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2011年3月の7件の記事

2011-03-20

マッサ・マリッティマ、ラークイラ、そして大震災

ミラノからマッサ・マリッティマへは4時間半の列車の旅だった。
ティレニア海に面したフォッローニカ(Follonica)の駅から、山の中にあるマッサ・マリッティマにはバスの便が頻繁にあるはずだった。

だが、駅前を経由する便が少ないことを知らず、終バスが出てしまったと思い込んで、風雨の中途方にくれてしまった。
バールでタクシーの電話番号を聞いて、電話をしたが「1時間半後じゃないと行けない」という返事。
あせって、次の列車で県都グロッセートに向かうと、こちらも終バスが出たあと。

再びタクシー運転手に電話して、フォッローニカに戻ろうと思ったら、列車を乗り間違える始末。危うく分岐駅で気がついたからよかったものの、待合室が閉まった夜8時過ぎの無人駅で、30分も茫然と待っていたものだから、すっかり風邪をこじらせてしまった。
この風邪が、帰国後も1週間以上続くことになる。

真夜中のマッサ・マリッティマのドゥオーモ

さて、夜9時のフォッローニカ駅前。待っていたタクシーの運転手は、年のころは30代後半といったところ。あとでくれた名刺には、「English Speaking」と書いてあったが、まあ私のイタリア語とどっこいどっこいといったレベルであった。

「夜遅くまで仕事させちゃって悪いね」
「いやいや、大丈夫」
 彼は、フィレンツェ郊外の町の出身で、仕事でこの町に来ていると言った。
 私が日本人であることを告げると、ひとしきりマンガ、アニメ談義になった。

「小さいころ、日本のアニメを見て育ったから、今でも××は大好きだし、イタリアでも大人気だよ」
「なんだろう、それ? わからないなあ……。日本語のタイトルと違うのかな」
「えーっとね、そうそう、グンダムだよ」

 私の脳の神経細胞が2、3秒ほど、活発に活動した結果、ようやくわかった。

「ガンダムかっ!」

 私はガンダム世代ではないものの、秋葉原にガンダムカフェがあること、日本ではそれぞれの世代で思い入れのあるアニメがあることなどを話した。
「フランスじゃ、日本のマンガ本が人気あるそうだけど、イタリアはどう?」
「もちろん。フォッローニカのような小さな町にも、本屋に行けば日本のマンガが買えるよ」

 まあ、そんな他愛もない会話をしながら、真っ暗な夜道をタクシーは快走した。

「ほら、丘の上に明かりが見えてきただろう。マッサ・マリッティマはいい町だよ」
「うん、丘の上の町が好きなんだ。日本にはあまりそういう町がないからね」
「へえ、なんでだろう?」
「たぶん、日本の大地が柔らかいからなんじゃないかなと思っているんだ」

 イタリアに丘上都市が多いのは、敵から守るためとか、マラリア対策なんていう理由があるんだろうけど、まあそこまで話していると語彙が足りなくなる恐れがあったので自重した。

「そうか、日本は地震が多いしね」
「そうそう。でも、イタリアも多いでしょう」
「うん、2年前にラークイラにも地震があったのを知ってる?」
「もちろん! 地震の3年前に行ったんだ。きれいな町だったなあ」
「そう、地震が起きる前までは、きれいな町だったんだよね」

ラークイラのホテルのスリッパ

 そこまで言って、彼は思い出したように付け加えた。

「日本の建物は地震に強いでしょう。最近ではイタリアも日本から地震対策を学んでいるんだよ」
「へえー、それはいいことだね。地震は恐いよね」

 そう語り合ったのは、東日本を大震災が襲う1週間前のことだった。
 彼も、日本の地震のニュースを見て、1週間前の夜遅くに乗せた日本人のことを思い出しただろうか。

 ホテルの前で荷物を下ろしてくれた彼に値段を聞くと、メーターに示された端数を切り捨てた金額を言う。値段の1割に満たないささやかなチップを加えて手渡すと、驚いたような顔をして、「ご親切にありがとう!」と言って夜道を帰って行った。

