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2011年8月の4件の記事

2011-08-30

堀内孝雄「時の流れに」PVに写真を提供

堀内孝雄さんが歌う「時の流れに」(作詞:中村行延 作曲:堀内孝雄)という曲のPV(プロモーション・ビデオ)に、写真を提供しました。
元・アリスの堀内さんです。

歌詞は、時の移り変わりを歌ったもの。
そのPVの中の挿入映像として、ホームページ で公開している「東京 -昭和の記憶-」から、8組16枚の新旧風景の写真が登場します。

古い写真は大半が1980年代のもの(一番古いのは1969年-中学1年生のときに撮った写真)。
わずか(でもないか…)の間に、ずいぶん町の風景が変わりました。
映像制作会社の方が、うまく位置合わせ、オーバーラップ処理をしてくださり、いい感じになっています。

YouTubeのオリジナルページは ここ

2011-08-20

『歎異抄』(関西弁訳)

親鸞聖人による「他力」の教えをまとめた『歎異抄』(たんにしょう)を、なんと関西弁で訳したものである。
はたして『歎異抄』を関西弁で訳すことに意味があるのかといえば……頭の固い人にはおもしろくないだろうが、私はあると思う。そもそもこの書物自体、親鸞聖人亡きあと、その教えが師のものと「異」なっていることを、弟子の唯円が「歎」き、師の口述をまとめたものである。
だったら、人びとに教えを広めた口調で訳してちっとも不思議ではないと思う。実際に親鸞聖人が、どんなお国ことばで話していたかは別として。
原文もついているので、古文の勉強にもなるし、関西弁の勉強にもなる、かもしれない。

『歎異抄』(関西弁訳)

かの有名な「悪人正機の教え」の一節の前半は、原文では次のように記されている。
「悪人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを 世のひと つねにいはく、悪人なを往生す、いかにいはんや善人をや。この条、一旦そのいはれあるににたれども、本願他力の意趣にそむけり。そのゆへは自力作善(じりきさぜん)のひとは、ひとへに他力をたのむこころかけたるあひだ、弥陀の本願にあらず」

これを、この本はこう訳している。
「善(え)え奴が往生するんやさかい、ましてや悪い奴がそうならんはずがない。世間のしょうむない奴らは、悪い奴が往生するんなら、なんで善え奴がそないならんことあるかいなというとるけど、なんや理屈に合(お)うとるようやけど、それは『ひとまかせ(=他力本願)』ちゅうモットーにはずれとるんや。つまり、何でも自分の力でやろうと思うとる奴は、『お願いします』ちゅう気持ちの欠けている分だけ、アミダはんのいわはる誓いと違(ちご)うとる」

なんとすっきり心に入ってくることだろう。
自力本願がかなわぬゆえ、迷いの尽きない凡夫である我々の目の前に、親鸞聖人がすっくと立ち現れて、優しくせつせつと説教してくれているようにさえ思える。
賛否両論はあろうが、まさしく、目のうろこが落ちる(この表現自体は、異教の聖典である『聖書』という書物にあるそうなのだが)気分である。

思えば、かの大震災以後、いかに数多くの善人が世の中に出現したことか。
でも、新聞やネットで「学級委員の主張」のような「正論」ばかり読んでいると、少し息苦しい。「ちょっと待ってくれよ」と、へそ曲りの虫が騒ぎだすのである。

善人の定義をどうするかは論議があるだろうが、現代語の語義のまま、私は「自分はいいことをしていると思っている人」「自分の言動や行動に、いささかの疑問も抱いていない人」として解釈したい。
もちろん、そうした善人の方々の発言や行動が、「なにか、自分にできることをしなくては」という、ある種の使命感や焦燥感にかられてのことだということは理解できる。

でも、「自分はいいことをしている」と、かすかでも思い込むと厄介である。そう思った瞬間に、世の中を一つの価値観で判断するようになってしまうのだから。それはやがて、「自分はいいことをしているのに、なぜ理解できないのだ」「自分の意見に反するやつは悪だ」という発想につながってくる。
だから「善人」は救われないのだ。

結果的にいいことをしたのなら、それはそれでいい。でも、「自分はいいことをしているぜ」「自分が世の中をよくするんだ」なんて思ったら「善人のはじまり」である。「やりたいからやっているだけ」「気持ちいいから続けているだけ」というスタンスを守っていきたい。

世の中はなるがままにしかならないのだ。
「『自分たのみ(=自力本願)』という心を入れ替えて、まあ『あんじょう頼んます』と願(ねご)うとれば、ホンマもんの極楽行きも間違いなしやで」と親鸞聖人は教えている。

(発行:光文社 古典新訳文庫、著者:唯円、訳者:川村湊、定価:533円+税、初版発行:2009年9月20日、ISBN978-4334751937)

2011-08-13

吾妻線----ダム底に沈む川原湯温泉駅あたり

前回に続いて、先月に行った川原湯温泉あたり。
今回は、駅とその周辺である。

川原湯温泉駅

川原湯温泉駅があるのは、上越線から渋川で分岐する吾妻線(あがつません)だ。
大半の列車は高崎から直通。
ここには、首都圏では珍しくなった湘南色(オレンジと緑のツートンカラー)の近郊型115系電車が走っている。
じつは、このときの用事というのは、鉄道雑誌の記事のために、吾妻線を走るこの115系電車を撮ることであった。

