は東西に伸びていたが、今回は博多駅方面に、東に向かうことにした。
すると、すぐに目に入ったのがこの立派な商家。宮崎鮮魚店と書かれている。店内では数人の人が忙しそうに立ち働いていた。
角度を変えて何枚も写真を撮っていると、年配の親父さんらしき人と目が合った。
にっこり微笑んで会釈をしたのだが、先方はこちらをじっとにらんでいる。まあ、こんなところをカメラを持って歩いている人間は、そうはいないのだろう。そそくさとその場を立ち去ることにした。
300mも歩くと川に行き当たった。そこが今川橋である。
じつは、その付近でも40年前に路面電車の写真を撮っていた。
再び明治通りに戻って撮影する。
同じ40年前の写真でも、さきほどはカラーだったが、これはモノクロ。ご苦労にも2台カメラを持って行ったのである。その理由は、もはや若い人には理解できないだろうから、じっくり説明したいところだが、話が長くなるのでまたこんど。
こちらは、道路の拡幅にともなって昔の面影がまったくなかった。
古い写真で運転士が道を横切っている様子が写っているが、これは手前に電車の車庫があったからである。その車庫のあとがないかと思って、手前の建物を見ると、そこにあるのはお寺と福岡市営地下鉄の変電所。
40年前に車庫があったとしたら、やはり地下鉄の変電所のほうだろう──そう思って、だいたいの位置を想像して合わせてみた。
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