 1枚目の写真は、真夜中のマッサ・マリッティマのドゥオーモ。
 2枚目の写真は、ラークイラのホテルのスリッパ。5年前に泊まったときのものだが、しっかりしたつくりなので、その後の旅でも重宝して持ち歩いている。
 ホテルの名前は、「Grand Hotel e del Parco」(グランドホテル・エ・デル・パルコ)。旧市街にあったその4つ星のホテルは、もちろん地震後は営業していない。

2011-03-08

時代の重みを感じるタルクイニア

帰国前夜の宿は、ローマから北西50kmほどのところに位置する丘上都市タルクイニア(Tarquinia)に決めた。
翌日ローマ空港15時発の飛行機に乗るには、なるべくローマ周辺にいることが理想的だが、ローマ市内に泊まるのでは、いま一つおもしろくない。
まあ、ここまで来れば、交通機関にちょっとしたトラブルがあっても、翌日ローマ空港15時発の飛行機に乗り遅れることはないだろうという考えである。

タルクイニア遠景

グロッセート駅を昼前に出発して、タルクイニア駅に到着したのは午後も早い時間。
ところが、雨は降りやむどころかいっそう強くなるばかりだった。
タルクイニア駅前には人家もまばらで、降車客のほとんどは駅前に停めてある自家用車かバスに乗って、丘上にある町、あるいは丘下のニュータウンに向かうのである。

タルクイニアのアクセントは「クイ」のところにあるので、「タルクイーニャ」と表記するのがいいのかもしれないが、実際にはそんなに長音を伸ばしていなかったので、タルクイニアでいいかなという感じである。

それはさておき、ここは、オルヴィエートなどと同じく、エトルリア人が建てた町で、古い歴史が重層的に残されている。

タルクイニア旧市街入口

世界遺産に指定されているのは、紀元前11世紀ごろとされる遺跡「ネクローポリ」だが、雨が強くてとても行く気にはなれなかった。
もっとも、そんなところまで行かなくても、町を歩いているだけで、独特の町の雰囲気が味わえる。

なかでも、町の一角にある、いわゆる「中世の街角」にはびっくり。これまでイタリアで見たどの町よりも、古い雰囲気の町並みが延々と続き、しかもきちんと人が住んでいるのである。
そして、50mも歩くごとに塔が建ってるというのは、あのサン・ジミニャーノ並みである。

もっとも、本当に中世のままなのかどうかは、私が生まれる前のことだし、しかも異国のことなのでよくわからない。

タルクイニアの「中世の街角」

いずれにしても、もっとこの町が有名になってもいいのではないかと思ったが、まあ知る人ぞ知る町であるほうがいいのかもしれない。

建物に使われている石の材質の問題なのか、それとも車の排気ガスが原因なのか、家々の壁の色が暗く沈んでいるのは、折からの雨と相まって、旅人の心をひどくセンチメンタルにさせてくれた。

タルクイニアの「中世の街角」

でも、そんな心をホットにしてくれたのは、これまでに味わったことのないほど美味な(少なくとも私が支払える値段のレベルでは)牛肉のタッリャータであった。
それを供してくれた不思議な穴蔵レストランについては、時間の止まったような宿とともに、また改めて紹介することにしよう。

結局、時間の止まったような宿では部屋からインターネット接続ができず、しかも帰国直後は風邪で寝込んでしまったため、更新が遅くなってしまったことをおわびしたい。
それでは、ハイライト編もお楽しみに。

