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2011年7月の10件の記事

2011-07-30

懐かしの国鉄ホーロー看板・池袋駅

国鉄時代には、どこでも見かけたホーロー看板。
かつては、駅名、行先、方面など、あちこちにホーローの看板が使われていたものだった。
それが、最近になって人知れず消えつつある。
と思っていたら、先日池袋駅でたまたま目に入った。

池袋駅のホーロー看板

外回りのホームである。1本電車を遅らせて撮影。
ネットで調べてみたら、案の定、もっぱら駅のホーロー看板を探して撮影しているマニアがいることを知った。

2011-07-29

イタリア鉄道の路線図

さて、いよいよ2011年早春イタリアの旅、総集編の最終回。
今回の旅での最大の驚きがこれ。
イタリア国鉄(実際には分社化、上下分離したからイタリア鉄道と呼んでいるのが普通だが)の路線図である。

イタリア鉄道の路線図

日本なら当たり前だが、あのイタリアの鉄道の車内に、路線図が掲示されていたのである。
しかも、見やすい。
それも、フィレンツェとピサを結ぶ線という、比較的ローカルな路線である。
もちろん、ほかの都市近郊の路線でも見かけた。

かつてのイタリア旅行ガイドブックには、「車内放送はないから降りる駅に要注意」「禁煙車でもタバコを吸っている客がいる」「遅れるのが当たり前」なんていう注意書きがあったものだが、今日では少なくとも前の2つは解消された。
そして、遅れも以前にくらべたら少なくなった。長距離の列車はときに遅れることがあるが、定時運行が基本になっているのは大きな変化といえよう。

2011-07-27

タルクイニアのネコ

今年早春にイタリアで出会ったネコの続き。
ちょっと恥ずかしげに建物の陰から、こちらを覗いているのは、アンギアーリで出会ったネコ。

アンギアーリのネコ

そして、マッサ・マリッティマのネコは、カメラを構えていると、尻尾を立ててまっすぐ向かってきた。
どうも、トスカーナ州南西部マレンマ地方のネコは、人になついているようである。

マッサ・マリッティマのネコ

かと思うと、同じマレンマ地方のタルクイニアでは、こんなネコに出会った。
私が後ろからいくら近寄っても動じない。
どうしたのかと思っていたら、近くを歩いている黒ネコを気にしているのだった。

タルクイニアのネコ

どっちも毛並みのいいネコだから飼い猫なんだろう。
じっと黒ネコの動きを見ている。

タルクイニアのネコ

そして、この写真を撮った直後、「ギャー!」と叫びながら黒ネコに向かって突進していったのだ。
その素早さといったら、とても夕方の暗いときに写真に撮れるようなスピードではなかった。
2匹のネコはくんずほぐれつしながら、乱闘を繰り返し、とうとう黒ネコは縄張り(?)から追い出されてしまった。

タルクイニアのネコ

静けさを取り戻したタルクイニアの古い広場を、別のネコがスタスタと横切って行った。

2011-07-26

マッサ・マリッティマのネコ(ネコマンガ風)

震災をはさんで、長らく引き延ばしてきた今年早春のイタリアの旅も、いよいよ大詰め。
恒例のネコ写真である。
今回はネコマンガ風に。
出演はマッサ・マリッティマ在住のお猫さまお二人、いやお二猫。
もっと、いいセリフがあるという方は、ぜひ創作コメントをお願いします。

マッサ・マリッティマのネコ

1. おいおい、誰に断ってここで写真を撮っているんだよ!

マッサ・マリッティマのネコ

2. ん~? 見慣れねえ顔だけど、お前は東洋人か?

