明朝の香り、黄檗山萬福寺
宇治で平等院を見たあとは、京阪電車で2つ目、同じ宇治市内にある黄檗(おうばく)山萬福寺に向かった。
数年前、宇治に一人でやってきたときに、平等院をおいて訪れた場所である。
ここは明の時代に大陸から渡ってきた隠元禅師が建てた寺である。
隠元禅師といえば、隠元豆を伝えた人としては聞き及んでいたが、そのほかにも蓮根、スイカ、けんちん汁などもこの人が伝えたということを、今回の旅ではじめて知った。
そして、活字の明朝体もまた、隠元禅師が伝えたものなのだそうだ。
トップの写真は、この寺のシンボルのような開梛。カイパンと読むそうだ。木魚の原型である。
玉をくわえた表情がとってもユーモラス。
禅宗というと、鎌倉時代に伝わった曹洞宗と臨済宗が知られているが、黄檗宗もそうした禅宗の一派。
日本に伝わったのは江戸時代の初期である。
だから、日本化の度合いがほかの宗派よりも低く、明の時代の雰囲気を色濃く残している。
寺に入って一周してみれば、そこかしこに、日本の寺にはない異国の雰囲気が感じ取れる。
まあ、前回来てそれがおもしろかったから、今回は同行者を連れてやってきたわけである。
なんといっても一番よかったのは、回廊にしっかりと屋根がついていたことか。
大雨注意報が発令されるなか、おかげで傘をささずに境内を一周できた。
この写真の模様も、どこかラーメン丼のあの模様を思い起こさせる。縁起がいい模様なのだろうか。
ところで、この寺のことを知ったのは、今から30年ほど前、司馬遼太郎のエッセイをたまたま読んだときのことである。
司馬遼太郎の小説はいまだに読んだことがないが、エッセイについては、ちょっと機会があって読まざるをえないことがあったのだ。
なんて書いてあったのか詳しいことは忘れたが、彼はこの寺の中国風の雰囲気にいたく興味を抱いたようだった。
私としては、法要で坊さんが椅子に座って経を読むというくだりが興味深かった。
この写真の木魚は、魚から木魚に進化する途中のものに違いない。かなり魚っぽい。
前回訪れたときは、禅宗の寺らしく静謐な空気が流れていたが、今回はちょっと違っていた。
全国煎茶道連盟の集まりがあったそうで、和服の女性も数多く、禅宗の寺とは思えない華やかな様子であった。
この寺は、煎茶道にもゆかりが深いんだという。

寺の中や周辺では、普茶料理と呼ばれる精進料理が食べられるとのことで、楽しみにしていたのだが、その前に宇治駅近くにある十割そば屋で、たんまりと食事とアルコールを取り入れてしまった私たちであった。
.満腹でやってきた萬福寺
普茶料理もまた次回への宿題となってしまった。

最後の写真は、萬福寺の土産売り場にあった小坊主(?)の人形。
あまりに私の理想とする生活態度にピッタリだったので、思わず買ってきてしまった。
仕事部屋に飾って、仕事をしすぎないための戒めとしている。
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5月下旬まで、今年はずっと人並み以上に働きすぎたので、それから今までダラけ続けています。
まったくこの小坊主のような気分。
やはり、ヒマ人隊の本分を忘れないようにしないと……。
投稿: 駄菓子 | 2010-06-17 02:31
>仕事部屋に飾って、仕事をしすぎないための戒めとしている
受ける〜。
私も戒めにします>隊長。
投稿: 三個夏天 | 2010-06-16 23:24