2011-03-03

小さな小さなグロッセートの旧市街

グロッセートのドゥオーモ

グロッセートという町は、トスカーナ州グロッセート県の県都として、かなりの規模の町だが、城壁に囲まれた旧市街はとっても小さい。

直径が500mほどのほぼ円形で、城壁内は一部を除いて車両進入禁止。
だから、高級ブティックや商店の並ぶ道を、安心してぶらぶらできるわけだ。

もっとも、あまりに狭いのですぐに町の隅から隅まで歩きつくしてしまう。
しかも、きょうも朝から雨模様。

グロッセートの旧市街

結局、すでにチェックアウトしたホテルのロビーで、列車の発車時間まで一休み。
その間に、撮ったばかりの写真をパソコンに取り込んで、書き込んでいるわけである。

グロッセートの旧市街

ここのドゥオーモは、白とピンクの大理石を使って、とても美しい。
いかにもフィレンツェにありそうな教会である。

グロッセートの旧市街

ホテルのロビーに長時間いたら冷えてきた。
そろそろ、最後の目的地に出発である。

マッサ・マリッティマの救世主

ミラノで開かれた狂乱の結婚式や、妻と義母のツアコンになって大混雑のヴェネツィアのカーニバルに突如行くことになった話などは、また帰国後に書くとして、3月1日、先に帰る妻と義母を見送って再び一人旅になった時点まで話は飛ぶ。

私の航空券はローマ発着なので、3日間でミラノからローマに移動しながら町を見なくてはならない。
で、どうしようか迷った末に選んだのがトスカーナ州の南西。ローマにほど近いマレンマ地方である。

マッサ・マリッティマのドゥオーモ

まず訪れたのはマッサ・マリッティマ(Massa Marittima)。名前だけ聞くと、トスカーナ州の北西にあるマッサの海側にあるのかと思うが、100km以上離れている。しかも、山の中という不思議な地名である。
当日は、バスに乗り遅れ、タクシーがつかまらず、列車も乗り間違えるといった失敗を繰り返して、風雨のなか、ようやく山上のホテルにたどり着いたのは夜9時半をまわっていた。

もう一つ不思議なのは、新市街が丘の高い場所にあって、旧市街が低い場所にあること。一般のイタリアの丘上都市、山岳都市とは逆になっているのがおもしろい。

マッサ・マリッティマのガリバルディ広場

夜の寂しい田舎町でも、中心部のドゥオーモ広場のまわりには12時過ぎまでメシ屋が開いているのが、空腹の私には非常にありがたかった。
まさに、救世主メシ屋である。

ここの見ものは、なんといってもトップの写真にあるドゥオーモとその前に広がるガリバルディ広場である。
細い道をくねくねと歩いたのち、視界が開けたとたん、目の前にピーザ(ピサ)のドゥオーモにも似たローマン・ゴシック様式の教会が、突然出現するのは実に劇的である。

新市街から旧市街を見おろす


翌2日は、3時ごろまでこの町の周辺をひたすら歩き、県都グロッセート行きのバスの乗客となったのであった。

モーデナに詣でなくてはいけなかったわけ

アレッツォからフィレンツェを通過してモーデナ(Modena)へ。
最近、この路線は高速新線経由のフレッチャ・ロッサばかりで、ローマ~フィレンツェ~ボローニャ~ミラノしか停まらないのがほとんどになってしまった。
だから、今回の私のような利用者は不便きわまりない。いわば、「のぞみ」ばかりが増えた状況で「こだま」を利用するしかないのである。

モーデナの中心部

モーデナも2回目。しつこいようだが、いまから四半世紀前の冬に訪れたきりである。
そのときの印象は霧とトロリーバス。
フィレンツェから列車でモーデナに到着すると、あたり一面霧がたちこめていた。
そして、市内の交通機関はほとんどがトロリーバスだったのだ。

モーデナの中心部

ともかく、前回のモーデナは右も左もわからないうちに短時間の滞在が終わってしまったため、今度こそはきちんと見ようと思って、モーデナに詣でなければいけないと思ったわけだ。

ピアッツァ・グランデ

で、今回の印象といえば、地味な感じであるものの味わい深い町だということである。
とった宿は旧市街の中心部。その近くにあるドゥオーモ(カッテドラーレ)とその前にあるピアッツァ・グランデは、じつに計算しつくしてつくられたという印象だった。
……と偉そうに言いたいのだが、なんとドゥオーモの広場側の部分と塔が修復中!
修復が終わってから、また詣でなくてならないかと、がっくりきた私であった。

