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2009年7月の11件の記事

2009-07-26

チンクェテッレのネコ・その2 (やっぱりネコマンガ風)

 リグーリアのネコを見て感じたのは、人びとに大切にされているようだということである。
 というのも、人間が近づいてもおびえる様子が見られないからだ。

チンクエテッレのネコ1

 そのあたりは、シチリアとは大違い。シチリアでは、近づくのも難しいネコが多かったのだが、リグーリアでは「一応警戒はしているけれど、逃げずに済むならそうしたい」というスタンスなのである。

 だから、時間をかけてネコと「対話」をしていれば、あちらも警戒を解いてくれる。そして、いろいろと演技をしてくれるのだ。

 そうして何枚も撮っていると、どうしても「ネコマンガ」風になってしまう。

 今回も、チンクエテッレのネコである。2匹とも前回と同じく、船着場のない唯一の村、コルニーリャで見かけたネコである。適当にせりふをくっつけて楽しんでいただきたい。

チンクエテッレのネコ2-1   チンクエテッレのネコ2-2   チンクエテッレのネコ2-3   チンクエテッレのネコ2-4
 

2009-07-24

巨匠の故郷そして恐怖のコインロッカー: リーミニ

 アスコリ・ピチェーノに行く前日にはラヴェンナに宿泊したのだが、その移動の途中でリーミニ(Rimini)に立ち寄った。
 ……と書くといかにも計画的に聞こえるが、ラヴェンナからリーミニに向かうローカル線の列車が遅れたために、接続するはずの本線の急行(InterCity)に間にあわず、リーミニで1時間半ほどもてあましたのである。

マラテスティアーノ教会

 リーミニの駅の端には珍しくコインロッカーなるものがあった。液晶表示の説明には伊英独仏のほかに、なんと日本語もあって(アラビア語もあったかもしれない)、使い方はすぐにわかった。
 料金は5ユーロと、1時間半だけ預けるにはかなり高いのだが、背に腹はかえられない。しかも、荷物の受け取りは、レシートに記されたバーコードを読み取り口に当てるというものだ。

 さすがの私も数秒間逡巡した。
「うーん、イタリアでこういう機械を信用してよいものだろうか」
 荷物を受け取る段になって、突然故障することもありうる。そうなったら、アスコリ・ピチェーノに着くのはいつになることやら。
 それでも、運を天にまかせてコインロッカーに5ユーロを投入してドアを閉めた私である。

 町の中心部は昼の少し前とあって、人びとで賑わっていた。ここは海岸の保養地でもあるので、観光客もずいぶんいるのだろう。

「3人の殉教者」広場

 駅から400メートルほどのところにあるのが、この町のシンボルであるマラテスティアーノ教会(Tempio di Malatestiano)。トップの写真にあるように、不思議な正面をしている。これは、再建や修復を重ねたからのようだ。
 もともとは、13世紀に建てられた聖フランチェスコの教会で、15世紀になって万能人レオン・バッティスタ・アルベルティを監督にして修復がなされたという。

 ちなみに、このアルベルティは、中学時代の私の憧れの人物であった。会ったことはないけどね。社会科の資料集にあった解説を読んで、「こんな人になりたい!」と思ったわけである。
 ミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチとなると、さすがに敷居が高いような気がしたけれど、アルベルティなら許されるかな……というわけだ。

 さらに進むと、この町の中心部である、トレ・マルティリ(Tre Martiri)広場に出る。日本語に訳すと、「3人の殉教者広場」というところか。2番目の写真がそれである。
 長円形の広場というよりも、この部分だけ道幅がやけに広くなっているという感じ。
 ローマ時代からフォロ(公共広場)だったんだそうで、かのカエサル(シーザー)がルビコン川を渡った後に、ここで兵士たちに訓示を垂れたというのだから歴史的な場所である。

カヴール広場

 ちなみに、「賽は投げられた」とカエサルが叫んでルビコン川を渡ったのは、ここから西北西へ約20キロのところにあるサヴィニャーノ・スル・ルビコーネ(Savignano sul Rubicone)という町なんだそうだ。ルビコーネというのは、イタリア語でルビコンのことである。

