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2011年11月の4件の記事

2011-11-27

見沼田んぼから大和田町へ

先週の晴れた日、仕事のついでに大宮から出る東武野田線に乗って大宮公園駅へ。
そこから一駅、大和田まで歩いた。

このあたりは見沼の北西部にあたり、「見沼田んぼ」という呼び名がぴったりの田園地帯である。
まずは、見沼代用水を渡る野田線の写真をパチリ。
野田線には、今流行りのアルミやステンレス製の銀色ボディーなんて1両もない。
全車両が8000系という質実剛健な鋼製ボディー車の天国である。

見沼代用水と東武野田線

線路近くのくねくね道を歩いていたら、何やら鳥居が見えてきた。
なかに入ると、木々の間に、小さなしかし由緒ありそうな祠が立っていた。

見沼のくねくね道

さらに東に歩いていくと、徐々に家が密集してきて県道に出る。
それまでの牧歌的な風景から、突如、現実に戻されたような印象である。
ところが、それも一瞬のこと。県道を渡り、さいたま市大宮区寿能町から見沼区大和田町に入ると、また興味深い光景が現れた。

大和田町の門

今どきの集合住宅や戸建て住宅にまじって、こうした由緒ありげな神社や立派な古い門がそこかしこに見られる。
これは、立派な門だ。
文化財にでも指定されているかと思ったが、そうでもないらしい。

大和田町の社

ぶらぶら歩いているだけで、ここが江戸時代から開けた場所だったということがよくわかる。
そして、こんな大木に守られた小さな神社も。
写真右下には、「チカン 空き巣に注意!」という看板があるが、それもまた趣深い。


そういえば、さいたま市発足のときに、見沼区という名称について話題になったことがあった。
不動産屋などは、「沼」という漢字をひどく嫌うのだそうだ。
一部の住民も、「沼」という地名では土地や住宅の資産価値が下がるので反対していたという。

大和田町の門

実際の見沼とはちょっとずれているのが難点だが、それでも後世にこの地名が残ったことは、悪くはないのではないか。
Wikipediaの「見沼区」の項には、そのことに触れることなく、区名採択に対して批判的な見解が書かれていたが、ちょっと一方的ではないかと思う。

2011-11-15

夕暮の谷中墓地・三崎坂散歩

小春日和だった週末、用事のついでに日暮里駅南口で下車。
谷中墓地から三崎坂(さんさきざか)を散歩した。

谷中墓地

ちょうど木々が色づきはじめたこともあって、同じことを考えている人たちが墓地を散策していた。
それにしても、いつも思うのだが、墓地を散策してすがすがしい気分になるのは、日本ならではのことかもしれない。
少なくとも土葬が中心の西洋では、墓地といえばおどろおどろしい場所なんだと思うが。

谷中墓地入口

このあたりは、江戸のはずれだったためか、染井霊園、雑司ケ谷墓地など、墓がずいぶんあるが、どれも周囲の家々と連続しているところがおもしろい。
墓地の周囲が塀で囲われているわけでもなく、どこからでも、ひょいと入れるのである。

日常生活に墓が密着しているというべきか。
名古屋出身の妻は、そんな情景を見るたびに驚き、怖がっている。

三崎坂

名古屋市では、戦後、あらゆる宗派の墓をまとめて一大墓地をつくってしまった。そこに行くと、見渡す限り墓地になっていて壮観ではある。
それなりに効率的な都市計画なのかもしれないが、墓が日常生活とまったく切り離されてしまったのはいかがなものか。町のなかに墓があるほうが、人の生死を考える機会が多いために、子どもの情操教育にいいのではないかと、勝手に思うのである。

三崎坂

などと、能書きを垂れているうちに、写真は三崎坂へ。谷中から千駄木の交差点に下る坂である。
この坂は、谷中のなかでも、とくに昔ながらの情緒を残しているところである。

30年ほど前にくらべれば、建て直された家も多いが、それでもなお雰囲気がある。
しかも、最近の谷中ブームにもかかわらず、観光客向けの店がほとんどない。

三崎坂

坂を下ってくると、交通量が増え、高層マンションが何棟も目の前に現れる。千駄木の交差点をそのまま直進すると、そこは団子坂である。

谷中や三崎坂の20~30年前の写真は、拙ホームページのこちらにあります。

2011-11-07

神楽坂裏にたたずむ象2頭

日曜日は、久々に神楽坂に行く用事があり、そのあとで、ぶらぶらと江戸川橋まで散歩をした。
お決まりのコースである。
そんないつもの散歩道でも、目をこらしているといろいろと発見があるものだ。

あかぎ児童遊園の象

今回は、赤城下町を貫く細い道を歩いていたときのこと。
なぜか、前を歩く人が、道とは思えない場所を次々に曲がっていく。
おかしいなと思って覗き込むと、「あかぎ児童遊園」とあった。小さな公園の入口だったのだ。
とはいえ、曲がっていったのは大人ばかり……。

