ひょっこりひょうたん丘上都市: カルピノーネ
2週間のイタリア旅行から帰ってきて、すでに2か月を過ぎ、だらだらと続けていくのも気が引けてくる今日このごろ。今回の旅行で訪ねた最後の丘上都市の話である。
カンポバッソ滞在の2日目に訪ねたのは、州第2の都市であるイゼルニア(Isernia)と、その道程の中間にあるカルピノーネ(Carpinone)である。
カルピノーネが素敵な形の丘上都市であることは、前日のバスの車窓から確認していた。
また、前夜のトラットリーアの主人も太鼓判を押していたのだから間違いない。
というわけで、カンポバッソをのんびりと昼ごろに出発。エアコンが効いてないために窓全開で、おかげで騒音満点のディーゼルカーでカルピノーネに向かった。
町はずれにある駅に降りたのは、私も含めて4人。ほかの3人は家族なのか、駅まで車で迎えが来ていた。
私は、「はて、きのうバスの車窓から目にした町の遠景はどこに行けば見られるのか?」と迷ったが、もとより大きな町ではないので、足の向くまま中心部に向かって歩いていくことにした。
次のイゼルニア行きまでは約1時間、その次はまた1時間後である。
シャツをびっしょりと汗でぬらしながら、たどり着いたのが2枚目の写真のメルカート広場。
旧市街の入口のようだ。
この丘を登ってしまうと、当然町の遠景は見られないのだが、ここまで来たら頂上に行くしかない。
だが、もうすでに旅の疲れがたまりにたまっているうえ、この日も痛いほどの日射し。
「もっと早くホテルを出て、午前中に来ればよかった」
我と我が身に向かって、ひとり言の泣き言をいう私であった。
結局、教会の名前も記録することなく、しかもその背後にあった城砦もろくに見ないで、丘を下ってきてしまった。
あとは、旧市街をだらだらと散歩。
今、写真を見返して見ると、なかなかいい町で、もっとゆっくり腰を据えて見ておけばよかった。
だが、すでに何日も素晴らしい山岳都市・丘上都市をまわってきたものだから、感動が薄れてしまっていたのも事実である。
それに、次の列車までに遠景を撮らなくてはと思って、気がせいていたこともあった。
そもそも、旅の終わりが見えてくると、どうしても気分が落ち着かなくなる。
田舎町の路地を歩いていても、「帰りの飛行機に乗るために、そろそろローマの宿を予約しなくては」とか「日本のラーメンが食いたくなった」などと、雑念が脳を駆けめぐるのである。
それでも、最後の力を振りしぼり、町外れの坂を登って、ようやく前日のバスから見た景色の場所にたどり着いた。そこで撮ったうちの1枚が、トップの写真である。
町には2つの丘があった。それはまるで、ふたこぶらくだのよう。
いや、子どものころ、テレビにかじりついて見ていた、ひょっこりひょうたん島のようにも見えた。
イゼルニア行きの発車まで時間がない。次の列車は1時間待てば来るが、こんな暑いさなか、しかも昼休みの寂しい時間、小さな町に一人で残されるのは避けたいところである。
美しい景色に感動する間も惜しんで、坂を降りて駅に向かった。
カンポバッソからやってきた列車は、幸運にも新型車両のミヌエット。
騒音も小さく、しかも涼しい車内に飛び込んで、一息ついた私であった。
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東西南北という方角の意識はないんですけど、駅やバスターミナル、ホテルといった、「戻るべき原点」への方向と距離は、常に把握しながら歩いているようですね。
私の人生とは正反対です \(^o^)/
投稿: 駄菓子 | 2012-09-08 10:44
あぁ、なるほど。私にはその方向感覚がないんだな。東西南北ではなくて、右左でしか位置を把握できないので、斜めに進むと、もう駄目。Y字路一つで、自分を見失います。もちろん、戻ることもできない。
生き方に似ている。
投稿: 風 | 2012-09-07 20:33
駅やホテルの方向を常に意識しておくとか、太陽の向きを見るとかかな。
まあ、このところ小さい町ばかり行っていますからね。
迷いようがないという感じです。
でも、小さな町でも道が曲がっていると方向感覚を失います。
それもまた楽しからずや。
タイトルは、木材の「ヒッコリー」にひっかけました。
うそです。間違えました。直します。
投稿: 駄菓子 | 2012-09-06 21:22
お久しぶりです。いつも思っているのですが、なぜ、迷わずに歩けるのですか?どこに行っても迷いまくる私としては、不思議でなりません。
タイトルが「ひっこり」になってるよ。
投稿: 風 | 2012-09-06 20:50