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2011年1月の5件の記事

2011-01-29

鳥越「おかず横丁」あたり

前回の浅草橋ネタの続きである。
浅草橋駅から北へ歩いて数分。住所は鳥越になる。
祭りで有名な鳥越神社のあるところだ。ここに、今では有名になった「おかず横丁」がある。

浅草橋の北側

おかず横丁には、惣菜屋をはじめとして、食料品や日用品の店が軒を連ねている。
しかも、この一帯は空襲で焼け残ったため、いまでも古い家が残っているのだ。

おかず横丁

もともと下町には町工場や問屋が多く、一家の主婦も一緒に仕事を手伝っている場合が多い。
実は、墨田区で生まれ育った私の母もそうだった。
主婦が食事にあまり手をかけることができないために、おかずをつくって売っている店がはやったのである。

酒屋の看板

2枚目の写真が、おかず横丁の東側の入口。
3枚目の写真は、その入口左側にある酒屋の看板である。
そういえば、昔の商家にはこうした凝った看板が多かったっけ。

おかず横丁

もっとも、行った日はまだ客が訪れるには早い時間だった。
しかも、寒風がふきすさんでいたものだから、人影もまばらである。

おかず横丁

一応、来てみましたという“アリバイ写真”を撮ったのち、そそくさと帰った私だった。
もっと暖かい日の夕方にまた来ることにしよう。

2011-01-20

浅草橋の古い素敵なビル2態

浅草橋あたりには、戦災で焼け残った地区があるために、古い建物がよく目に入る。
そんななか、はたして戦前のものかどうかはわからないで、ひそやかでありながら印象的な古いビルを見た。

浅草橋のビル

1つめのビルはこれ。

浅草橋駅の北西側にあり、住所は台東区浅草橋5-4-2。
1階に「華華(はなはな)」という中国料理がある。

見るからに由緒ありそうなビルだが、残念なことにネットを調べてもビルの名前がわからない。

特徴的なのはビル正面上部にあるこの飾り。

浅草橋のビル

そのほかにも、細部にわたって手が込んでいる。
1階の中国料理の雰囲気が、ビルとミスマッチなのもむしろ楽しい。

華華

さて、もう一棟のビルは、浅草橋の南西側。玉置薬局本店ビルである。
住所は中央区東日本橋2-16-8。
戦前の地名は日本橋区両国。昭和40年代なかばの新住居表示まで、中央区日本橋両国という地名は残っていた。

玉置薬局本店ビル

両国というと、現在は隅田川の東側(墨田区)の住所になってしまっているが、以前は両国橋の両側に「両国」という地名があったのだ。
区別するときは、こちらのほうを「日本橋両国」とか「西両国」と呼んでいた。
だから、都電の行先表示にも「日本橋両国」というのがあった。

玉置薬局本店ビル

こちらのビルは、ネットでもよく取り上げられているようだ。
関東大震災後に建てられたそうで、戦災にも焼け残ったビルである。

玉置薬局本店ビル


2011-01-07

正月の鳩ヶ谷散歩(その2・終)

今回の鳩ヶ谷散歩では、新しく気がついたことがあった。
前回は宿場町の風情ばかりに気を取られて、街道筋ばかりを見ていたが、今回は家並みの裏にまわってみた。
すると、そこには、かつての農村風景の名残を見ることができたのである。

鳩ヶ谷の斜面

この写真は、鳩ヶ谷から戸田方面に分かれる戸田道の途中から撮ったもの。
いまはちょっと眺めがいいだけの坂道だが、かつては戸田の渡しを経由して板橋、武蔵野方面に向かう主要な道だったのだろう。
そう思うと、単なる狭い舗装道路も、いとおしく思えてくる。

斜面には竹林があり、向こうには雑木林を望むことができた。
手前の木は梅だろうか。

鳩ヶ谷の畑

さらに別の横道を入ると、こんなひそやかな場所に出た。
これは、馬頭観音?
その奥は畑である。冬なので、何が植えてあるかはわからなかった。ねぎかな。

それにしても、住宅地の間に、こんな奇跡的な場所が残っているなんて。
散歩はしてみるもんである。

鳩ヶ谷のお稲荷さん

そこを進むと、すぐに目に入ったのはこの小さな祠。
お稲荷さんである。
もう何百年も前から、ここに暮らしの営みがあったんだろうと思わせる。

地方に行くと、街道筋の一皮だけ家が建て込んでいて、その裏側にはその家々の畑が広がっているという風景をよく見るが、鳩ヶ谷みたいな近郊住宅地にもそうした風景が残っていたのは感激であった。

2011-01-06

正月の鳩ヶ谷散歩(その1)

1月3日、人びとが神社仏閣に詣でているころ、地下鉄南北線をふだんとは反対側に乗り、埼玉高速鉄道(地下鉄)の鳩ヶ谷で下車した。

鳩ヶ谷の町は、日光御成道の宿場として栄えた町で、1990年に訪れたことがある。
明治維新以後、東北線は川口を経由してしまい、2001年の埼玉高速鉄道開通まで鉄道の便に恵まれなかったこともあって、古い家並みが今でも残る町だ。

鳩ヶ谷の洋風建築

鳩ヶ谷市は同じ埼玉県の蕨市に次いで、日本で2番目に小さい市で、周囲のほとんどを川口市に囲まれている。
ご多分にもれず、川口市との合併の話もあるようなのだが、やはり鳩ヶ谷は独自の歴史や文化的な背景もあるだけに、反対している住民も多いようだ。
確かに、川口市鳩ヶ谷じゃあ、ちょっと寂しい。山椒は小粒でもぴりりと辛い町であってほしい。

鳩ヶ谷の北西本店

鳩ヶ谷駅は、市西部の平坦な土地にあり、周囲にはショッピングセンターも完成して、かなり再開発が進んだ様子である。
古い宿場町は、ここから東側に300mほど。坂の上にある。
町の南側から国道105号線の御成坂を登っていくと、右側の洋館(昔は医院だったらしい)が出迎えてくれるのは以前のままである。(トップの写真)

道なりに直進していくと、左側に見えるのが2番目の写真にある酒屋「北西本店」である。
木造2階建ての豪壮な家である。左側に見えるのが蔵だ。

鳩ヶ谷の民家

そして、町の中心部に位置する交差点に、古めかしい洋館があったはずだが、姿を消して高層マンションが建っていた。
このあたりは商店街になっているのだが、正月休みということを差し引いても、かなり侘しい印象である。

さらに直進すると、3枚目の写真の民家、そして下の写真のような商家があるのは以前のまま。
質屋なのか酒屋なのか、蔵が立派である。
だが、看板も出ておらず、営業していないようだ。

鳩ヶ谷の商家

同じ埼玉県の川越が、昔の町並みを売りにして、観光客で賑わっているのを見ると、鳩ヶ谷もなんとかならなかったのかと思う。
残念ながら、今から川越のようにするには、莫大な金も住民の同意も必要だし、ちょっと難しそうである。
でも、あえて観光地化しないのも一つの選択だ。
無責任な散歩者としては、またぶらぶらと散歩できる町として残ってほしいと願うだけである。

(つづく)

2011-01-01

2011年 謹賀新年

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

2011年年賀・上信電鉄

昨年末は本業の仕事が膨大にたまってしまい、なかなか更新できませんでした。
またぼちぼち更新を再開していきますので、またよろしくお願いします。

写真は上信電鉄の南高崎~根小屋で撮影したものです。

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著書

  • 社会人に絶対必要な語彙力が身につく本[ペンネーム](だいわ文庫)
  • 『ようこそシベリア鉄道へ』(天夢人)
  • 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)
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