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2012-08-11

100人のアミーコか1人のアミーカか: フェッラッツァーノへのタクシーで学んだこと

モリーゼ州の州都カンポバッソに到着したのが、夕方の5時過ぎ。
晩秋の旅行だったら、ここでホテルで一休みしたのち、晩飯を食べに町に繰り出すところだが、夏至に近いころとあって、まだ太陽はかなり高い。
そこで、カンポバッソの郊外4、5kmほどのところにある小さな町フェッラッツァーノ(Ferrazzano)に行くことにした。カンポバッソの町なかからも見える、かわいい丘上都市である。

フェッラッツァーノ遠景

だが、すでにバスは最終便しかない。片道を歩くか……と思っていたら、駅前にタクシーがとまっていた。近くの日陰で休んでいた運転手は、70近いと思える年配の男性である。
私の体験からして、イタリアのタクシーは若い運転手ほど誠実である。スルモーナでも行きは5ユーロ、帰りは呼び出しだったので6ユーロと納得の価格。「コーヒーでも飲んで」と1ユーロを余計に渡すと、とっても喜んでくれたのが印象的である。

ところが、年配の運転手となると、よくも悪くも昔のイタリア気質が残っていて、請求額が高かったり、「明日はどこに行くんだ、タクシーで行かないか」としつこかったりするのがお決まりである。ちょっと不安がよぎった。

フェッラッツァーノ

「まあ、そのときはそのときのこと。乗りかかった船、いや乗りかかったタクシーだ」
と、例によって楽天主義の私は、エアコンのついていないタクシーに乗り込んだ。真夏の日射しのなか、駅前に停めてあったタクシーの車内はかなり暑い。そして私は、昔のイタリアのタクシーの習慣のまま、助手席に座らせられたのである。
案の定、田舎のタクシーによくあることで、メーターはついていなかった。

フェッラッツァーノ

しばらくはカンポバッソの市街地を走るのだが、さすがに年の功である。

歩道を行く友人、ベンチで休んでいる知人を見つけては、クラクションを鳴らしたり大声をあげたりして挨拶する。
もちろん、相手も手を振り、声をあげてご挨拶。
200m走るごとに一人は知人がいるといった具合である。

「知り合いが多いんだねえ」
感心して言うと、彼はこう答えた。

「ああ、でも、こういうことばがある。『アミーコは100人でも少ない。だが、それより重要なのは1人のアミーカだ』とね」

私は、これを聞いて思わず拍手をした。ちなみに、アミーコとは男の友人、アミーカとは女の友人のことである。このことばを聞いただけで、相場の3割くらい高い請求が来ても甘んじて受け入れようと思った。

フェッラッツァーノの小さな広場
「ところで、あんたは学生さんかい?」

久しぶりの質問に、私は少々たじろいだ。10年以上前には、よく聞かれたが。

「い、いや。仕事をしているよ、日本で。バカンスでやってきたんだ」
「そうか、観光客がもっとモリーゼに来てほしいね。モリーゼには木々もある。水もある。飯もうまい。でも、仕事がない」
深みのあるおことばである。

「でも、ローマやナポリからはそんな遠くないよね」
「いや、ナポリからも200km以上あるんだ」

もっとも、大都市から遠い山のなかにあるからこそ、州都でさえも素朴な雰囲気が残っている。
私のようなへそ曲りな観光客には、そこが魅力的なのだ。
でも、そんなやつらだけを相手にしていては商売が立ち行かないのは道理。なかなか難しい問題である。

フェッラッツァーノからカンポバッソへ

それにしても、いくら東洋人が若く見えるからといって、私を学生だと思ったこの運転手の視力には問題があるのではないか。
市街地を離れ、カーブが連続する道をはたして、うまく丘上までたどりつくのか──やや不安に感じたが、なんとか無事に到着した。

「いくら払えばいい?」
こういうときは、Quanto costa? ではなく、Quanto devo pagare? と尋ねることにしている。
本当にそういう言い方が適当かどうかはわからないが、そのほうが相手の良心に訴えかけるのではないかと、勝手にそう思っている。

「15ユーロ」
なかなか微妙な金額を言ってきた。20ユーロと言われたら、「高いなあ」と文句の一つも言おうと思っていた。気分的には12~13ユーロだったが、まあチップ込み、端数切り上げということでいいだろう。
「ありがとう、バイバイ」

フェッラッツァーノからカンポバッソへ

……と、ほとんど前置きだけで終わってしまった今回の話だが、フェッラッツァーノの町は、使っている石が白っぽいからか、とても明るい印象を受けた。

帰りは下り坂だし、風も吹いて涼しくなってきたので、バスを待たずに歩いて帰ることにした。
すると、タクシーでは気がつかなかったが、夕刻のカンポバッソとフェッラッツァーノを結ぶ道には、ジョギングやウォーキングをする人たちがひっきりなしに通っているではないか。ちょうどいい距離と勾配なんだろう。下から2番目の写真に、そんな人たちがちらりと写っている。

そして最後の写真は、イタリア名物「右に行っても左に行っても……」の標識。どちらにも「カンポバッソ」がでている。
迷った末に右を選んだが失敗だった。200mほど歩いて、かなりまわり道だと気づき、蒸し暑いなかを分かれ道まで戻ってきた私であった。

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イタリアの旅 北から南まで」カテゴリの記事

コメント

ムラスギさん、ごぶさたです!
今年のイタリア特派は終了ですか?
それがイタリア人なんですかね。なんか中途半端(笑)

不思議なことに、私の見聞きした範囲で、イタリア男の意見では、日本男のほうが女遊び(という言い方が適当かどうかわかりませんが)をしているように思っているようです。
うーん。

私がFIRENZEでアパートを借りていたときの大家はこう私に云いました。100人の女性と知り合いたい、でも愛するのはただ一人、妻だけ、と。さすがイタリア男。女としてはウーーン?でしたが。

POOh!さん
……というわけで次の記事で発表しました!
まあ、モリーゼが最後の州だったというだけのことなのですが。
でも、モリーゼは見れば見るほど奥深いところがあるので、宣伝大使になるのもやぶさかではありませんね(笑)
魅力的な山岳都市もあるし、西部のほうには、その昔クロアチア人やアルバニア人がやってきてつくった村があるそうです。
アルバニアの村はカラブリアやプーリアにもありますが、クロアチアの村というのは珍しいのでは。

モリーゼ州と駄菓子さんに関しての重大発表…。
なんだろ。
モリーゼ州を宣伝する大使を仰せつかったとか(笑)ワクワク。

POOh!さん、モリーゼは小さいから、わざわざ足を運ばないとなりませんよね。せいぜい、海に面したテルモリあたりを通過するだけかな。
ところで、モリーゼ州と私に関して、次の記事で大発表(?)があります。

ikeさん、やっぱりそうですよね \(^o^)/
私はアミーカが100人でもいいですが。
ま、あまり多いと、それはそれで大変でしょうし。
ちなみに、女性の読者の方は、アミーコとアミーカを逆にして読んでください。老爺心ながら。

…一票入れて何がどうなると言うのか。

Moriseって、さんざん通過したり周辺グルグル廻ってるのに、「行った」ことがないことに気づきましたがな!

私も、1人のアミーカに一票

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著書

  • 辞書には載っていない⁉ 日本語[ペンネーム](青春出版社)
  • 社会人に絶対必要な語彙力が身につく本[ペンネーム](だいわ文庫)
  • 『ようこそシベリア鉄道へ』(天夢人)
  • 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)
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