マッサ・マリッティマのネコ

3. しかたねえ、きょうのところは見逃してやるぜ。
今度来るときは、日本のマタタビを忘れんなよ。

マッサ・マリッティマのネコ

4. これでおしまい。いやあ、ホンットにくだらなかったですね。
では、さいなら、さいなら、さいなら。

2011-07-16

「タルクイニアの王」に集う人びと

タルクイニアは、ちょっと変わった形の丘上都市である。
その形は、円柱を斜めにスパッと切ったといえばわかるだろうか。

駅側の南西方向から進んでくると、ゆるやかな坂を描いて、町のある台地に達する。
台地の上もまた坂になっており、500m.ほど進んで町の最高地点に達する。
そこには、ベンチがあって散歩道になっているのだが、その先は断崖になっているのだ。

下の写真は、夕暮のタルクイニア中心部。そして、その下の写真が、断崖の上から見下ろしたラツィオ州の平原である。

夕暮のタルクイニア中心部

そして、その最高点近くに、夕食で訪れた Re Tarquinio (レ・タルクイニオ) という店がある。
タルクイニア王という意味なんだろう。
ちなみに、前日、Hotel Tarconteと迷ったもう一軒の高級ゲストハウスは、Re di Tarquinia (レ・ディ・タルクイニア)。
意味は同じで、どうやら同じオーナーが経営しているらしい。

夕方の散歩の途中で予約。
店を訪れたのは夜8時ごろだった。

ラツィオの平原

店内に入ると、迷路のような通路を歩き、洞窟のような部屋に通された。
いかにも都会人の好きそうなつくりである。
ローマあたりから日帰りで訪れる人もいるのかもしれない。

注文したのは前菜の盛り合わせ、そしてメインの牛肉のタッリャータ(タリアータ)。
メニューには、タッリャータが特別扱いになっていて、値段は14ユーロ。お勧め料理のようである。

ふと右隣のテーブルを見ると、40代後半から50代前半と見える男女。
自然と、二人の会話が耳に入ってくる。
どうやら、太った風采のあがらないおじさんが、これまた太ったおばさん相手に、歯の浮くような愛のせりふを語っているようなのである。
スプマンテで乾杯するときなど、「君の瞳に乾杯」ではないが、そんなようなことを言っていた。

レ・タルクイオの店内

その後も、耳に入ってくるイタリア語を分析したところ、どうも夫婦ではないようである。
「それだったら、もう少しおしゃれをして、外観だけでも色っぽくすればいいのに」
二人はあまりにも普段の格好であった。まあ、人のことはいえないが。
ちなみに、あくまでも私はイタリア語の勉強として、自然と耳に入ってくる彼らの会話を聞いていたのである。

もっとも、そんな隣のテーブルも、食事がくるともう気にならなくなった。
タッリャータは、この4日間で3食目だったのだが、とてもウマかった。火の入れ具合も絶妙で、かんでいると、まるで生肉のようなうまみが、じわりと口のなかに広がる。
あんな良質で分厚い肉を日本で食べたら、かなりの値段になることだろう。

タッリャータ

さて、メインも終わって、デザートを食べていると、今度は正面のテーブルに男性の二人連れがやってきた。こちらは、30代前半という感じである。
で、その二人が仲良く並んで座り、見つめあっているのだ。
まあ、そんな二人はイタリアでは珍しくないのだが。

私にとって、このときのイタリア旅行の最後のディナーである。
そうした記念すべき夜、おしゃれな穴蔵レストランで、右手に不倫カップル、正面に同性愛カップルを見ながら、私は食後のエスプレッソをグイッと空けたのであった。

2011-07-12

タルクイニアの20世紀的ホテル

最終日に宿泊した、ローマ北方・タルクイニアのホテルの話である。
イタリア国内でホテルを探すときは、よくvenere.comを利用しているのだが、タルクイニアのホテルを選ぶときには少し迷った。
よさそうな宿泊施設が2つ見つかって、1つは3つ星ホテルで40ユーロという安さ。もう1つはゲストハウスなのだが、その3倍近くする。で、バスターミナルから遠い。

