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2012年9月の3件の記事

2012-09-23

FIAT 500 (フィアット チンクエチェント) パーティーに遭遇!

まだ、この6月のイタリア旅行の話である。
カンポバッソのホテルは、駅の裏口にある「Centrum Palace」。
ラテン語なんだか英語なんだかイタリア語なんだかわからない名前だが、「チェントルム・パレス」で通じた。
駅をはさんで町の中心部とは反対側にあり、駅の地下道を通って行ったり来たりしていた。

古くさい町に似つかわしくない新しいホテルで、内部も清潔。
エアコンの効きもバッチリで、暑くもなく寒くもない。
難点をいえば朝食がばっとしないところだが、もともとイタリア人はカプチーノとせいぜいパン1つくらいしか食べないのだから、これでいいのだろう。

カンポバッソのホテル「Centrum Palace」

ホテルには宴会場もあって、あれこれと地元の集いの場になっているのは、日本の地方都市とよく似ている。
私はそこに4日間(3泊)滞在したわけだが、3日目が日曜日。実は、この日は仕事のためにとっておいた。
日本時間で月曜日夕方までに出さなくてはならない原稿があったのだ。

近代的なホテルにおいて、連日の山岳都市めぐりの疲れを癒しつつ、涼しい部屋でのんびり仕事をするという、我ながら完璧な計画である。

ホテルの駐車場のチンクエチェント

昼メシの時間となり、気分転換を兼ねて町の中心部に出かけたのが1時すぎ。
2時をまわってホテルに帰ってきたところで、我が目を疑った。

門をくぐったところにある駐車場に停まっている車のほとんどが、FIAT 500 (フィアット チンクエチェント) なのだ!
「まさか、何かの間違いにちがいない。さもなくば、これは夢だ!」

そう思って夢から覚める手段をいろいろと試してみたのだが、どうも現実のようである。
気を取り直して見渡すと、手前の駐車場両側だけでなく、奥のほうにもびっしり。
50台は超えていただろうか。これまでに私が見てきたすべてのチンクエチェントよりも多い。

ホテルの駐車場のチンクエチェント

そういえばこの日は、町を歩いていたときに、チンクエチェントが何台も走っているのを目にしていた。
しかも、改造車や変わった色の車が多くて変だなと感じていたのである。

いま一つわけがわからないものの、日当たりのよい駐車場であることを幸いに、私は写真を撮りまくったのである。
なかには、下の写真のような初代チンクエチェント「トポリーノ」まで!
博物館の展示ではなく、ちゃんと公道を走れる状態なのが素晴らしい。

初代チンクエチェント「トポリーノ」

興奮状態の私は、ホテルの入口に貼ってあったポスターを見て、ようやく状況が飲み込めた。
この日は、チンクエチェントのオーナーが年に1回集合するパーティーだったのである。

午前中にツーリングをして、午後にこのホテルでミーティングをしているらしい。
ちなみに、皮のバッグをおしゃれに載せた下の写真の車は、チンクエチェントをベースにしてつくられた姉妹車、アウトビアンキの「ビアンキーナ」カブリオレである。

「ビアンキーナ」カブリオレ

ホテルのフロントに聞くと、カンポバッソでのオーナーパーティーは、年に1回この時期にやっているそうだ。

部屋に戻って涼みながら1時間ほど仕事をしていると、密閉性のよい部屋にも、かすかに車の排気音が聞こえてきた。
パーティーが終わったのだろうと予想をつけ、おっとり刀じゃくなくて、おっとりカメラで駆けつける私。

チンクエチェントのオーナー

案の定、オーナーたちが三々五々、車に戻ってきたところである。
「すいません、私、チンクエチェント大好きなんです。写真撮っていい?」
なんぞと言って、撮ったうちの1枚が上の写真である。
オーナークラブの真っ赤のポロシャツが粋である。
ヘッドライトを4つ目改造してあるのは、初めて見た。

チンクエチェントのお帰り

「走っているところも撮らなくちゃ!」
と、ホテルを出て公道で待ち構える。
色とりどりのかわいいチンクエチェントが、次々にホテルの門をくぐって、東に西に散っていった。

大半の車はナンバープレートに「CB」と記されていたので、カンポバッソ県に住んでいる人なのだろうが、最後の写真の車は「LT」。
ローマの南、ラツィオ州のラティーナ県だから、ここから200km近いのではないか。
しかも、写真を拡大してみると、なんと4人乗っている!

