« 2010年5月 | トップページ | 2010年7月 »

2010年6月の6件の記事

2010-06-30

梅雨空の不忍池

先日、母親の付き添いで東大病院に行った帰り、不忍池に立ち寄った。
ぼんやりとした梅雨空に蓮の緑がまぶしかった。

不忍池

病院に行ったといっても、命にかかわるようなことではない。
母親は80を過ぎたが、いたって元気である。
ただ、ひざの痛みががまんできないほどになって、手術が必要のようだ。

帰りはまだ日が高かったが、例によって不忍池近くの寿司屋に。
ヒとシの区別がつかない江戸っ子の母は、何よりもまず小肌を4カン注文して満足げであった。

ちなみに、母にかかると、姪の名前はシロミちゃんとなり、隅田川にかかる白鬚橋はヒラシゲバシとなる。

2010-06-23

新幹線とキティちゃんの石像に出会った田端~尾久散歩

先日、ぶらぶらと夕方の尾久を散歩した。
仕事のついでだが。
ちなみに、尾久は北区にある町で、上野の次の駅である。
といっても、山手線でも京浜東北線でも常磐線でもなくて、高崎線や宇都宮線(東北本線)の中距離列車である。

田端駅下仲通り

山手線の田端を降りて尾久のほうに向かって歩いていくと、そこにあったのがやけにごちゃごちゃした商店街。
「田端駅下仲通り」というらしい。
いまでは珍しくなった万国旗が、あたかもナポリの下町にひるがえる洗濯物のように、道の上にはためいていた。

で、商店街のキャッチフレーズがこれ。

田端駅下仲通り

「新幹線が見える街」である。

「日本に新幹線が見える街など、いくらでもあるだろう」などと揚げ足をとってはいけない。
ここは、東北新幹線も上越新幹線も長野新幹線も見えるのだ!
……あ、どれも同じ線路か。

せっかくなら、「新幹線も在来線も都電も見える街」にすればよかったのに。

ぶらぶら歩きも尾久駅に近づいたところで、突然目に入ったのが下の写真の光景。
キティちゃんの石像である。
しかもペア。
ごく普通の家の前であった。

尾久のキティちゃん

最後に、尾久駅構内の地下通路を横断。
尾久には鉄道車両の車庫のような運転区があって、構内が広い。だから、地下通路も長いのだ。
ぼんやり歩いていると、快走する自転車に次々に抜かれていった。

尾久駅の地下通路

この通路のことは、最新刊の『鉄道を撮る』第2号に載せたので、ぜひ見てね。できれば買ってくれるとうれしいな。

2010-06-15

石の鐘: 長野県信濃町 称名寺

5月の連休前、仕事で訪れたのが長野県の北端にある信濃町である。
黒姫山、斑尾山などの北信五岳を望み、野尻湖を擁する素敵な保養地である。
まあ、あくまでも仕事で行ったのだが、それでもいい気持ちであった。

石の鐘

そんな信濃町の柴津地区にある寺が称名寺。
遠目に雰囲気のよさそうな寺だということで、同行の人たちと足を向けたのだが、そこには大きなドラマが待っていた。

境内には鐘つき堂があるのだが、そこにぶら下がっているのは鐘ではない。
なんと大きな石なのである。
石だから、ついても音がでない。

では、なぜそんな石が鐘の代わりに下がっているのかというと……。

称名寺

さきの戦争のことである。
武器、弾薬をつくるために、全国から金属が供出されたのはご承知の通りである。
それは寺も例外ではなかった。全国の寺から鐘が供出されたのである。

この称名寺の場合、鐘を取り外してしまうと鐘つき堂全体のバランスが悪くなり、倒壊する恐れがあるということで、重しになる石をぶら下げたのだとか。

称名寺

戦後、経済が復興すると、各地の寺では鐘を鋳造しなおして、復活させたところが多い。
だが、ここ信濃町では経済的に豊かでなかったため、石のままにしておいたそうな。

それが、ここにきて、徐々に注目を集めるようになったのだから、おもしろいものである。
戦争の悲劇を繰り返さないという心を込め、町のシンボルとして、今後もこのままにしておきたいとは町の観光課の人の言である。