どちらか迷っていたところ、3つ星ホテルの利用者評価を見て興味をもった。
「清潔で手頃」として高評価をつけた人がいる一方で、「お粗末、設備が古すぎる」とゼロ評価に近い人がいる。これは一度見ておかなくてはならないと思って、そのホテルを選んだ。
タルクイニアのHotle Tarconte (ホテル・タルコンテ)である。

ホテル・タルコンテの客室

城壁のそばというので、バスターミナルから近いのかと思いきや、別の門だったのには参った。
雨の中、道に迷いながら石畳の上を荷物を引っ張っていくのは大変であった。
「ホテルの場所はすぐにわかった」という利用者の評価は間違っていると思ったが、その人は車で来たのだとわかった。確かに、ホテルは丘の斜面に建っていて、ふもとから見ればデカデカとした看板がよく見えるはずである。

古典的な電話

フロントやロビーは狭いけれども、確かに昔はこんなホテルばかりだったよなという感想。
フロントの奥には、宿泊者名簿らしきファイルが棚にぎっしりつまっていた。

で、客室はどうかというと、この写真のような感じ。
とても清潔である。
それにしても、20年以上前のイタリアを旅行した人ならば、懐かしく感じるものの数々である。
このクローゼットも電話も見覚えがある。

テレビ

テレビはもちろん薄型ではなく、中天高く据えつけられているのもよくあったっけ。
テーブルとイスも懐かしい感じ。
ホテル向けのお決まりの調度だったのか。

激しいデジャ・ビュに襲われる私。
重たい鎧戸をあけて、外の光を取り入れ、木のドアをギシギシと開けて浴室に向かう。

ここでもまた、デジャ・ビュに襲われた。

ホテルの室内

シャワー室は、カーテンで囲うだけの簡素なもの。カーテンの色が赤だというのは、ちょっと変わっているが。
洗面所には、小さな固形石けんが1つ。もちろん、シャンプーとかシャワージェルなんてものはない。
そういえば、昔はみんなこうだったっけ。

このときのイタリア旅行最後の夜を過ごすにはぴったりの、ノスタルジックなホテルであった。
もっとも、昔を知っているから懐かしく思うのであって、新しいしゃれたホテルしか知らない人にとっては、古くさくて不便なホテルにしか見えないだろう。
そのあたりが、確かに評価の分かれるところである。

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venere.comによれば、40年来、同じ一家が経営しているのだそうだ。
わざわざそんなことを書くというのは、イタリアではかなり珍しいんだろうか。
確かに、家族経営ののどかさがあってよかったが、帰りにフロントにいたお母さん(といっても50代後半くらいのスマートで背筋のすっと通った人)が、笑顔をちっとも見せない人であった。

それだけならいいのだが、前日に私がカードで支払いを済ませているのに、宿泊費を請求する。
ポケットに控えがそのまま入っていたこともあり、すぐに、あちらの誤りであることがわかったのだが、謝罪するでもなく笑顔になることもない。

そんなあたりも、昔ながらのイタリアが楽しめるホテルであった。

2011-07-10

マッサ・ヴェッキア--野道の散歩

丘上都市、山岳都市を訪れたときに、必ず心がけていることが二つある。
一つは、町(村)の頂上まで行って、下を眺めること。
もう一つは、町(村)全体が見渡せる場所まで降りて、上を眺めること。
この二つをどちらも実行するのは、徒歩旅行者としては、かなりの体力が必要になる。

たまたまバスに乗り合わせることができればいいが、そうでないと、ただひらすら歩くハメになる。
とくに、2番目の条件はかなり難しい。大きな町になると、全体が見渡せる場所までは、かなり遠ざからなくてはならないからだ。

マッサ・マリッティマから下る道

マッサ・マリッティマもやはり、全体を見渡す場所に行くのは困難だった。
なにしろ、初めての場所だから、どの方向にどの距離まで行けばいいのかもわからない。
丘の上からじっと四方の道をにらんで、あの辺かと見当をつけて下っていったのであった。

