アスコリ・ピチェーノに行く前日にはラヴェンナに宿泊したのだが、その移動の途中でリーミニ(Rimini)に立ち寄った。
……と書くといかにも計画的に聞こえるが、ラヴェンナからリーミニに向かうローカル線の列車が遅れたために、接続するはずの本線の急行(InterCity)に間にあわず、リーミニで1時間半ほどもてあましたのである。

リーミニの駅の端には珍しくコインロッカーなるものがあった。液晶表示の説明には伊英独仏のほかに、なんと日本語もあって(アラビア語もあったかもしれない)、使い方はすぐにわかった。
料金は5ユーロと、1時間半だけ預けるにはかなり高いのだが、背に腹はかえられない。しかも、荷物の受け取りは、レシートに記されたバーコードを読み取り口に当てるというものだ。
さすがの私も数秒間逡巡した。
「うーん、イタリアでこういう機械を信用してよいものだろうか」
荷物を受け取る段になって、突然故障することもありうる。そうなったら、アスコリ・ピチェーノに着くのはいつになることやら。
それでも、運を天にまかせてコインロッカーに5ユーロを投入してドアを閉めた私である。
町の中心部は昼の少し前とあって、人びとで賑わっていた。ここは海岸の保養地でもあるので、観光客もずいぶんいるのだろう。
駅から400メートルほどのところにあるのが、この町のシンボルであるマラテスティアーノ教会(Tempio di Malatestiano)。トップの写真にあるように、不思議な正面をしている。これは、再建や修復を重ねたからのようだ。
もともとは、13世紀に建てられた聖フランチェスコの教会で、15世紀になって万能人レオン・バッティスタ・アルベルティを監督にして修復がなされたという。
ちなみに、このアルベルティは、中学時代の私の憧れの人物であった。会ったことはないけどね。社会科の資料集にあった解説を読んで、「こんな人になりたい!」と思ったわけである。
ミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチとなると、さすがに敷居が高いような気がしたけれど、アルベルティなら許されるかな……というわけだ。
さらに進むと、この町の中心部である、トレ・マルティリ(Tre Martiri)広場に出る。日本語に訳すと、「3人の殉教者広場」というところか。2番目の写真がそれである。
長円形の広場というよりも、この部分だけ道幅がやけに広くなっているという感じ。
ローマ時代からフォロ(公共広場)だったんだそうで、かのカエサル(シーザー)がルビコン川を渡った後に、ここで兵士たちに訓示を垂れたというのだから歴史的な場所である。
ちなみに、「賽は投げられた」とカエサルが叫んでルビコン川を渡ったのは、ここから西北西へ約20キロのところにあるサヴィニャーノ・スル・ルビコーネ(Savignano sul Rubicone)という町なんだそうだ。ルビコーネというのは、イタリア語でルビコンのことである。
広場を右折して、買い物の人だかりをかきわけながら進むと、100メートルあまりでカヴール(Cavour)広場。それほど広くない広場だが、周囲には風格のある建物が並んでいる。
そこでぼんやりしていたら、赤旗を掲げながらのデモ行進に出くわした。翌週にもトリーノで似たようなデモがあったので、そんな季節だったのだろうか。
広場の中央に据えられたパオロ5世の銅像も、どこかデモを応援しているかのような力の入った姿であった(3枚目の写真)
ここでそろそろ時間切れ。駅に戻らないと次の列車にも乗り遅れてしまう。
と、そこで思い出した。
リーミニは巨匠フェデリーコ・フェッリーニ監督の故郷なのであった。私の大好きな『アマルコルド』は、この町を舞台にしたものである。だが、さすがにどこを見ても、それを偲ぶよすがはない。尻の大きな姉さんもいなければ、いたずら坊主たちも見えなかった。
「いくらなんでも時代が違うからなあ」
(あとでガイドブックを見たら、フェッリーニ博物館はあったが、そのときは見過ごしていた)
きょろきょろしながら、「何か巨匠にちなんだものはもいものかと」と駅に向かって歩いてくると、駅前に……あった。
カフェテリーア「オット・エ・メッゾ」(8 1/2)である。喜んで写真に撮った。
そして、駅の端まで行って、緊張の一瞬。コインロッカーのレシートを読み取り口に当てると……。
「このレシートは使用期限が過ぎています」
ガーン!
ここまで絵に描いたようにいくと、さして驚きもしない。
それでも一瞬、目の前が真っ暗になったが、気を取り直してもう一度。
ガチャンと音がして、ロッカーのドアのロックが外れた。思わず、ふーっとため息がもれた。
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