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2009-07-19

文化の香りあふれる坂の町: ウルビーノ

 ウルビーノ(Urbino)市内の道には2つの種類がある。上り坂と下り坂である。
 ……とまあ気取って書いてみたのも、前回アスコリ・ピチェーノのことを「マルケ州の宝石」と書いてしまったものだから、ウルビーノをどう形容したものかと迷っていたからである。
 結局、いいことばが思い浮かばず、誰もが感じるであろう「坂の町」というところに落ち着いてしまった。

夕日に映える旧市街

 イタリアには丘上都市や山岳都市が数多くあるので、坂道ばかりの町は珍しくないけれど、これだけの規模で、人がずいぶん住んでいて大学まであるような町は少ないような気がする。
 人口は1万5000人というから、たいして多くないように感じるが、地図で見る限り、住宅の大半が城壁内にあるようだ。観光客も含めれば、旧市街の人口密度はかなり高いように思われる。

旧市街中心部へ向かう道

 ウルビーノといってまず思い浮かぶのが、その昔、フィレンツェのウッフィツィ美術館で見た1枚の絵である。
 ピエロ・デッラ・フランチェスカの描いた「ウルビーノ公夫妻の肖像」だ。

 古くさい宗教画ばかりに飽き飽きしたころ、小さな部屋に入ったところで、突然飛び込んでくるこの絵は実に印象的である。とくに、鷲鼻のフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの肖像画は一度見たら忘れられない。
 元傭兵隊長であり、ウルビーノ公でもあった彼は、この小さなウルビーノ公国を文化的にも経済的にもひとかどの国にした立役者であった。

 町の絵や写真を見て、そこに行きたくなるのはよくあるが、肖像画を見て行きたくなってきたというのは、このときだけの経験である。

中心部の共和国広場

 海岸にあるペーザロ(Pesaro)駅前から大型の急行バスで1時間弱。ほどよい起伏のあるマルケ州の車窓にそろそろ退屈してきたころ、ヴァルボーナ(Valbona)門の近くにある終点に到着する。
 ホテルは城壁近くだから便利だと思っていたら大間違い。終点とはまるで反対側にあった。門をくぐり、まずは共和国広場まで急な上り坂を200メートル。今度はそこから急な下り坂を200メートル。いくらバッグに車輪がついているとはいえ、この坂はきつかった。
 まあ、この町は万事この調子なのである。

ウルビーノの裏道

 私にしては珍しく、町歩きはあとまわしにして、すぐにパラッツォ宮殿、そしてそれに続くマルケ国立美術館に足を運んだ。すると、特別企画としてラファエッロ展をやっているではないか。そう、ここはラファエッロ(ラファエロ)が生まれた町でもあったのだ。

 同じ宗教画でも、この人が描くと、聖母マリアはどきどきするほど色っぽくなるし、幼子キリストもムチムチになるからおもしろい。教科書や美術全集でおなじみの絵が、ほんの2メートルほど先にあるのを不思議な気分で見ていた私であった。

フェデリーコ公広場

 外に出ると、すでに時計は8時をまわっていたが、まだまだ明るい。中心部にある、さして広くない共和国広場に向かうと、週末ともあって人でごった返していた。
 目的とするレストランを探そうとするのだが、どこにあるのかよくわからない。すぐそばで、戦後のネオレアリズモ映画『鉄道員』や『自転車泥棒』に脇役で出てきそうな、味のあるおじいさんがビールを飲んでいたので、道を尋ねてみることにした。
 例によって、周囲の人をまじえて、すったもんだしたあげく、レストランの場所はようやくわかった。

 一段落したところで、そのおじいさんが言う。
「ところで、あんた。本当は日本人じゃないだろう」
「えっ、なんで?」
 すると、彼はにやりとして、伸ばした右腕を地上から1メートル50センチほどのところに止め、こう言った。
「だって、日本人はもっと背が小さいはずだ」
 そう言う当の本人はといえば、今どきの日本人の平均身長よりもずっと低い。

「小さいときにね、よく寝て、よく食べたんですよ!」
 以前から、この質問が出たときのために用意しておいた答えである。ようやく使うことができた。
 ひととき、私たちの周りに笑い声が渦巻いた。

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コメント

ジョバさん、ウルビーノではワインを買いましたか?