 広場を右折して、買い物の人だかりをかきわけながら進むと、100メートルあまりでカヴール(Cavour)広場。それほど広くない広場だが、周囲には風格のある建物が並んでいる。
 そこでぼんやりしていたら、赤旗を掲げながらのデモ行進に出くわした。翌週にもトリーノで似たようなデモがあったので、そんな季節だったのだろうか。

 広場の中央に据えられたパオロ5世の銅像も、どこかデモを応援しているかのような力の入った姿であった(3枚目の写真)

 ここでそろそろ時間切れ。駅に戻らないと次の列車にも乗り遅れてしまう。
 と、そこで思い出した。
 リーミニは巨匠フェデリーコ・フェッリーニ監督の故郷なのであった。私の大好きな『アマルコルド』は、この町を舞台にしたものである。だが、さすがにどこを見ても、それを偲ぶよすがはない。尻の大きな姉さんもいなければ、いたずら坊主たちも見えなかった。
「いくらなんでも時代が違うからなあ」
(あとでガイドブックを見たら、フェッリーニ博物館はあったが、そのときは見過ごしていた)

 きょろきょろしながら、「何か巨匠にちなんだものはもいものかと」と駅に向かって歩いてくると、駅前に……あった。

カフェテリーア「オット・エ・メッゾ」

 カフェテリーア「オット・エ・メッゾ」(8 1/2)である。喜んで写真に撮った。
 そして、駅の端まで行って、緊張の一瞬。コインロッカーのレシートを読み取り口に当てると……。
 
 「このレシートは使用期限が過ぎています」

 ガーン!
 ここまで絵に描いたようにいくと、さして驚きもしない。
 それでも一瞬、目の前が真っ暗になったが、気を取り直してもう一度。

 ガチャンと音がして、ロッカーのドアのロックが外れた。思わず、ふーっとため息がもれた。

2009-07-19

文化の香りあふれる坂の町: ウルビーノ

 ウルビーノ(Urbino)市内の道には2つの種類がある。上り坂と下り坂である。
 ……とまあ気取って書いてみたのも、前回アスコリ・ピチェーノのことを「マルケ州の宝石」と書いてしまったものだから、ウルビーノをどう形容したものかと迷っていたからである。
 結局、いいことばが思い浮かばず、誰もが感じるであろう「坂の町」というところに落ち着いてしまった。

夕日に映える旧市街

 イタリアには丘上都市や山岳都市が数多くあるので、坂道ばかりの町は珍しくないけれど、これだけの規模で、人がずいぶん住んでいて大学まであるような町は少ないような気がする。
 人口は1万5000人というから、たいして多くないように感じるが、地図で見る限り、住宅の大半が城壁内にあるようだ。観光客も含めれば、旧市街の人口密度はかなり高いように思われる。

旧市街中心部へ向かう道

 ウルビーノといってまず思い浮かぶのが、その昔、フィレンツェのウッフィツィ美術館で見た1枚の絵である。
 ピエロ・デッラ・フランチェスカの描いた「ウルビーノ公夫妻の肖像」だ。

 古くさい宗教画ばかりに飽き飽きしたころ、小さな部屋に入ったところで、突然飛び込んでくるこの絵は実に印象的である。とくに、鷲鼻のフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの肖像画は一度見たら忘れられない。
 元傭兵隊長であり、ウルビーノ公でもあった彼は、この小さなウルビーノ公国を文化的にも経済的にもひとかどの国にした立役者であった。

 町の絵や写真を見て、そこに行きたくなるのはよくあるが、肖像画を見て行きたくなってきたというのは、このときだけの経験である。

中心部の共和国広場

 海岸にあるペーザロ(Pesaro)駅前から大型の急行バスで1時間弱。ほどよい起伏のあるマルケ州の車窓にそろそろ退屈してきたころ、ヴァルボーナ(Valbona)門の近くにある終点に到着する。
 ホテルは城壁近くだから便利だと思っていたら大間違い。終点とはまるで反対側にあった。門をくぐり、まずは共和国広場まで急な上り坂を200メートル。今度はそこから急な下り坂を200メートル。いくらバッグに車輪がついているとはいえ、この坂はきつかった。
 まあ、この町は万事この調子なのである。