じつは、この狭い児童遊園が、神楽坂方面への抜け道になっていたのだ。
そして、そこで見つけたのが、この象のすべり台である。

あかぎ児童遊園の象

象の鼻の部分がすべり台になっているところまでは思いつくかもしれないが、それが上下2頭になっているところが凝っている。
しかも、上の象は牙があって、下はない。夫婦なのだろうか。
表情も微妙に違っていて芸が細かい……ような気がする。

あかぎ児童遊園の象


上に立ってみると、意外に傾斜がきつい。

小学校低学年までなら、かなり度胸がいるかもしれない。でも、高学年になったら、すべり台なんかで遊ばないだろう。いや、今どきは、低学年の子もすべり台で遊ばないのかな。

私はといえば、すべりたい気持ちを抑えて、階段をくだっていくことにした。

それにしても、この一帯は、すぐ近くに神楽坂があるとは思えないほど、ひそやかな町である。
そんな町にたたずむ象2頭は、場違いなようでいて、なんの違和感もなくなじんでいた。
いや、トップの写真をよく見たら、と、手前に象がもう1頭いた。

赤城下町


最後の写真は、象のすぐそばの家並みである。

2011-11-02

新潟・魚沼の山奥で芋掘り

新潟・魚沼といえば、うまい米の一大産地。
その山奥まで行って、人生初の体験をしてきた。

魚沼の道

私と妻は市営の温泉宿に一泊。日曜日の朝に、マイカー組と合流した。
知り合いの農家の掘っ立て小屋で、一夜を明かした彼ら。
いい年をしているのに、元気なアウトドア派のおっさんたちである。

炭焼き小屋

ここはまだ里の近く。集落もすぐそばにある。
上の写真は炭焼き小屋。炭焼き小屋というのは、山の中にあるとばかり思っていたので、意外であった。
さて、ここから車に分乗して出発である。

”紅葉の渓谷"

紅葉のはじまった沢沿いを、ひたすら上流へ。
舗装道路も終わり、周囲は先日の豪雨の爪跡が痛々しい。70歳ほどと思われる農家のおじさんが、生まれてはじめてのすさまじい雨だったというのだから、想像もできないほどである。
渓流に棲息している岩魚も、ずいぶん流されてしまったそうだ。

アケビ

いきなり先行の車が止まった。何か思ったら、道端にアケビの実があるという。
それがこの写真。ちょうどいい色に2つ実っている。

よくこんなものを、車内から見つけるもんである。あなどりがたし、アウトドアおやじ軍団。

勧められて食べた。二つに割った中身は、まるでカエルの卵のよう。黒い種をぬるぬるの透明なものが包んでいる。
この透明なものを食べて、種はペッと捨てる。甘い。
「ここで食べるからいいんだよな。持って帰って食べるほどでもないよ」
アウトドアおやじの名言である。
砂糖が貴重品だった大昔なら、アケビの甘さは何にも代えがたい素晴らしい味だったに違いない。

山奥の現場

「ここらでいいか」という感じで2台の車は停車。
さあ、これからが大仕事。自然薯(じねんじょ)掘りである。
汚れてもいいように防護服(!)に着替え、虫よけスプレーをして、藪に分け入る。

「むかご」がなっている蔓(つる)を見つけて、その蔓が地中にもぐっている場所を探す。蔓は幾重にも行ったり来たりしているので、初心者はそれを探すだけでも一苦労である。見つかったら、そこを目掛けてスコップで地中を掘るわけだ。

自然薯掘り

白装束で崖を崩している小集団は、どう見ても不審者である。
が、ここを通る人はほかにいない。
初体験の私は、自然薯を折ってはいけないと、どうしてもへっぴり腰になってしまう。しかも、運動不足の身には、かなりの重労働である。

自然薯

そして、男4.5人が約2時間かけた収穫の一部がこれ。私は見習いなので0.5人前である。女性2人は見学であった。

これだけでも、市場で売れば相当な金額になるはずである。最終的にはこの2倍近くになったかな。
もちろん、掘った穴はなるべく原状回復して、芋が来年以降もできるように根を残しておくのが不文律である。

そして、里のベースキャンプに戻り、均等に分けた分け前をもらう。
狩猟採集生活での原始共産制というのは、こんな感じだったんだろうなあ。

翌日のわが家の夕食は、もちろん自然薯のとろろ。すったそばから酸化するのか、すぐに変色する。つまり、還元作用があるのかな。そしてよく粘る。
こんなものを、しばらく食べ続ければ、人一倍元気になるに違いない。

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著書

  • 社会人に絶対必要な語彙力が身につく本[ペンネーム](だいわ文庫)
  • 『ようこそシベリア鉄道へ』(天夢人)
  • 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)
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