駒込富士神社でロレンツォ・ディ・メディチを想う
病み上がりのまま仕事が超多忙モードになってしまったので、なかなか外を出歩く時間もない。それでも、体力を回復する必要があるから、太陽の光を浴びながら近所の散歩ぐらいはしようと心がけている。
今日は家から5分とかからないところにある駒込富士神社に行ってきた。
駒込というと、六義園や旧古河庭園が有名だが、スケールはくらべものにならないものの、富士神社の境内もなかなか味がある。
富士神社という名前からもわかるように、江戸時代の富士講と関係しているらしい。神社の本殿は急な階段の上に建っており、この小山を富士山に見立てているのだろう。
そこまでは勘づいていたが、駒込に20年も住んでいた初めて知った事実もあった。
かつてはこの富士神社は本郷にあったというのだ。だが、前田家の屋敷がつくられたために、現在の土地に移転したのだと現地の看板に書かれていた。
前田家の屋敷といえば、いまの東大の構内である。以前から、あそこに本富士町という地名があることを不思議に思っていたのだが、これで合点がいった。

がらんとした境内では、小学生が野球をして遊んでいた。野球といっても、プラスチックのバットとゴムボールのようである。
境内には大きな木が茂り、とても山手線内側の21世紀の風景には見えない。
本殿への階段は非常に急で、子どもや年寄には見るからに危険である。
こんなこんもりとした塚を誰がつくったのだろうと思っていたら、それの答えも書いてあった。
古代の前方後円墳らしいというのである。へえー。
確かに、板橋区あたりをうろうろしているうちに、あちこちに古墳の跡があることを知ったのだが、こんなところにもあったのだ。

階段を降りると、さっきまで野球をやっていた子どもたちが、サッカーボールを持ち出しているではないか。
なんという変わり身の早さ。
彼らはあっというまに靴で地面にラインを描いて、ボールを蹴りはじめた。
久しく、子どもたちがこんなに伸び伸びと遊んでいる風景は見たことがなかった。
一緒になって遊びたいところであるが、彼らとは40歳ほども年が離れている。不審者と思われるのもなんだし、さすがにやめた。
その代わり、偽インテリである私は、彼らに一片の詩を捧げることにした。他人のつくったもんだけどね。

フィレンツェのメディチ家最盛期の当主であるロレンツォ・イル・マニーフィコ(大ロレンツォ)こと、ロレンツォ・ディ・メディチがつくった有名な「Il trionfo di Bacco e Arianna」(バッカス<バッコ>とアリアドネ<アリアンナ>の凱旋)という詩の冒頭である。
Quant'è bella giovinezza,
che si fugge tuttavia!
Chi vuol esser lieto, sia:
di doman non c'è certezza.
(以下、二邑亭駄菓子による21世紀日本語訳)
若いっていいね
でも、あっという間のことなのさ
楽しくやるのがいいよ、ね
明日のことなんかわかんないし
大学時代のイタリア文学の授業で教わった詩である。まだまだ純情だった私のセンチメンタルな心を、いたく揺さぶったものだった。
3行目あたりが、ちょっと意訳だけど許してね。
ちなみに、一般的な訳は、ここやここをご覧あれ。
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