マッサ・マリッティマ近くの馬

これは、その下り道の途中で見つけた馬。
何頭か馬が飼われていたのは仕事用なのか。
変な奴が来たぞと思ったのか、じっとこっちを見ている。

そういえば、リグーリア州の アプリカーレ でも馬を見かけたが、そのときは、馬がこちらに近づいてきて、ブヒヒヒーンと大きな声でいななくのには参った。
そんなことのないように、今回は、馬に向かってにっこり微笑んで、「怪しいものじゃないんだよ」と言いつつ、写真を1枚パチリと撮った私であった。

マッサ・ヴェッキア

どうも、ふだん人が通りそうもない道を歩いていると、どこか心にやましさを感じることがあっていけない。

まあ、そんな気持ちも丘の下までやってきて、きれいに舗装された道に出ると消えて行った。
とはいえ、やっぱり人通りはない。家もまばらな田舎道を歩いている人間などいないのだ。

そんなことを思っていると、競技用の自転車に乗った3人組が横を走り抜けて行った。
しばらくすると、また別の数人組が。
道端にある標識を見ると、どうやらこのあたりはツーリングの推薦コースのようである。
確かに、道がほどよく上下していて、なだらかにカーブし、しかも景色がいいという、ツーリングにはもってこいの場所である。

マッサ・ヴェッキアからマッサ・マリッティマを望む


改めて周囲を見まわすと、小麦畑らしき平原と、ぶどう畑が広がっている。
しばらく歩いていくと、「Massa Vecchia」という看板とともに周辺の簡単な地図が目に入ってきた。

このあたりは、マッサ・ヴェッキアという集落のようである。
ヴェッキア(古い)というくらいだから、マッサ・マリッティマより歴史が古いのか?
その真偽はわからなかったが、この周辺ではいいワインの作り手がいて、アグリツーリズモの宿もあるのだそうだ。

マッサ・ヴェッキア

そういえば、3番目の写真にあるような感じのいい石造りの家に、「貸家」という札が貼ってあったっけ。
金と暇が余るほどあれば、こんなところにしばらく住んでみたいものである。
そうそう、食事をつくってくれる人と運転手も必要かな。

そんなことを思いながら、野の道をひたすら歩いていった。
そして、当然ながら、最後には苦しい登りの道が待っていたのであった。

2011-07-05

マッサ・マリッティマの食事はドゥオーモ前で

グロッセートのトラットリーアを紹介したので、ついでにというわけではないが、その前の日に泊まったマッサ・マリッティマの食事についても書いてみることにする。

着いた当日に降っていた大雨も、翌朝には止んで散歩日和になった。
散歩といっても、狭い町なのでたいして時間がかからない。
さて昼飯でも思って探すと、ドゥオーモ近くに下のような写真の店があった。

マッサ・マリッティマの食事処

入口の左側には「BARRISTORANTE」、右側には「MICHELANGELO」と書かれている。
バールにもリストランテにもなるという店は、使い勝手がいいという相場になっている。
ミケランジェロとマッサ・マリッティマとの関係は知らないが、この店で昼食をとることにした。

店内はとても明るくて清潔な感じ。こんな田舎町に……といっては失礼だが洗練されたセンスの店であった。
そして、パニーノとともに、このところお気に入りのビール「モレッティ・ロッソ」、つまりモレッティの赤ビールを頼んだ。
もちろん、これまでのモレッティと同様に、ラベルにはあのおじさんの絵が健在である。

モレッティ・ロッソ

まあ、ただそれだけのことなのだが、なんとなく印象に残っている店なのである。
写真の片隅に写っているが、軽食をとりながら勉強をしているのだか、何か熱心に本を読んでいた若い女性がいた。

また、いい身なりをした地元のおじさんおばさんたちがやってきて、昼間からスタンディングでベルモットかなんかを飲みながら、楽しそうに語らっていた。
そんな店内を、窓から注ぎ込む光が、やわらかく包んでいるような印象だったのである。
ちょっとキザですが。