雑誌・新聞売り場「キオスコ」

そして、やっぱりカメラが向くのは、トロリーバス。車両はすっかり新しくなったが健在だった。最近のエコブームで再認識されているのだろう。
そうそう、美術好きならばGalleria Estense(エステ家の美術館)は必見なのだろうが、残念ながら夕方までにミラノに到着しなければならないので、次回にとっておくことにした。
いつかまた来ることがあるのだろうか……。

モーデナのトラットリーア

そして、昼飯はホテルのすぐそばのトラットリーア。
昼間からワインを500cc飲んで気持ちよくなった私であった。
ブログのリンク先のikeさんが言うとおり、店内に置かれたテレビが正統派のトラットリーアであることを示している。

2011-03-02

アレッツォそぞろ歩き

 なかなか進まないけれど、アレッツォの話である。
 前回来たときにもアレッツォの写真を撮ってあるのだが、この有名なピアッツァ・グランデ(グランデ広場)の写真がない。

グランデ広場

 風景に記憶がないのだから、たぶんここまで足を運ばなかったのだろう。
 にもかかわらず、小さな教会や街角の写真は撮ってあるのだから、どこをどう歩いたのだか。
 まあ、限られた時間を、地図も持たずに歩いたのだからしかたがないのかもしれない。

アレッツォの公園から

 今回も時間は限られていたが、しっかりと名所をチェックして旧市街の北東端にある城砦や公園も見たのであった。
 旧市街はコンパクトでしっとりした印象が好ましかった。

ドゥオーモ前にて

 ただ、町の形が扇形にできているので、漫然と歩いていると方向感覚が狂ってしまうので注意が必要である。
 最後の写真は、ドゥオーモの前で撮ったおしゃべり親父たちの写真である。
 本当にイタリア人というのは、放っておけば永遠にしゃべり続けるのではないかと思われるほどである。

2011-03-01

やっと思いがかなったアンギアーリ訪問

いろいろとわけがあって、更新が遅れてしまったけれど、アレッツォ到着の翌日となる2月23日の話。

その日の目的地は、アレッツォからバスで30分ほど東にあるアンギアーリ(Anghiari)の町である。
詳しいことは、そのうちホームページの「イタリア町めぐり」で取り上げるが、今を去ること20ン年前。サンセポルクロに向かうバスから見て、再訪しようと心に決めた町だったのだ。

アンギアーリの広場

その思いがやっとかなって、丘の上を吹き抜ける風の冷たさもあまり感じなかった。
……と言いたいところだが、かなり寒かった。昼過ぎには黒い雲が町の上を通過し、雪が舞うほどの状態である。

朝10時半ごろにバスで到着したときは、ちょうど町の中心の広場で小さな市が開かれている最中。
ジジババも大挙して集まっており、なかなか活気にあふれた雰囲気だった。

アンギアーリ旧市街遠景

ここは、15世紀にあったフィレンツェ軍とミラノ軍との「アンギアーリの戦い」の舞台でもあった地である。日本でいえば、関ヶ原か川中島といったところか。
イタリア人にとって、来たことはなくても名前だけは知られている町である。

こっそり写真を撮っていると、50歳くらいの元気なおじさんに、「おお、さっき写真を撮っただろう。魂を抜かれちゃったよ!」と笑って肩を叩かれてしまった。

そこで、「はっはっは、でも美しい町ですね!」と、例によってお世辞を言う私。でも、本心でもある。

旧市街の小さな広場

「そうだろう。適度に小さくて賑わいもあってね」と、この道を行くと何々教会に出て、あっちの道はなんとか広場に出ると教えてくれた。
もっとも、道に迷っても、すぐに一周して戻ってこられるほど、城壁に囲まれた旧市街は小さい。

アンギアーリ遠景

それにしても、小さなインフォメーションで帰りのバスの時刻を聞いたのだが、まさかそれが間違っているとは思わなかった。
12時55分のバスに乗り遅れたときには、「まだ13時20分発があるからいいや」と思っていたが、そんな便はバス停にも書いてなかった。
結局、昼休みでことごとく店が閉まるなか、風を避けて14時のバスまで待つことになる私だった。

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