ウルビーノの裏道

 私にしては珍しく、町歩きはあとまわしにして、すぐにパラッツォ宮殿、そしてそれに続くマルケ国立美術館に足を運んだ。すると、特別企画としてラファエッロ展をやっているではないか。そう、ここはラファエッロ(ラファエロ)が生まれた町でもあったのだ。

 同じ宗教画でも、この人が描くと、聖母マリアはどきどきするほど色っぽくなるし、幼子キリストもムチムチになるからおもしろい。教科書や美術全集でおなじみの絵が、ほんの2メートルほど先にあるのを不思議な気分で見ていた私であった。

フェデリーコ公広場

 外に出ると、すでに時計は8時をまわっていたが、まだまだ明るい。中心部にある、さして広くない共和国広場に向かうと、週末ともあって人でごった返していた。
 目的とするレストランを探そうとするのだが、どこにあるのかよくわからない。すぐそばで、戦後のネオレアリズモ映画『鉄道員』や『自転車泥棒』に脇役で出てきそうな、味のあるおじいさんがビールを飲んでいたので、道を尋ねてみることにした。
 例によって、周囲の人をまじえて、すったもんだしたあげく、レストランの場所はようやくわかった。

 一段落したところで、そのおじいさんが言う。
「ところで、あんた。本当は日本人じゃないだろう」
「えっ、なんで?」
 すると、彼はにやりとして、伸ばした右腕を地上から1メートル50センチほどのところに止め、こう言った。
「だって、日本人はもっと背が小さいはずだ」
 そう言う当の本人はといえば、今どきの日本人の平均身長よりもずっと低い。

「小さいときにね、よく寝て、よく食べたんですよ!」
 以前から、この質問が出たときのために用意しておいた答えである。ようやく使うことができた。
 ひととき、私たちの周りに笑い声が渦巻いた。

2009-07-18

マルケ州の宝石: アスコリ・ピチェーノ

 今回のイタリア旅行の主な目的は二つ、リグーリア州とマルケ州だった。
 マルケ州というのは、イタリアを長靴に例えるとふくらはぎの上のあたり。恥ずかしながら、州都のアンコーナ以外、じっくりと腰を据えて滞在したことがなかったので、まずはアンコーナ以外の2大都市であるアスコリ・ピチェーノとウルビーノを訪ねることにした。

ポーポロ広場

 アスコリ・ピチェーノは、鉄道で行くとアドリア海沿岸のサン・ベネデット・デル・トロントからローカル線で40分ほどの山の中。トロント川とカステッラーノ川にはさまれた台地の上にある町で、人口は5万人強である。山の中をえっちらおっちらやってきて、そこに大きな町があるというのは、イタリアならではの感動だ。

ポーポロ広場
 
 この町にやってきてすぐに思った。「ここには2、3カ月滞在してもいいかな」と。
 雰囲気はペルージャやスポレートのようなウンブリアの町と似ているのだが、建物に使われている石の色が明るいからなのだろうか垢抜けた感じがする。町を歩く人も、どことなく上品で落ち着いているように見えたのであった。

アッリンゴ広場

 アスコリ・ピチェーノの素晴らしさは、この5枚ほどの写真ではとうてい表現できるものではない。
 フィレンツェやアッシージにあんなに観光客が押しかけるのなら、この町だってもっと人気が出てもおかしくはない。ただ、交通が不便というだけで、人が集まらないのは不幸だという人もいるかもしれないが、私にとっては幸せこの上ない気分であった。

ポンテ・ヌオーヴォ

 残念ながら1泊しかしなかったが、数日くらいは滞在してもいい町である。
 夕食は、リストランテ・デル・コルソという店にしたのだが、夕方に予約に行くと、50代なかばとおぼしき店の親父がいうには「うちは魚料理専門だけど、いい?」とのこと。こんな山の中で……と思ったが、海からだって1時間以内でたどり着けるのである。
 心を決めて予約した店では、実に素晴らしい魚料理と白ワインを堪能することができた。