深夜のトラットリーアで

もっとも、そんなふうに感じたのも、あまりにも前夜の雨の激しさが心に残っていたからかもしれない。
前夜、ホテルに着いたのは22時近くになっていた。
ホテルのフロントで聞いていなければ、こんな真っ暗な田舎町で食事にありつけるとは、絶対に思えなかった。
「ドゥオーモ前の広場なら、どんなに遅くても3店くらい開いているよ」と彼は言っていた。
そういえば、タクシーの運転手も、「マッサ・マリッティマなら、遅くなっても食事の心配はいらない」と話していたっけ。

暗い夜の坂道を、傘をさしながら歩いた。
だが、ようやくドゥオーモ前の広場に近づいても、ドゥオーモがライトアップされているだけで、ほぼ真っ暗。
雨もいっそう激しくなり、「こんなところで店が空いてるのか」と心配になって泣きだしそうになったころ、ぼんやりと店の入口の明かりが見えてきたというわけである。
そのときの記事で、「救世主メシ屋!」と叫んだのも、そんないきさつがあったからなのだ。

2011-07-03

グロッセートの山盛り海の幸フライ

妻と義母を連れてのツアコンは、ヴェネツィアのほか、ミラノ、ベルガモ、ヴェローナに及んだ。
そんな2人をミラノ中央駅横から空港行きバスに乗せて、再び一人旅に戻ったのは3月1日のことだった。
その後、マッサ・マリッティマグロッセートタルクイニア に立ち寄ってローマにたどりついたのは、3月4日のこと。

グロッセートのトラットリーア

この3つの町があるトスカーナ州南西部からラツィオ州北西部は、初訪問だったこともあって、短いながらもなかなか興味深い旅であった。
町のたたずまいについては、すでに書いたとおりだが、たまたま入ったトラットリーアもすべて当たりという喜ばしい体験であった。

グロッセートのトラットリーア

グロッセート滞在中は大雨に悩まされたのだが、それでもウマくて安い夕食を求めて、傘を持って小さな旧市街を巡る。

すると、あるトラットリーアの入口で、40代くらいの女性がタバコを吸っているのが目に入った。
イタリアでは公共の建造物内で喫煙できなくなったので、こうやって食事の合間に外でタバコを吸う愛煙家の姿をよく見かける。

なかなかよさそうな雰囲気の店だったので、「こんなところにいられちゃあ、入りにくいなあ」と逡巡する私。
それでも、入口にあるメニューを覗き込んでみると、その女性が一言。
「この店はおいしいわよ」

私と彼女の目が合い、私はニヤッとして「ホント?」と言いながら店のドアを開けた。

前菜

店のなかは明るく清潔感にあふれた感じ。
おもしろいのは、トップの写真にあるように、店の片隅で店員(たぶん息子兄弟ではないかと思うが)がパスタを打っているのが見えるところだ。
オープンキッチンというわけではないが、ちょっと日本的である。
イタリアには珍しいのではないか。
トップの写真とは別に、2人にポーズをとってもらった写真も撮った

そして、店内を見渡すと、2枚目の写真でもわかるように、大型液晶モニターが!
でも、そこに写っているのはテレビ番組ではなく、この店と町の紹介ビデオだった。

海の幸のフライ

注文したのは上の写真のメニューである。
目の前でパスタを打っていたのに、前菜とメインだけにしてしまったのは、ちょっと後悔するところ。

それにしても、海の幸のフリットが山盛り!
おかげでビールとワインが進んだ。

グロッセートのトラットリーア

例の愛煙家の女性だが、友人の女性と二人で来ていたようだ。
もちろん、彼女が帰っていくときには、
「とっても美味しい。推薦してくれてありがとう!」
とお礼のことばを述べたのは言うまでもない。

Il Melogranaという店であった。 場所はドゥオーモ近くのVia Carlo Goldoni, 15。まあ、小さい旧市街だから、どこも「ドゥオーモ近く」になるのだが…… 。
けっして高級じゃないが、雰囲気がよくて居心地のいい店である。

