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2009年11月の4件の記事

2009-11-24

森の名物は「いかめし」と「韃靼そば」

30年前にも森の駅で下車したのだが、そのときの記憶はほとんどない。覚えているのは、わずかな乗り換え時間を利用して、駅前で名物の「いかめし」を買ったことだけである。

森駅前

確か、がらんとした駅前に、いかめしを売る店だけがぽつんとあったような気がしたが、時が流れて駅前はそれなりにこぎれいにはなっていたものの、雨だったせいか、やはり人の気配がない。
そして、おそらく昔のままに、いかめしを売る柴田商店がそこにあった。上の写真の右端の店である。

いかめし

店内に入ると、上品な駄菓子屋といった風情。もっとも、ところ狭しと並んでいるのは、いかめし、いかめし、いかめしの箱。いかめしが1折に2つ入っていて500円である。
この小さな店で売っているそれが、全国の駅弁大会で優勝の常連というのだからおもしろい。
ただ、駅弁といっても30年前に来たときからホーム売りはしておらず、この店に来て買うしかなかったのであった。

韃靼そばを食べた「よしのや」

町の中を散歩しようと思うのだが、風雨が強くなる一方で、どうにもならない。結局、駅の周辺を10分ほどかけて一周して終わりにしてしまった。
目を引いたのは、明治天皇が上陸した桟橋跡というもので、海の中に塔のような碑が立っている。当時は、函館本線が開通する前のこと、札幌方面に向かう人は、函館から森を経由して室蘭に行く船を利用したのだそうだ。

「さて、腹が減ってきたぞ」
腹時計がなるのだが、食事のとれそうな店がない。
ようやく、一軒のそば屋を見つけたのだが、「わざわざ北海道まで来て、そば屋っていうのもないか。函館まで我慢して、海鮮丼でも食べるかな」と駅まで引き返した私であった。

跨線橋の窓から

駅に戻ったが、函館行きの発車までは1時間近く。そこで何気なく、町の案内を見ていると、この近くの農場で韃靼(だったん)そばの実を無農薬で栽培しているというではないか。
そういえば、さきほどのそば屋の入口に、チンギスハンの似顔絵とともに「韃靼そばあります」と書かれた幟が立っていたっけ。

「なるほど、そういうことダッタンだ」
誰も聞いてくれないシャレに一人悦に入りながら、再び傘を差してそば屋に向かったのである。

それぞれのメニューに、普通のそばと韃靼そばを使ったものがあったので、私はそば粉の種類は迷わず韃靼そば、そしてネタはちょっと迷ってにしんそばにした。
「京都でもないのに、にしんそば?」と一瞬思ったが、よく考えたらニシンは北海道が本家本元ではないか。

いかめしとともに

韃靼そばはなかなかに力強い印象でコクがあり、いかにも「そばを食した」という気分になった。

こうして、函館~森の小旅行は終わり、再び普通列車で函館に戻ったのであった。.

2009-11-22

函館から森の車窓

新潟への日帰りの仕事の翌朝、今度は函館に向かった。
新幹線を利用しての1泊2日の旅である。
片道6時間というのはキツいが、昔にくらべれば信じられないほど速い。
初日は市内をぶらぶら。翌日は朝から大雨になってしまった。

仁山駅

そこで、ホテルでたっぷり朝寝をしたのち、函館近辺のJR線に乗ってみることにした。
函館本線を森まで向かう2両編成のローカル列車である。しかも、七飯~大沼は仁山経由。特急が通らない旧線だ。
急勾配の路線は、ディーゼルカーでも苦しげである。蒸気機関車の時代は、さぞかし大変だっただろう。
上の写真が仁山駅だ。

ちなみに、七飯と仁山の間にある渡島大野駅は、新函館駅の設置予定地なんだとか。旧線に新幹線の駅ができるというのも不思議なめぐりあわせである。

大沼駅近く

大沼駅が近づいて、新線と合流する地点あたりになると、車窓に小沼が見えてくる。
水際が線路のすぐそばにあって、ちょっと心配になってくるが、海ではないから大波がきて浸食される心配がないのだろう。

ちなみに、車両は防寒のために二重窓になっていて、しかも雨が降っているものだから、窓を開けずに撮った。ほかに客が少なければ窓を開けるところだが、さすがに寒そうなのでやめた。

大沼駅

大沼駅では行き違いのために10分ほど停車。
広々とした構内の堂々たる駅である。観光地である大沼公園はこの隣。現在では大沼公園駅のほうがメジャーになって特急も停車する。

赤井川駅

大沼公園駅で観光客が20人ほど降りると、残る客は2、3人。堂々と二重窓を開けて写真を撮った。
上の写真は帰りの列車で撮った赤井川駅。

実は大沼~森も、大沼公園経由の新線と渡島砂原経由の旧線がある。
せっかくだから、行きと帰りで別の路線に乗ろうと思ったが、時間がうまく調整できず(というよりも朝のんびり寝ていたのがいけないのだが)、今回は旧線に乗ることができなかった。