運転しているのは50代とおぼしき親父さんで、助手席には奥さんらしき人、後部座席はその娘か。
親父の道楽に付き合って、狭苦しくて乗り心地の悪い車で山の中までやってきたことを悔やんでいるのか、それとも理解ある家族なのか。
少なくとも親父さんは、ご機嫌な様子で手を振ってくれた。

2012-09-14

イゼルニアで見たものあれこれ

イゼルニア(Isernia)は、モリーゼ州第2の都市にしてイゼルニア県の県都。といっても人口は2万人あまりの小さな町である。
町の東側に新市街や工業地帯があり、駅も新市街にある。
駅から西に向かって20分ほど歩くと旧市街の入口に達する。旧市街は丘の上に尾根づたいに細長くつらなっている。
この写真は、車窓から見たイゼルニアの遠景である。

イゼルニア遠景

実は、カルピノーネから列車でイゼルニアに到着したのは、午後2時ごろ。
だから、やたらに暑い上に、町は昼休みでほとんど店が営業していない。
かろうじて見つけたバールでパニーノを食べて、しばし公園の日陰で休憩をした。

この町では、とくに目をひく観光資源は少ないのだが、いろいろとおもしろいものを目にすることができた。
まずは、昔懐かしい料金表。駅構内のバールにあった。

バールの料金表

ボードの表面が布になっており、そこに溝が切ってあるので、そこにプラスチック製の数字や文字をはめこんでいくわけだ。
これなら、メニューの変更も値上げも簡単。インフレも恐くない。
昔はバールやトラットリーアの必需品だったが、最近ではめっきり見なくなった。

サーカスのポスター

次の写真は、町のあちこちに貼りだされていたポスター。
ショッキング・ピンクの地に、この顔だから、かなり存在感がある。
"MOIRA ORFEI la regina del circo"と書かれている。
「サーカスの女王 モイラ・オルフェイ」ということらしい。サーカスのお知らせであった。
名前と顔からして、ブラジル人か。

旧市街の入口

さらに西に向かってだらだらと坂を下っていくと、旧市街の入口らしき門があった。
時計塔を兼ねているようである。

それにしても、駅からずっと下り坂なのである。
すでに汗びっしょりになっているなか、帰りが思いやられた。

旧市街のちょうど中央部あたりにあったのが、下の写真の建物。
見るからに教会であるが、左右対称ではなくて右側に増築されているので、いかにもバランスが悪い。
似たような建築はスルモーナにもあったところを見ると、アブルッツォ・モリーゼの専売特許なのか。

教会改造の庁舎

もともとは教会だったものが、のちに市の庁舎として使われたらしい。
写真の右には、それらしき新しい建物がある。

そして注目は、この元教会の壁に取り付けられた "ALLE QUATTROMILA VITTIME DEL 10 SETTEMBER 1943" というプレート。
あとで調べてみると、1943年9月10日に連合軍の空襲があって、4000人の犠牲者が出たという。
こんな平和そうな田舎町でも、つい数十年前にはそんなことがあったのだ。

食料品店の店先

この写真は、食料品店の店先。
昼休みだから閉まっていたのだが、これでもかという貼り紙に感心した。
注目は、右上の「ニセモノはストップ! ロンガーノのパン」という貼り紙。
これまた調べてみると、ロンガーノ(Longano)というのはイゼルニアの南にある小さな村のことで、どうやらここのパンが有名らしい。
この店では、ニセブランドパンではなくて、本物のロンガーノのパンを扱っているというわけだ。

病院

そして、だらだらと坂を下っていったら、とうとう旧市街も突き抜けてしまった。
そこにあったのは、田舎町にしては大きめなショッピングモールと病院。
しばしショッピングモールで涼みながら、日本へのお土産を物色した。

で、この写真は病院なのだが、驚いたのが写真右下にある広告。
「Onoranze Funebri」というから、葬儀屋である。
もちろん、社名と電話番号も書いてある。
病院の前に葬儀社の広告とは、日本の感覚ではかなり驚くが、よく考えてみると便利ではないか。
私の父が死を目前にしたときは、家から遠い病院だったこともあり、どの葬儀社に相談すればよいのか迷ったものである。結局、病院の先生に尋ねることにしたが。