2011-07-01

ヴェネツィアのカルネヴァーレ

いつの話かと言われそうだが、今年の2月のことである。
妻の友人がイタリアで結婚するというわけで、なぜか一緒にやってきた義母(もちろん妻の友人とは面識がない)とミラノに数日滞在することとなった。

それは、結婚パーティーでたらふく飲んで食った翌日の日曜日、朝早くのことであった。
ホテルの義母の部屋から、名古屋弁で電話があった。
「いま、ベネチアでカーニバルをやっとるだろ。このチャンスを逃したら、死ぬまで見る機会がないやろう。交通費は出すから案内してちょ」

サンマルコ広場

というわけで、急遽、特急の1等車に乗ってヴェネツィアに行くことになった。
ミラノ中央駅からヴェネツィア・サンタルチア駅までは、2時間半の行程である。

もともと湖水地方に行く予定だったのだが、「この寒いのに行きたくないなあ」と思っていたところなので、内心ホッとしたのも事実である。
だが、ヴェネツィア、日曜日、カルネヴァーレ(カーニバル)と3拍子揃ってしまったものだから、その混雑は行く前から予想されていた。

仮装した人たち

案の定、駅を出ると、そこは人、人、人。
くらくらと目まいがしそうになった。
まずは、ヴァポレット(水上バス)の1日券を買うために並んでいると、我々の前にいたのが20代前半とおぼしき小柄な日本人女性3人。どうやら、1日券を買うか1回券を買うか迷っているようである。

その会話をちらりと聞いた義母は、いきなり彼女たちに話しかけた。
「ありゃあ、あんたたち名古屋の子だろうか」
これがきっかけであった。
卒業旅行とやらでツアーを利用してイタリアに来た彼女たちは、ローマから日帰りの自由行動でやってきたのであった。

その日は結局、私が5人の女性のツアコンをするハメになった。
まあ、義母の話し相手になってくれたことを考慮に入れると、感謝すべきは私と妻だったのかもしれない。

それにしても、妻や義母と旅行をしていると、いつも名古屋や岐阜の人たちが周囲に集まってくるのは不思議である。

サンマルコ広場

ヴァポレットのサンマルコ広場終点で下車。
そこから広場までは300mほどの道のりで、ふだんなら歩いてすぐなのだが、広場に通じる狭い道は通勤時間の新宿駅もかくやと思うほどの人。
そこを、観光客だけでなく、仮装した地元の人が歩いている。

私は、少しでも早く広場に行こうとするのだが、妻と義母は仮装した人を見るや、一緒に写真を撮ろうとして混雑に拍車をかける。
「ほらほら、あんたたちも一緒に撮ってもらおう」と、三人娘を呼ぶ。

それにしても、彼女たちの求めに合わせてポーズをしてくれるイタリア人のサービス精神には頭が下がる。
私はただ、周囲の人の迷惑を思いやりつつ、落ち着かない気持ちで待つばかりであった。

ヴェネツィアのバールにて

サンマルコ広場までくるだけでクタクタになった私は、最後の力を振り絞ってリアルト橋まで引率。バールでしばしの休憩を提案するのだった。

下の写真は、売店で義母が買った仮面をつけた私である。

ヴェネツィアのバールにて

その後に行ったムラーノ島でのウインドウショッピンク。晩飯のレストランを探してさまよったひととき。食事がなかなか出てこなくて三人娘の帰りの列車の時間が迫ってきたこと、帰りの特急が満席なために座席指定なしで乗ったことなど、思い出すだけで疲れてきた……。

名古屋の三人娘、Aさん、Dさん、Oさん元気?

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著書

  • 社会人に絶対必要な語彙力が身につく本[ペンネーム](だいわ文庫)
  • 『ようこそシベリア鉄道へ』(天夢人)
  • 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)
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