森駅

そして、やってきたのが約25年ぶりの森駅。
噴火湾沿いの駅である。こんなに海に近かったのかと改めて感激。
何を見るという当てもないのだが、駅を出てぶらぶらすることにした。

(つづく)

2009-11-19

新潟青山:住宅地の中を行く廃線跡

青山地区をぶらぶらして、さらに坂を降りていくと、行く手に橋が見えてきた。信濃川から分かれた関屋分水路にかかる有明大橋である。
まだ時間があるから、橋の上まで行って戻ってこようかと思い、ふと右手を見ると鉄橋がある。

新潟交通の鉄橋

道路をオーバークロスしていて、見るからに鉄道のものである。だが、架線が張っていない。
「おや? このあたりは越後線も信越本線も電化されているはずだけど、こりゃ何だ?」
不思議に思って並行する道路をのぼっていくと、そこには線路の跡があった。レールはないけれど、砂利と雑草だらけの様子は、まぎれもなく廃線跡である。

「あ、新潟交通かぁ!」
ようやくわかった。

新潟交通廃線跡

新潟交通には、まだ廃線になる前、1976年と1983年に訪れたことがある。
もっとも、両端の区間を少し乗っただけなので、あまり記憶がないのだが、いちおう本館の ここ にそのときの写真が収録してある。

断っておくが、けっして私は廃線ファンではない。
だけど、廃止後10年がたっているのに、鉄橋も築堤もそのままの様子に感動して、線路に沿ってしばし歩いたのであった。架線がないのは非電化路線だったのではなくて、廃止後に架線や電柱を撤去したからだとわかった。
築堤はしだいに高度を下げて、廃線跡はやがて道路と同じ平面に降りてきた。

新潟交通廃線跡

町中の住宅地のまんなかを廃線跡が突っ切っていくのは、ちょっと不思議な感じである。
田舎だったらともかく、いやしくも新潟市は政令指定都市だ。
「ずいぶんもったいない土地の使い方……っていうか放置のしかただよなあ」
そうも思ったが、これを全部整備するのも莫大な金がかかるに違いない。まだしばらくはこのまま残るのだろうか。
仕事がなければ、線路に沿ってずっと歩いていきたかったが、残念ながら約束の時間が近づいていた。

2009-11-18

新潟市青山:御幣稲荷神社

先週、仕事で新潟に行く用事があった。
15時に人と会う約束だったのだが、先方の都合で1時間ほど伸びるという知らせが、現地に着いてから入ってきた。
ほかの人ならば「困った」「参った」というところだろうが、時間ができたのをこれ幸いと、付近をあてもなく散歩することにした私である。
どんなときでも、カメラは持参しているのだ。

御幣稲荷神社

打ち合わせの場所は越後線青山駅近くである。
青山地区というのは、立派な家が建ち並んでいるところからすると、高級住宅街らしいことがわかる。

坂を下ってぶらぶらと歩いていると、多数の鳥居が建ち並んでいる光景が目に入った。
「御幣稲荷神社」というらしい。

御幣稲荷神社の狐
 


御幣稲荷神社の狐

鳥居をくぐって進んでいくと、稲荷神社だけあって狛犬ならぬ狛狐が待ち受けていた。
夕方の光で、しかも逆光なので写真ではよく見えないが、左側の狐は巻物らしきものをくわえている。
右側の狐は玉をくわえているのか、口を開いているのかよくわからないが、むきだしになった歯がおもしろい。

御幣稲荷神社の鳥居

ネット情報を探ってみると、かつては別の場所にあって、しかも鳥居の数も300を超えていたのだとか。それが、新潟地震の後にここに移設したとある。

御幣稲荷神社

30メートルほど続く鳥居を抜けて階段をのぼると、御幣稲荷神社があった。
昔ながらのなかなか雰囲気のよい社殿である。
賽銭を入れようとしたが、賽銭箱らしきものが社殿の中に見える。
わざわざ靴を脱いで上がるのも面倒かと考えて、そのまま帰って来た不信心者の私である。

御幣稲荷神社

まあ、鳥居が並んでいる光景自体はそれほど珍しくないし、私の自宅近くの根津神社にもある。
でも、市街地のまんまんなかにあるところが、この御幣稲荷神社の趣深いところだ。
もっとも、この神社が建ったころは、こんなに家が立て込んでいなかったのだろうが。

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著書

  • 社会人に絶対必要な語彙力が身につく本[ペンネーム](だいわ文庫)
  • 『ようこそシベリア鉄道へ』(天夢人)
  • 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
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