マッサ・マリッティマ、ラークイラ、そして大震災
ミラノからマッサ・マリッティマへは4時間半の列車の旅だった。
ティレニア海に面したフォッローニカ(Follonica)の駅から、山の中にあるマッサ・マリッティマにはバスの便が頻繁にあるはずだった。
だが、駅前を経由する便が少ないことを知らず、終バスが出てしまったと思い込んで、風雨の中途方にくれてしまった。
バールでタクシーの電話番号を聞いて、電話をしたが「1時間半後じゃないと行けない」という返事。
あせって、次の列車で県都グロッセートに向かうと、こちらも終バスが出たあと。
再びタクシー運転手に電話して、フォッローニカに戻ろうと思ったら、列車を乗り間違える始末。危うく分岐駅で気がついたからよかったものの、待合室が閉まった夜8時過ぎの無人駅で、30分も茫然と待っていたものだから、すっかり風邪をこじらせてしまった。
この風邪が、帰国後も1週間以上続くことになる。
さて、夜9時のフォッローニカ駅前。待っていたタクシーの運転手は、年のころは30代後半といったところ。あとでくれた名刺には、「English Speaking」と書いてあったが、まあ私のイタリア語とどっこいどっこいといったレベルであった。
「夜遅くまで仕事させちゃって悪いね」
「いやいや、大丈夫」
彼は、フィレンツェ郊外の町の出身で、仕事でこの町に来ていると言った。
私が日本人であることを告げると、ひとしきりマンガ、アニメ談義になった。
「小さいころ、日本のアニメを見て育ったから、今でも××は大好きだし、イタリアでも大人気だよ」
「なんだろう、それ? わからないなあ……。日本語のタイトルと違うのかな」
「えーっとね、そうそう、グンダムだよ」
私の脳の神経細胞が2、3秒ほど、活発に活動した結果、ようやくわかった。
「ガンダムかっ!」
私はガンダム世代ではないものの、秋葉原にガンダムカフェがあること、日本ではそれぞれの世代で思い入れのあるアニメがあることなどを話した。
「フランスじゃ、日本のマンガ本が人気あるそうだけど、イタリアはどう?」
「もちろん。フォッローニカのような小さな町にも、本屋に行けば日本のマンガが買えるよ」
まあ、そんな他愛もない会話をしながら、真っ暗な夜道をタクシーは快走した。
「ほら、丘の上に明かりが見えてきただろう。マッサ・マリッティマはいい町だよ」
「うん、丘の上の町が好きなんだ。日本にはあまりそういう町がないからね」
「へえ、なんでだろう?」
「たぶん、日本の大地が柔らかいからなんじゃないかなと思っているんだ」
イタリアに丘上都市が多いのは、敵から守るためとか、マラリア対策なんていう理由があるんだろうけど、まあそこまで話していると語彙が足りなくなる恐れがあったので自重した。
「そうか、日本は地震が多いしね」
「そうそう。でも、イタリアも多いでしょう」
「うん、2年前にラークイラにも地震があったのを知ってる?」
「もちろん! 地震の3年前に行ったんだ。きれいな町だったなあ」
「そう、地震が起きる前までは、きれいな町だったんだよね」
そこまで言って、彼は思い出したように付け加えた。
「日本の建物は地震に強いでしょう。最近ではイタリアも日本から地震対策を学んでいるんだよ」
「へえー、それはいいことだね。地震は恐いよね」
そう語り合ったのは、東日本を大震災が襲う1週間前のことだった。
彼も、日本の地震のニュースを見て、1週間前の夜遅くに乗せた日本人のことを思い出しただろうか。
ホテルの前で荷物を下ろしてくれた彼に値段を聞くと、メーターに示された端数を切り捨てた金額を言う。値段の1割に満たないささやかなチップを加えて手渡すと、驚いたような顔をして、「ご親切にありがとう!」と言って夜道を帰って行った。
1枚目の写真は、真夜中のマッサ・マリッティマのドゥオーモ。
2枚目の写真は、ラークイラのホテルのスリッパ。5年前に泊まったときのものだが、しっかりしたつくりなので、その後の旅でも重宝して持ち歩いている。
ホテルの名前は、「Grand Hotel e del Parco」(グランドホテル・エ・デル・パルコ)。旧市街にあったその4つ星のホテルは、もちろん地震後は営業していない。
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