オリーヴェ・アッラスコラーナ

 町の中心部自体は1、2時間もあればまわれる程度の大きさ。翌日も、朝からぶらぶらと歩きまわる私であった。
 そして、ようやく見つけたのが、アスコリ・ピチェーノ名物の「オリーヴェ・アッラスコラーナ(Olive all' ascolana--アスコリ風オリーブ)」。オリーブの実に挽き肉を詰めて、油で揚げた食べ物だ。ちょっともたれそうだなと思っていたが、1つ食べるとまたもう1つといった具合に、あとを引くスナックである。
 観光名所としては、とくにめぼしいところはないのだが、どこか心引かれる町。地味なマルケ州にあって、きらりと宝石のように光る町、それがアスコリ・ピチェーノなのであった。

2009-07-15

リビエラ海岸を走る便利な公共交通

 これほどまでに、西リグーリアの各地を短時間に巡ることができたのは、リビエラ海岸とその周辺を走るバスと鉄道に負うところが大きかった。とくにバスについては、リグーリア州全体にいえることだが、本数も多く使いやすくできている。

バスの車内からサンレモを望む

 リビエラ海岸を走るバスを運行しているのは、その名も リビエラ・トラスポルティ((Riviera Trasporti)。 日本風にいえば、「リビエラ運輸」あるいは「リビエラ交通」といったところか。
 サンレモのバスターミナルを中心にして、東はインペリア経由アンドラ行き、そしてタッジャ行き、西はヴェンティミッリャ行きのバスが、夏ダイヤで20~30分おきに発着している。しかも、朝は5時台から、夜中の1時過ぎまで走っているのだから驚く。

 便利でしかも運賃が安いから、乗客がとっても多い。地元の人はもちろん、観光客の利用もかなりのものであった。そして、インペリアやサンレモ、ヴェンティミッリャ周辺の山の中に向かうローカルバスも、そこそこ本数が出ているのがいい。サイトには全便の時刻表が出ているので、これから行く人は参考にしていただきたい。

インペリア・ポルト・マウリツィオ駅

 バスの切符は例によって原則としてバールで買うのだが、車内でも購入できるのが便利。車内で買うと値段がやや高いが、それほど問題ではない。200円区間が250円に、300円区間が400円になるくらいだから、急いでいるときや周辺に販売所がないときは飛び乗ったほうがいい。こうしたシステムは、フリウリ・ヴェネツィア=ジューリアでも見た。
 なお、別路線のバスに乗り換えるときは、新たに切符を買い直す必要がある。

サンレモ旧駅

 一方、鉄道はバスにくらべると本数はかなり少ないけれど、さすがにスピードは速い。時刻表を見て、狙いを定めて乗るようにするといいだろう。

 残念なのは、サンレモ駅前後のかなり長い区間が、最近になって新線に切り替えられてしまったことだ。線路が直線になってスピードは出すのだが、大半がトンネルになってしまって、車窓からせっかくのリビエラ海岸を眺めることができない。

 サンレモ駅も町はずれのトンネル内に移転してしまい、町中からのアクセスは不便になってしまった。かつてのサン・レーモ駅は上の写真にあるような立派な外観で、町の中心部にあるカジノのそばに残されている。

ヴェンティミッリャ駅

 バスの車窓からは、海岸沿いに走っていた鉄道の旧線の跡がよくわかる。すでに大部分が自転車用の道路に姿を変えていたが、まだ古い駅舎の残っているところもあった。
 イタリアには廃線跡を訪ねる趣味は流行っていないらしく、残念ながらカメラを持ってうろついている人間を目にすることはできなかった。

 最後の写真は、フランス国境の手前にあるヴェンティミッリャ駅。駅名表示板が、古いタイプのものである。
 一部の直通列車を除いて、フランス領内に行くときはここで乗り換え。中央に見える赤い車両が、フランス国鉄の電車。左右に見えるのがイタリア鉄道の客車である。

2009-07-12

チンクェテッレのネコ・その1 (ネコマンガ風)

 町の紹介が続いてしまったので、このあたりで気分転換というわけで、恒例のネコ写真!
 まずは、チンクェテッレで唯一、港のない町コルニーリャで見たネコ。3コママンガ風にしてみました。自由にせりふを入れて楽しんでください。楽しいせりふ募集中 (^^;;

コルニーリャのネコ1

コルニーリャのネコ2

コルニーリャのネコ3

2009-07-09

西リグーリアで異彩を放つ町: タッジャ

 西リグーリアの大きな町というのは、たいてい海岸に面しているのだが、このタッジャ(Taggia)だけは、不思議なことに海岸から4キロ近く入った場所にある。
 しかも、その旧市街は中世初期にまでさかのぼるそうで、その古めかしい町並みとともに、いかにもいわくありげである。