ちょっとした寄り道での、素敵な発見であった。
次回は、ぜひ寺の境内にある枝垂れ桜が満開のときに訪れたいものである。

2010-06-13

梅酒づくり

知人宅で梅酒づくり。
昨年から、知人に無理に頼み込んで、ご一緒させてもらっているのである。

このところ、どうも落ち着かない日々だけど、ちょっとお茶でもたてる気分で心のどかに梅酒をつけることができた。
2本のうち、1本は米焼酎、もう1本は泡盛でつけることにした。
ビールを飲みながらの作業で、あっという間に完成。
写真の右端に人間の足が写っているのがミソである。写真に動きが出たでしょ。

梅酒完成

膨大な友人宅の梅酒コレクションの片隅に置かせてもらうことにした。
昨年のものと一緒に記念撮影。
もちろん、左の2つが今年のものである。

梅酒記念写真

この梅酒がおいしく飲めるようになるころ、はたして私は何をしているのだろうか……。
ま、何年たっても同じような生活をしているような気もするが。

2010-06-03

貴船口駅の赤い傘

鞍馬から土砂降りの雨のなかを山越えして、貴船にやってきた。
貴船川はもう濁流と化していた。

私たちは和風喫茶店で一服した後、バスで叡山電車の貴船口駅へ。

そこで見かけたのがこの光景だ。

貴船口駅にて

学校帰りの小学生が駅にやってきた。
鞍馬行きに乗るらしく、みんなおとなしく電車を待っていた。

到着する電車を撮影しようと、私がカメラを構えていると、一人の女の子が前に入ってきた。
嫌な大人が入ってくると気分が悪いのだが、こんな女の子だと大歓迎である。

貴船口駅にて

そのまま写真を撮ったのが1枚目なのだが、女の子はなぜか傘を突き出す。
何をするのかと思ったら……。

貴船口駅にて

パッと赤い傘を開いた。
何をしようという意図があったわけでもないようだ。
でも、緑の森に囲まれた小さな駅で、傘の赤い色は目にしみた。

電車の運転士にとっては、いきなり停止信号の色が目に入ってきたのだから、迷惑だったかもしれないけどね。
まあ、小さな女の子だから許せることがあるのだ。

2010-06-01

大雨洪水注意報の鞍馬山

宇治を訪れた翌日は、反対に京都市の北に位置する鞍馬に向かった。
朝から雨降りで、とうとう大雨注意報に加えて洪水注意報まで発令されてしまっていた。

叡山電車

出町柳から叡山電車に乗って30分近く走ると、車窓にはうっそうとした森が広がる。
そして鞍馬着。高校時代の修学旅行以来である。
電車は変わってしまったが、駅舎の外観がほとんど姿を変えていないことに感激した。

鞍馬寺ケーブルカー

鞍馬寺の山門をくぐって、ケーブルカーに乗車。
れっきとした鉄道事業法にもとづく鋼索鉄道(ケーブルカー)であり、全国で唯一、宗教法人が経営する鉄道なのである。
ただ、ケーブルカーといっても、中央ですれ違うことはなく、1両の車両が全線単線の線路を上下するだけ。
2両の車両が釣瓶のように上下するのではなく、一方はカウンターウエイト--要するに重りになっていて車両とバランスをとっているわけだ。その点では、ケーブルカーよりもエレベーターに近いかもしれない。

鞍馬山

そんな能書きはともかく、山に登っても雨足は強くなるばかり。
でも、乗りかかった船……ではなく、登りかかった山だということで貴船まで、ぐちゃぐちゃの山道を歩いて行った私たちであった。

鞍馬の家並み

貴船の話は次回にまわすとして、貴船からもう一度鞍馬に戻ってくると、ようやく雨が止んだ。
そこで、くらま温泉の露天風呂に立ち寄るついでに、鞍馬街道沿いにぶらぶらと散歩することにした。
なかなか、味わいのある街道筋である。

鞍馬の家並み

この街道は、京都の北の山間部に続いている。
そういえば、高校の修学旅行では、ここを通るバスに乗って、大悲山峰定寺まで行って帰ってくるという無茶なコースを設定したっけ。
おかけで私のグループは、当日の朝7時前に旅館を出発するという強硬スケジュールを余儀なくされたのであった。ごめん、みんな。

« 2010年5月 | トップページ | 2010年7月 »

著書

  • 社会人に絶対必要な語彙力が身につく本[ペンネーム](だいわ文庫)
  • 『ようこそシベリア鉄道へ』(天夢人)
  • 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)
無料ブログはココログ

.