正月の鳩ヶ谷散歩(その1)
1月3日、人びとが神社仏閣に詣でているころ、地下鉄南北線をふだんとは反対側に乗り、埼玉高速鉄道(地下鉄)の鳩ヶ谷で下車した。
鳩ヶ谷の町は、日光御成道の宿場として栄えた町で、1990年に訪れたことがある。
明治維新以後、東北線は川口を経由してしまい、2001年の埼玉高速鉄道開通まで鉄道の便に恵まれなかったこともあって、古い家並みが今でも残る町だ。
鳩ヶ谷市は同じ埼玉県の蕨市に次いで、日本で2番目に小さい市で、周囲のほとんどを川口市に囲まれている。
ご多分にもれず、川口市との合併の話もあるようなのだが、やはり鳩ヶ谷は独自の歴史や文化的な背景もあるだけに、反対している住民も多いようだ。
確かに、川口市鳩ヶ谷じゃあ、ちょっと寂しい。山椒は小粒でもぴりりと辛い町であってほしい。
鳩ヶ谷駅は、市西部の平坦な土地にあり、周囲にはショッピングセンターも完成して、かなり再開発が進んだ様子である。
古い宿場町は、ここから東側に300mほど。坂の上にある。
町の南側から国道105号線の御成坂を登っていくと、右側の洋館(昔は医院だったらしい)が出迎えてくれるのは以前のままである。(トップの写真)
道なりに直進していくと、左側に見えるのが2番目の写真にある酒屋「北西本店」である。
木造2階建ての豪壮な家である。左側に見えるのが蔵だ。
そして、町の中心部に位置する交差点に、古めかしい洋館があったはずだが、姿を消して高層マンションが建っていた。
このあたりは商店街になっているのだが、正月休みということを差し引いても、かなり侘しい印象である。
さらに直進すると、3枚目の写真の民家、そして下の写真のような商家があるのは以前のまま。
質屋なのか酒屋なのか、蔵が立派である。
だが、看板も出ておらず、営業していないようだ。
同じ埼玉県の川越が、昔の町並みを売りにして、観光客で賑わっているのを見ると、鳩ヶ谷もなんとかならなかったのかと思う。
残念ながら、今から川越のようにするには、莫大な金も住民の同意も必要だし、ちょっと難しそうである。
でも、あえて観光地化しないのも一つの選択だ。
無責任な散歩者としては、またぶらぶらと散歩できる町として残ってほしいと願うだけである。
(つづく)
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