旧市街の入口

 場所はサンレモから東北東へ直線距離で10キロ弱。人口は1万人あまりで、バスも20~30分おきに走っている便利な町なのだが、旧市街の狭くて曲がりくねった路地はまさに迷宮の世界である。

石橋

 町の東側はアルジェンティーナ川が流れているのだが、そこに全長260メートル、16連のアーチが並ぶ魅力的な石橋がかかっている。
「中世の橋」「ローマ橋」などと呼ばれていて、対岸には12世紀に建てられたという教会が見えるのだが、あまりの暑さに渡るのをやめた軟弱な私である。

旧市街の町並み

 なにしろ着いた時間が悪かった。真夏の日射しが照りつける昼下がり。
 店はすっかり閉まっており、旧市街には人影もない。しかも、その日はやけに空気が湿っぽかった。

 山岳都市の歩き疲れを癒す日のはずが、サンレモの帰りに立ち寄ったここでも、やはり坂道だらけ。適当にぐるりとまわって写真を撮るだけになってしまったのである。

 まあ、それでも一応、町の頂上まで行かなくては気が済まない。
 息切れをしながら、頂上の城砦までたどりついたのだが、町の展望はいま一つであった。

旧市街の町並み

 だが、帰ってからインターネットのサイトを見ると、川をはさんだ反対側の丘から撮ったと思しき写真が載っていた。それによると、このタッジャの町は円錐形の山に沿った見事な丘上都市を形づくっているではないか。
 しかも、町一番の見どころのはずの、回廊の美しいサン・ドメニコ修道院も見損なっていたことも判明した……。

「うーん、こりゃあ次回への宿題だな!」
 こうして、イタリアの泥沼にさらにずぶずぶと足を突っ込むのである。

サンタ・ルチア教会

 最後の写真は、頂上近くにあったサンタ・ルチア教会。
 これはこれで、一風変わった形をしていておもしろい。

 坂を降りてバス停のある広場までやってくると、バールに少しずつ人が戻りはじめていた。
 待ち時間にビールを飲みながら、「さあ、始発のバスに乗ってのんびりと宿のあるインペリアまで帰るか」と思っていたら、なんと帰りのバスは海水浴に向かうと思われる小中学生で満員。あやうく乗り換えのバス停で降り損なうところであった。

2009-07-07

国境の町ヴェンティミッリャの旧市街

 ヴェンティミッリャ(Ventimiglia)というと、かつてユーレイルパスを使ってヨーロッパを周遊したことのある人は、イタリアとフランスの国境の町ということで記憶に残っているに違いない。
 私もその程度の認識で、今回は鉄道からバスへの乗り換えのために下車したわけである。

ヴェンティミッリャ旧市街遠景

 国境の町なんていうと、日本人の感覚ではどこかぎこちなくて、うら寂しいなんて感覚だが、ここはそれとは正反対であった。週末ということもあって、駅前に広がる新市街は人でごった返している。

 フランスからの観光客も多いようで、町をゆく自動車のナンバーを観察していたら、1割から2割がフランスナンバーだった。
 商店も立ち並び、イタリアの物産の土産物屋もずいぶん目にした。

旧市街の入口近く

 ところが、そんな新市街の西側に目をやると、丘を埋めつくす家々とその上にそびえ立つ教会の塔が見えてくる。

「おお、やっぱりここにも旧市街がある!」
 バスの発車まで1時間半ほどしかなかったが、私は喜び勇んで旧市街のふもとに向かったのであった。

 だが、当然丘の上にあるわけだから、頂上まで行くには坂道の連続。
「何が悲しくて、こんなに毎日坂道を登らなくちゃならないんだ」
 というわけで、結局この日も、山登り同然の坂道歩きを余儀なくされたのであった。

 旧市街の入口付近は、日の当たらない薄暗くて狭い道が続き、さすがの私も夜にここを通りたくないと思ったくらいである。
 しかも、サンレモの旧市街と違って、家々の壁の色はくすんでいて、どこか沈んだ雰囲気をただよわせている。