それはそうと、駅からすでに2km近く歩いてしまっていた。
しかも、帰りはずっと登り坂である。そのうえ、お土産をしこたま買い込んでしまっていた。
重い。
暑い。
自分自身のあまりに計画性のない行動に茫然としつつ、もしやと思ってバス停を探したら……あった!
そう、病院というのは、どの町でも必ず市内バスが経由するのである。
しかも、南部では珍しく、時刻表とともに路線図が書かれていた。

それによると、30分に1本のバスがあと5分でやってくる。しかも、乗り換えなしに駅まで行ける。
バスの切符は、なんと病院内のバールで買うのだった。
私は病院の門をくぐり、ちょっと消毒薬臭い白衣の人びとにまじってパスの切符を買い、ほっとしたついでにコーヒーを注文したのであった。

2012-09-04

ひょっこりひょうたん丘上都市: カルピノーネ

2週間のイタリア旅行から帰ってきて、すでに2か月を過ぎ、だらだらと続けていくのも気が引けてくる今日このごろ。今回の旅行で訪ねた最後の丘上都市の話である。

カンポバッソ滞在の2日目に訪ねたのは、州第2の都市であるイゼルニア(Isernia)と、その道程の中間にあるカルピノーネ(Carpinone)である。

カルピノーネの遠景

カルピノーネが素敵な形の丘上都市であることは、前日のバスの車窓から確認していた。
また、前夜のトラットリーアの主人も太鼓判を押していたのだから間違いない。
というわけで、カンポバッソをのんびりと昼ごろに出発。エアコンが効いてないために窓全開で、おかげで騒音満点のディーゼルカーでカルピノーネに向かった。

メルカート広場

町はずれにある駅に降りたのは、私も含めて4人。ほかの3人は家族なのか、駅まで車で迎えが来ていた。
私は、「はて、きのうバスの車窓から目にした町の遠景はどこに行けば見られるのか?」と迷ったが、もとより大きな町ではないので、足の向くまま中心部に向かって歩いていくことにした。
次のイゼルニア行きまでは約1時間、その次はまた1時間後である。

シャツをびっしょりと汗でぬらしながら、たどり着いたのが2枚目の写真のメルカート広場。
旧市街の入口のようだ。

丘の上の教会

この丘を登ってしまうと、当然町の遠景は見られないのだが、ここまで来たら頂上に行くしかない。

だが、もうすでに旅の疲れがたまりにたまっているうえ、この日も痛いほどの日射し。

「もっと早くホテルを出て、午前中に来ればよかった」
我と我が身に向かって、ひとり言の泣き言をいう私であった。

結局、教会の名前も記録することなく、しかもその背後にあった城砦もろくに見ないで、丘を下ってきてしまった。
あとは、旧市街をだらだらと散歩。

カルピノーネ旧市街

今、写真を見返して見ると、なかなかいい町で、もっとゆっくり腰を据えて見ておけばよかった。

だが、すでに何日も素晴らしい山岳都市・丘上都市をまわってきたものだから、感動が薄れてしまっていたのも事実である。

それに、次の列車までに遠景を撮らなくてはと思って、気がせいていたこともあった。

そもそも、旅の終わりが見えてくると、どうしても気分が落ち着かなくなる。
田舎町の路地を歩いていても、「帰りの飛行機に乗るために、そろそろローマの宿を予約しなくては」とか「日本のラーメンが食いたくなった」などと、雑念が脳を駆けめぐるのである。

カルピノーネ遠景

それでも、最後の力を振りしぼり、町外れの坂を登って、ようやく前日のバスから見た景色の場所にたどり着いた。そこで撮ったうちの1枚が、トップの写真である。
町には2つの丘があった。それはまるで、ふたこぶらくだのよう。
いや、子どものころ、テレビにかじりついて見ていた、ひょっこりひょうたん島のようにも見えた。

カルピノーネ駅

イゼルニア行きの発車まで時間がない。次の列車は1時間待てば来るが、こんな暑いさなか、しかも昼休みの寂しい時間、小さな町に一人で残されるのは避けたいところである。
美しい景色に感動する間も惜しんで、坂を降りて駅に向かった。

カンポバッソからやってきた列車は、幸運にも新型車両のミヌエット。
騒音も小さく、しかも涼しい車内に飛び込んで、一息ついた私であった。

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