茨城県那珂湊 津波と海鮮丼
夏の思い出を語るには、まだまだ蒸し暑い今日このごろであるが、多忙でまとめることができなかった記事を、遅ればせながら公開したい。
まずは、7月17日の茨城県那珂湊(現ひたちなか市)。
仕事(一応)で、勝田から出ている第三セクター私鉄・ひたちなか海浜鉄道(旧・茨城交通湊線)に乗りに行ったときのことである。
某編集者から、旧国鉄色の車両を撮影することを依頼されていたのだが、当日はダイヤを確認せずに出るという初歩的なミス。目当ての車両はすべて、終日車庫の中に眠っていた。
しかたがないので、締切り前に再訪することにして、あっさりと仕事は終了。
ぶらぶらと町歩きをすることに決めた。高校生のとき以来だから、30数年ぶりである。
これが那珂湊駅。駅舎はたぶん当時のままだろう。
この真っ青な空を見ると、当日の暑さを思い出す。
まず、駅前の食堂で冷し中華を注文。
おばちゃんが一人でやっていた。なかなかウマい。
店内には、ひたちなか海浜鉄道の写真が所狭しと貼ってあった。
第三セクター化されてからは、地域の人の知恵や力を借りて、いろいろなイベントをやっているそうだ。
駅前を走る県道を渡り、古い町がありそうな場所をうろうろ。
まず目に入ったのが、この立派な木造商家。和菓子屋であった。
看板には、「銘菓の老舗 水戸 あさ川 那珂湊店」とあった。
ぽつりぽつりと古い家があるものの、空き地も多くて、いま一つ活気が感じられないのが寂しいところである。
真夏の太陽を浴びて、あとの楽しみは「那珂湊おさかな市場」で刺身を食べること。
ひたすら漁港に向かって歩いていった。
港に近づくと、釣りをしている人の姿も見えて、のんびりした感じ。
と思ったが、海岸近くの地面はこうだった。津波のせいか、舗装した部分がぼろぼろになっていたのである。
漁港の建物は写真左奥にある。そこに行くと、駐車場の柱に「津波はこの高さまで来ました」という手書きの貼り紙があった。最大の津波の高さは4メートル以上に及んだと聞く。
それでも、那珂湊地区で人的被害がないというのは幸いであった。
漁港近くにある「おさかな市場」でも大きな被害を受けたそうだが、すでに営業を再開していた。
まだまだ賑わっているというわけではなかったが、人も集まりはじめていたようだ。
私は、市場と町の復興を願って……なんていう照れくさいことは思いも寄らず、ただひたすら腹が減ったので海鮮丼を食べたのであった。
最後の写真は、那珂湊の隣の無人駅、中根駅である。
このときはまだ、震災の影響でひたちなか海浜鉄道の一部区間が運休していた。
全線の運転が再開されたのは、その1週間後である。
その日に私は再訪することになる。
« 日暮里・諏方神社 露店と里神楽 | トップページ | ひたちなか海浜鉄道・全線復旧の日 »
「ニッポン旅ごころ(東京、沖縄以外)」カテゴリの記事
- 道路が拡幅されて──『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』から(4)(2019.11.03)
- 宿場町の面影──『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』から(3)(2019.10.26)
- 消えた水辺──『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』から(2)(2019.10.24)
- 新しい道ができていた──『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』から(1)(2019.10.20)
- 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』上梓!(2019.09.28)
吉田様、はじめまして。
ひたちなか海浜鉄道の方ですか。
記事でも書いたとおり、その翌週(全線開通日)にもいきましたので、次はそのときの話を書きますね。
投稿: 駄菓子 | 2011-09-14 00:00
道路もだいぶ整備されました。
またどうぞ。
これからおさかなもおいしくなります。
(吉田)
投稿: ひたちなか海浜鉄道 | 2011-09-13 09:02