旧市街中心部

 それでも、頂上までやってくると夏の日射しがまぶしく照りつけていた。この丘は台地のようになっていて、側面は急坂になっているものの、頂上部はなだらかで広くなっている。

 ちょうどお昼どき直前ということもあって、バールでのんびりしている人、犬を連れて散歩している女性、友だちとぶらぶら歩いている若者たちなど、生活感あふれる情景を目にすることができた。

 下の写真は、フランスに近いこともあって、アンリ・カルチエ=ブレッソン風に撮ったものである。われながら、なかなかいい感じ。

旧市街の小道

 ちなみに、ヴェンティミッリャと書いたが、日本語での表記はヴェンティミリアというのが多いようだ。でも、語頭に「v」がきたり、イタリア語独特の「gli」もあって、しかもその直前にアクセントがあるから、なかなか日本人にはきれいな発音が難しい。無理やりカタカナで書くと、「ヴェンティミッリャ」と「ヴェンティミーリャ」の中間あたりかと思う。

 そういえば、前回書いた「San Remo/サン・レーモ」も実は発音が難しい。「R」が語頭にあるから、巻き舌も強めになるのだが、直前に「n」があるものだから、いったんのどの奥が閉まってから、一気に「ルルル」としなければならない。バスで切符を買うときに、のどと舌が捻挫しそうになった。

2009-07-04

サンレモにもあった見事な旧市街

旧市街への入口

 山岳都市巡礼が2日も続いて、さすがに疲れた。
 まだまだ行きたい町もあったが、それまでの疲労もたまっていたので、翌日は海岸に面した町をのんびりまわることにしたのである。

 まず足を向けたのは、宿泊地からバスで40分ほどのところにあるサンレモ(San Remo/サン・レーモ)。

 サンレモというと、なんといってもリビエラ海岸の一大保養地である。
 毎年音楽祭が開かれ、カジノがそびえ立ち、大きな邸宅が並んでいるというイメージが強い。

旧市街のトンネル路地

 ところが、そんなサンレモにもやっぱり旧市街があった。ラ・ピーニャ(La Pigna)と呼ばれるその旧市街は、市の中央部の山側にある。地図で見ると、斜面に溶岩が突き出したかのような形だ。

 バスターミナルの山側にあるコロンボ広場から、西に向かって100メートルほど歩くと、トップの写真のような小さな広場が見えてくる。これが、旧市街の入口の一つ。

交錯する道、道、道

 ここを入ると、いきなり長いトンネルとなる。びっしりと立て込んだ家々の下を抜ける道だ。
 右に曲がっても左に曲がっても、やっぱりトンネルの中。まるで遊園地のお化け屋敷を歩くような気分で200メートルほど進むと、やっと陽の光がみえてきた。

 正直言って、こんな見事な旧市街がサンレモにあるなんて思いも寄らなかった。やっぱり来てみるもんである。

旧市街の小さな広場

 路地はときに急坂となり、階段となってうねうねと続く。
「なんだ~、疲れたから山岳都市に行くのをやめたのに、やっぱり山登りかよ~」

 グチを言っても聞いてくれる人はいない。ときどき現われる小さな小さな広場に心を癒されて、そのへんの階段にへたりこんでひとときの休息をとるだけである。
 それにしても、こんなところにも、ヒマな観光客がやってくるようで、広場や建物の説明が書かれた看板を読んだり、デジカメで写真を撮ったりする人も見た。

 方向感覚は悪くはないと自負している私であるが、いいかげんもうどっちがどっちだか、わからない。とにかく高いほうに向かって登るだけである。

サン・シーロ教会

 そうして、旧市街の頂上までひいこら登っていくと、一気に周囲が開けて、展望台のある公園にたどりつく。
 海も一応みえるのだが、木や手前の建物がじゃまをして、眺めはいま一つであった。

 あとは、頂上から見えたサン・シーロ教会の塔を目指して、ひたすら坂道を降りるだけ。
 下界に降りると、そこには旧市街とは段違いの賑わいがあった。

2009-07-02

リヴィエラ海岸に背を向けて4: おまけ(行けなかった町)

