バンコク:フアランポーン駅 1989年
当時、バンコクの国際空港といえば、首都の北方20キロほどのところにあるドンムアン空港であった。
前日の真夜中に成田から到着した私は、空港そばのホテルを奮発。翌日の昼前にタイ航空機でスリランカのコロンボに向けて出発するはずだった。
ところが、チェックインをしてみたら出発は4時間遅れという。
そんなに時間があるならと、バンコクの市内まで行って帰ってこようと思い立ったのであった。
空港とホテルを結ぶ通路の下に線路が走っていて、小さなホームがあることは朝のうちに目にしていた。
「常識で考えればバンコクの都心に通じているはずだ」
都心までバスで行けることは知っていたが、それじゃおもしろくない。
やはり列車に乗っていきたいものである。
だが、書かれているのはタイ語の文字ばかり。
とほうにくれていると、タイ文字の山のなかに、「BANGKOK」という一語が矢印とともに目に入った。
「よし」とばかりに、出札口で「バンコク」と言って切符を買い、矢印に沿ってホームに出た。
10分ほど待ったところで、いかにも日本製という端正なデザインのステンレス製ディーゼルカーがやってきた。
案の定、車内で確認すると、やはり「日立製作所」と記されていた。1枚目の写真の車両である。
それはいいのだが、春とはいえ、ほぼ満員の車内でエアコンなしはきつい。
それでも、退屈そうな地元のタイ人乗客のなかで、私はただ一人、好奇心丸出しで車窓を眺めていた。
田舎の風景から町のそれに変わり、ごちゃごちゃした市場らしきところを越えると、約30分で終点の立派な駅に到着した。
当時のバンコクの中央駅が、フアランポーンだかホアラムポーンだかと発音することを知ったのは、帰ってきてからのことである。
駅の周辺もぶらぶら歩いているはずなのだが、写真を撮っていない。覚えているのは、道がほこりっぽくて、ガソリン臭かったことだけである。
やはり飛行機の出発時間が気になっていたのだろう。帰りの列車の時刻は、着いてすぐに調べたはずだが。

結局、このとき撮ったのは駅構内の写真が5枚だけ。ここに挙げたのがそのうちの3枚である。
ドームに覆われた姿はミラノ中央駅のようでもあり、泥臭い雰囲気は昔の上野駅のようでもあった。
もちろん、バンコクの町には新交通システムが走っておらず、高層ビルも建っていなかったころの話である。
ちなみに電車賃は片道5バーツ。ガイドブックによると、空港からの直行バスは約50バーツ、タクシーは約500バーツだったらしい。
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