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著書

  • 『ひたすら眺めていたシベリア鉄道』(私家版)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)

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2010-05-02

歌舞伎座閉場

4月30日、たまたま有楽町に出向く用事があった。
そのあとで、ふと思い出したのが歌舞伎座の千秋楽、そして閉場式である。

歌舞伎座前はごったがえしているだろうが、思い出した以上は、最後の姿を見ないわけにはいかない。
晴海通りを歩いて木挽町までやってきた。

歌舞伎座

予想通り、かなりの人出ではあったが、混乱というほどではなかった。

とても歌舞伎ファンだなんて言えないが、ひところはよく一幕見に来たものだった。
狭くて急な階段を3階席まで登り、ほんの30分か40分の間でも舞台を見るのは、若かった当時の私にとって、なにものにも代えがたい体験だった。

歌舞伎座

思い出すのは、市川猿之助が1人7役だか10役だかをやったときのこと。
早変わりをするたびに観客が沸くのだが、近くで見ていた西洋人の女性グループとその子どもたちは、ただぽかんとして見ているだけ。
まさか、同じ人物が演じているとは思ってもいないのだろう。

歌舞伎座

「あれは一人の人がいくつもの役を演じているんですよ」と教えたかったが、とうとう最後まで言えなかった。
せめて隣に座っていたら、引っ込み思案だった私でも、そのくらいのことは言えたのに。

子どもはつまらなそうにしていたが、最後の場面で、舞台にハリボテの大蝦蟇が出てきたときには、さすがに食い入るように見つめていたっけ。
スペイン語を話すグループだった。

新しい歌舞伎座にも一幕見は残るという。
いくら仕事が忙しくても、それを見に行くくらいの余裕はなくっちゃね。

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