 山岳都市が好評のようなので、おまけにもう1回。
 バスの車中やほかの町から見えた山岳都市、丘上都市の姿である。

アンダーニャ

 最初の写真は、トリオーラの山上からも見えた町。地図からすると、アンダーニャ(Andagna)という町ではないかと思うが、わからない。
 もう周囲はだいぶ暗くなっていたので、デジカメの感度をISO400にして、シャッタースピードを早めに設定にすることで、下り坂を飛ばすバスの車内から、かろうじて撮ることができた。だから、ちょっと色が悪いのはご勘弁を。

名称不明の町

 次の町は、名称不明。20万分の1の地図では名前が出ていないようだ。行きのバスのなかでは、いきなり正面の山の中腹に、こんな町がパッと現われたのでびっくりした。

カステッラーロ

 最後の写真は、かなり海岸に近いところ。タッジャ(Taggia)から見た、たぶんカステッラーロ(Castellaro)という町。稜線に沿って家が建ち並んでいるところがおもしろい。

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 というわけで、ヴィアレッジョの列車事故にも巻き込まれることなく、無事に日本に帰って参りました。
 例によって、日本に帰ってもだらだらと旅行記は続きます。いつ終わるかわかりませんが、お楽しみを。

2009-07-01

リヴィエラ海岸に背を向けて3: 谷間を彩るかわいい町々

 トリオーラ、アプリカーレといった山上都市はもちろん素晴らしいが、その途中に点在する町々もまた魅力的である。
 アプリカーレへの道が分かれるイーゾラボーナ(Isolabona)、その数キロ下流に位置するドルチェアックア(Dolceacqua)もそんな町の一つ。どちらも人口は500人程度と思うが、まさに、谷間に咲く白百合のようなかわいらしい町だった。

イーゾラボーナを山側から見たところ

 上3枚の写真がイーゾラボーナ。「よい島」という意味だと思うが、川をはさんで小さな町が広がっている。イタリアのガイドブックにも載っていないような場所だけど、なかなかのんびりとした穏やかな雰囲気の町である。

イーゾラボーナの川側

 川にかかる石橋を渡ると、石造りの家々が立ち並び、昼時ともあっておばさんたちがおしゃべりをしていた。
 さらに進むと小さな広場があるところは、ほかのイタリアの町と同じ。ネコがぐったりと何の警戒心も示すことなく、広場に横になって寝ているのには驚いた。

家々の下を通り抜けていく道

 広場からは放射状に何本もの通りがでている。

 細い道を選んで歩いていると、やがて家々の下を通り抜ける通路となった。
 薄暗い通路を右に左に曲がるうちに、いつのまにか川のほとりにたどりついたのであった。

 そして、下の3枚の写真がドルチェアックア。「甘い水」「淡水」という意味だろう。
 アプリカーレからサンレモ行きのバスに乗車して、ここで途中下車。1時間半後に別の町からやってくる次のバスに乗り換えた。
 こちらは、多少観光地化されており、滞在中にたまたま観光バスが1台立ち寄っていた。

ドルチェアックア

 超空腹で町に到着した私は、バス停の目の前にあったテラスのレストランに脱兎のごとく駆け込んで、注文をこなしてから上の写真を撮った。
 左に写り込んでいる青いバスが、アプリカーレから乗ってきた旧型バスである。

 運転手のお兄さんがなかなか愛想のいい男で、2、3分の停車後に出て行くときも、テラスに座っている私をほうを向いて、手を挙げてにっこり微笑んでくれた。まあ、その一瞬は片手運転だったわけだが、そんなことを気にするイタリア人はいない。

ドルチェアックアのレストランにて

 前菜は、海の幸の盛り合わせを注文した。「こんな山の中で」と一瞬、自問自答したが、ここまで来ればリグーリア海岸まで30分ほどである。実際に、出てきたのは新鮮なものであった。昼間から白ワインがうまい。
 調子に乗ってメインも頼んだのだが、何を食べたか思い出せない……。

ドルチェアックアの石橋

 結局、レストランにいたのは40分ほどだったが、その間に、あんなに晴れていた空は真っ暗になり、大粒の雨が降ってきた。傘をさして、すべりやすい石橋をわたり、旧市街を大急ぎで歩き回った私であった。
 腹いっぱいで足どりも重く、頂上の城砦にはとうとうたどりつけなかった。

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