歌舞伎座閉場
4月30日、たまたま有楽町に出向く用事があった。
そのあとで、ふと思い出したのが歌舞伎座の千秋楽、そして閉場式である。
歌舞伎座前はごったがえしているだろうが、思い出した以上は、最後の姿を見ないわけにはいかない。
晴海通りを歩いて木挽町までやってきた。
予想通り、かなりの人出ではあったが、混乱というほどではなかった。
とても歌舞伎ファンだなんて言えないが、ひところはよく一幕見に来たものだった。
狭くて急な階段を3階席まで登り、ほんの30分か40分の間でも舞台を見るのは、若かった当時の私にとって、なにものにも代えがたい体験だった。
思い出すのは、市川猿之助が1人7役だか10役だかをやったときのこと。
早変わりをするたびに観客が沸くのだが、近くで見ていた西洋人の女性グループとその子どもたちは、ただぽかんとして見ているだけ。
まさか、同じ人物が演じているとは思ってもいないのだろう。

「あれは一人の人がいくつもの役を演じているんですよ」と教えたかったが、とうとう最後まで言えなかった。
せめて隣に座っていたら、引っ込み思案だった私でも、そのくらいのことは言えたのに。
子どもはつまらなそうにしていたが、最後の場面で、舞台にハリボテの大蝦蟇が出てきたときには、さすがに食い入るように見つめていたっけ。
スペイン語を話すグループだった。
新しい歌舞伎座にも一幕見は残るという。
いくら仕事が忙しくても、それを見に行くくらいの余裕はなくっちゃね。
« バハレイヤのシャンゼリゼと砂漠の冷凍魚 2001年 | トップページ | 雨の宇治、鳳凰堂はフェニックス・ホールだった »
「東京ぶらぶら散歩」カテゴリの記事
- 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』上梓!(2019.09.28)
- 向島ぶらぶら歩き(2014.05.31)
- 浅草: 三社祭を待つ街角(2014.05.17)
- 猫が静かに歓迎してくれた亀戸の天祖神社(2013.12.01)
- 「赤羽」のイメージをくつがえす赤羽西の趣深い台地(2013.08.03)
「日々の思い」カテゴリの記事
- 『サンデー毎日』6月7日号に記事掲載(2020.05.27)
- 道路が拡幅されて──『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』から(4)(2019.11.03)
- 宿場町の面影──『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』から(3)(2019.10.26)
- 消えた水辺──『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』から(2)(2019.10.24)
- 新しい道ができていた──『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』から(1)(2019.10.20)
« バハレイヤのシャンゼリゼと砂漠の冷凍魚 2001年 | トップページ | 雨の宇治、鳳凰堂はフェニックス・ホールだった »
コメント