川原湯温泉駅

川原湯温泉駅付近は、前回も書いたように、八ツ場ダムの建設によって水没の運命にある。
それにともなって、吾妻線の線路も、川原湯温泉駅前後で高い場所に付け替えられる予定だ。

駅を降りて眺めると、ホームも駅舎も、いかにも昔の駅というたたずまい。
水没してしまうのだから、金をかけて改修することもなかったのだろう。

昼前の列車を降りたのは、ほんの2、3人。川原湯温泉という観光地を控えているはずの駅だが、ひっそりして駅前にはタクシーも止まっていなかった。
ドライブでやってきた年配の男女が数人、たまたま駅前の自動販売機で飲み物を買っているのみであった。

吾妻川を渡る特急「草津」

まずは撮影場所を探そうと、駅前から西に向かって、長野原草津口駅方面に歩いて行った。

そして、すぐに目に入ったのがこの鉄橋である。
私の乗った列車の直後にやってきたのが、この185系特急「草津」。
並行する道路から安直に写真を撮ることができた。もちろん、雑誌用にも同じ場所で115系電車を撮ることになる。

吾妻川の渓谷

さらに、西に歩いていくと、道路に沿って渓谷が現れた。吾妻川である。
なかなかいい眺めなのだが、ダムができるとこのあたりも、すべて湖の底になってしまう。

上の写真の中央に見えるのは道路のトンネル。そのやや右上、山の中腹になにやら建物が見えるが、それが前回紹介した川原湯温泉の家並みである。

吾妻川の渓谷

そのまま歩いて撮影場所を探そうとしたのだが、吾妻線はトンネルに入ってしまい、なかなか顔を見せない。
当日は、35度を越える気温で、これ以上歩くのは危険だと判断した私は、そのまま駅に戻ったのであった。

この写真には、橋が2本写っているが、はるか上を走るのが、開通したばかりの不動大橋。
仮称では湖面2号橋と呼ばれていた橋である。ダムができると、この橋の橋桁近くまで水がたまるはずだ。
もちろん、手前の橋は湖底に沈むのである。
想像しただけで息苦しくなったのは、熱中症の初期症状だけだったのか。

川原湯温泉駅

あとは、駅に戻る道々、来る途中に目星をつけておいた場所で電車を撮影。
さらには、駅の反対側にある日本一短い鉄道トンネルである樽沢トンネルまで、最後の力を振り絞って30分ほど歩いたのであった。

帰りの電車は、そろそろ夕方の通勤通学時間にかかってくるからなのだろう、ロングシートの107系がやってきた。

この日の吾妻線をはじめ、首都圏の国鉄色車両を撮った記事は、8月10日に発売された『国鉄色』(COSMIC MOOK 鉄道を撮る)に掲載されています。

2011-08-08

川原湯温泉----八ツ場ダムの底に沈む温泉

先月のなかば、仕事で群馬県に行く用事があった。
そのついでに立ち寄ったのが、川原湯温泉。
高崎駅から吾妻線直通の普通列車で、1時間あまり。
榛名山と草津の間、吾妻川に沿った場所にある。

川原湯温泉

昨年の政権交代の前後には、八ツ場(やんば)ダムの建設を差し止めるかどうかで、話題になった場所にある。
八ツ場ダムが完成すると、川原湯温泉駅から川原湯温泉一帯がダム湖の底に沈み、吾妻線も一部路線を付け替えることになっている。

川原湯温泉

温泉の入口までは、川原湯温泉駅から歩いて5分ほど。
ダム湖に沈むというから、駅から道を下っていくのかと思いきや、ずっと登り坂であった。

川原湯温泉

平日の昼下がりということもあったのか、観光客は立ち寄り湯に来た若者のグループを目にしたのみ。あとは、地元の人を数人見かけた程度であった。
写真の一本道に沿って宿が並んでいる。

川原湯温泉

賑やかな温泉街を想像していたが、射的やお化け屋敷があるわけでもなく、山道に沿って温泉宿が建ち並ぶ、昔ながら湯治場という印象だった。

集落の入口から奥までは300mほど。奥には神社があった。川原湯神社というらしい。

川原湯神社

なかなか雰囲気のある神社である。
宗教心に欠ける私だが、大枚100円ほどを賽銭箱に投げ、形ばかりの参拝。
目を引いたのは、周囲にある道祖神や石仏、石塔などである。

これも、ダムの底に沈めてしまうのはもったいない。
新しい土地に運んでいくのだろうか。

神社の周囲にあった道祖神や石仏、石塔

本当は立ち寄り湯に入りたかったのだが、時間がなくて断念。
その代わり、神社に向かう階段の下に設けられた足湯に、しばしつかる私。
当日は35度を越える酷暑だったので、誰も見ていないのをいいことに、ここで靴下だけでなく、汗びっしょりになったシャツも着替えることにした。
ただし、パンツの履き替えは、帰りの高崎駅まで持ち越しとなる。

湖面1号橋の橋脚

最後の写真は、駅への帰り道、吾妻川の対岸に見えた建設中の橋脚である。
湖面1号橋と呼ばれている橋で、ダムができると、あの橋脚の上部あたりが湖面となる。つまり、そこまでにあるものはすべて水没するのだ。なにもかも。
橋の近くには、移転先の住宅工事が進められているそうだ。

(次回は、ここを走る吾妻線を紹介します)

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