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2010-03-18

駒込病院脇のひそやかな通路を抜ける「小さな旅」

この細道を見つけたのは、今から20年ほど前、深夜に飯田橋からほろ酔い加減で、駒込まで小一時間かけて帰ってきたときのことである。
見るからに駒込病院の土地の一部のようで、入口にはかつて門があったが、門が閉まっているのを見たことがなかった。
ほかの人から見れば、つまらない道に過ぎないだろうが、私にとってはまるで秘密の通路のように思えて、この100m足らずの短くして狭い通路を通るたびに、わくわくしてくるのである。

抜け道の北側の入口

ここは本駒込3丁目。区立第九中学校の横を歩いていると、突如正面に白亜の大きな建物が見えてくる。これが駒込病院だ。
道は病院の前で行き止まりになると思いきや、自転車で直進していく人がいる。

ひそやかな抜け道

門を抜けると、そこには人がかろうじてすれ違えるほどの細い道がある。
ブロックの左側は、駒込病院の敷地である。

すると、通路の先に何やら、まっ黄色な建物が。
「放射能に関係ある建物か?」

なーんて、一瞬身構えるが、さすがにそうではないらしい。
駒込病院内の建物であることは間違いないようだが。

20mほど進むと正面に寺が見えてくる。これが吉祥寺である。
吉祥寺などというと、中央線のあっち側にある町を想像する人が多いだろうが、こちらが本家である。
江戸時代の明暦の大火で焼け出されたこの付近の人たちが、新天地を求めて武蔵野につくった町に、もとの町にあった寺の名前をつけたわけだ。

正面に吉祥寺が見える

塀の向こうの吉祥寺では、梅が満開であった。
ここで通路は90度左に曲がる。
カーブミラーは、自転車のためについている。

駒込病院と吉祥寺の境

左に曲がると、両側を塀に囲まれた道を進む。
塀の左側は駒込病院、右側は吉祥寺である。

ちょっと異様な光景だが、どこかで見たような……としばし考えて思い出した。
左右をフェンスに囲まれて、沖縄中部を走る国道58号線である。
フェンスの両側にあったのは米軍の基地。日本の「領土」は道路の部分だけであった。

通路の終点

そして、さまざまなことが頭をめぐった30秒ほどの「小さな旅」もここで終わり。
門に接して民家があった。

駒込病院を望む

そして、何事もなかったように、秘密の通路から遠ざかっていく私であった。

私がこの通路を「発見」してから1週間ほどたったころ、子どものころから駒込に住んでいたという友人に、「駒込病院の脇に狭い通路があってさ……」と興奮して告げると、彼は「ああ、あそこね」とすぐに納得した様子だった。
地元の人には有名なんだね。

本駒込3丁目

確かに、この通路がないと、本駒込3丁目付近は駒込病院と吉祥寺に分断されてしまい、南北に行き来をするには、かなり遠回りをしなければならない。
地元の人の要望によってつくられたのだろうか。
それにしても、殺風景な塀が印象的な通路であった。

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コメント

bobbieさん、こんにちは。
このあたりにお住まいなんですね。
ここ2、3年、この通路を通っていませんが、とても不思議な空間だと思います。
震災前の昔の書き込みですが、目をとめていただきありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします。

二村さんのFBのポストから偶然ここにたどり着きました。
当家の前をレポートして頂きありがとうございました(笑)
2カット目の黄色い建物は病院職員の託児所です。
6,7カット目に出てくる茶色の家はもうありません。
別の方のコメントに昭和50年は駒込病院は開業していないと
ありましたが駒込病院の開業は明治12年です。
これからも素晴らしい写真を期待しております。

tacarin!さん、こんばんは!
なんと、駒込病院と吉祥寺の境界線にご縁があったんですね。
こんな記事に興味を示す人はいないと思ったのですが (^^;;
たいした道ではありませんが、もの好きな人にはおもしろいかもしれません。

父は駒込病院に入院して手術を受けました。昭和50年の春のこと。駒込病院は正式に開業する前でした。父はその6年後に亡くなり、今は諏訪山吉祥寺で永久の眠りに付いています。その細道のことをワタシは知りませんでした。父の幽冥界を分けた境界線はそこにあったのですね。この彼岸に墓参りをする際に、ぜひ歩いてみようと思います。ありがとうございました。

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