え? だって、「売るvino」っていうくらいだから \(^o^)/

と、それはさておき。
前に同じことをいわれたときに、そのときは「よく寝ていたから」と答えたんです。
でも、その後、イタリア人に「寝る子は育つ」というのがすぐに理解されるのかなと疑問に思って、「よ~し、次回は、よく食べたから」も付け加えようと思っていたわけでした。

駄菓子さん、こんにちは♪
猫セリフが思いつかなくてこちらにおじゃまします(笑)

ウルビーノいい街ですよね。
ここの国立美術館は人も少ないし、内容も素晴らしいし、
ピエロの絵もあるし大好きデス!

それにしても…
「小さいときにね、よく寝て、よく食べたんですよ!」
う〜〜ん粋だなぁ〜♪思わず手を叩いちゃいましたよ(^^ゞ
(でもずっと使う時をうかがってたんですね。このお茶目!(笑)
あたしも、ここぞ!ちゅうときの決めセリフを用意しとこ♪

ヨーコさんはペーザロ滞在だったんですね。
ペーザロからウルビーノまで、行きは急行バスでしたが、帰りは一般の路線バスに乗ったおかげで、ペーザロ市内も車窓から眺めることができました。
どことなく上品でおっとりしたような町だという印象です。あくまでもバスの上からの印象ですが。

>駄菓子さん、フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロのステュディオーロをご覧になられたのですよね。

なんか、いろいろなものを見たので忘れていましたが、確かに見ました。
まったく似ても似つかないんだけれど、秀吉の茶室を突如思い浮かべてしまったような記憶が。
ヨーコさんには、どんな素敵な記憶があるんでしょうか。

>日本人には見えない身長・・・・・。

いやあ、180センチなので、今どきちっとも珍しくないと思いますが。
要するに、あのおじいさんが低いんですよ (^^;;

私がペーザロからバスでウルビーノに向かったのは、11月末の曇った寒い日でした。
高台の公園までの坂道の乾いた緑が、澄み切った空気の中で美しく、何度も後ろを振り返りながらゆっくりと歩みを進めた思い出が有ります。
ペーザロ滞在中のショートトリップだったのですが、内陸のこの町に入ると随分と様子が違った印象でした。

駄菓子さん、フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロのステュディオーロをご覧になられたのですよね。
寄木象眼でつくられただまし絵、私はこの場所にちょっと特別な思い出を持っています。

駄菓子さんの穏やかで優しそうな風貌はTVで拝見済みですが、身長もかなり高い方だったのですね。
日本人には見えない身長・・・・・。

ikeさん、私は鮨(とくに小肌)をこよなく愛し、日本酒をたしなみ、温泉に入ると「ふうーっ、極楽、極楽」なんて口走ってしまう典型的日本人です (^^;;

ところで、マルケもまた、探れば探るほど味わい深い街がありそうですね。
これだから、イタリア行きがやめられなくなる……。

アトムズさん、町の雰囲気は、確かにペルージャと似ているなという印象を受けました。ただ、規模はずっと小さいのですが。

ミラノ方面から行くと、特急電車が増えたので、ペーザロあたりまではかなり近く感じるようになりましたよ。

でも、ペルージャの坂道がきついようでは、ウルビーノでは厳しいかもしれませんね~ (^^;;
エレベーターは1か所だけありましたが。


ウルビーノ、アスコリ・・・、いつも「計画」の上では最有力候補なんですが、行けてません。
記事を読んで、真剣に次々回か、次々々回には是非と思いました。

>「ところで、あんた。本当は日本人じゃないだろう」
同感です。姿は知らねど、このブログを読む限り、そう思います。
爺さんの鋭い観察力に拍手!

 大学があって坂の街と言うと、ペルージャを思う浮かべますが、ペルージャより坂はきついでしょうか?ペルージャの坂道は私にはかなりきつかったです。エスカレーターに少しは救われましたけど(^_^;)。

 ペーザロ行くのも結構大変なのに、そこからまたバスで1時間と言うのが大変ですね。余程気合いを入れて行かないと萎えてしまいそうになります。写真を拝見する限りはアスコリ・ピチェーノの方が垢抜けていて、心をそそられました。

 6週間滞在した時に、ラヴェンナやサンマリーノ迄は行ったのに、ウルビーノを抜かしてしまい、何だか一生、宿題になりそうです。

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