約20年前の平福と「因幡の白うさぎ」と「戦友」
前回の記事でせっかく平福について触れたのだから、20年前に撮った町の写真を見ていただくことにしよう。
平福は、山陰山陽を結ぶ因幡街道最大の宿場町だったという。
私がここを訪れたのは、今から21年前の1988年のこと。
1970年代後半、木曽路の妻籠宿や馬籠宿の宿場町再現によって町並み家並みに対する関心が高まり、それが全国に根づきはじめたころのことである。
かつては隆盛を極めた平福だが、鉄道が近くを通らなかったために不便な場所になってしまっていた。
もっとも、そのおかげで、昔の商家や土蔵などが残されたわけでもある。とくに、トップの写真にある川端に土蔵が並ぶ光景は圧巻だ。
最近ではずいぶん有名になって、時代劇のロケも行われるという。

平福のことは、平福駅を通過する特急「スーパーはくと」の車内でも、文字情報だけだが電光掲示板で紹介されていた。
ところで、「スーパーはくと」の車内放送のBGMは「因幡の白うさぎ」である。「蒲(がま)の穂綿にくるまれば~、うさぎはも~との白うさぎ~」というやつだ。調べてみると、本当の題名は「大黒さま」なんだとか。スーパーはくとの快走ぶりと、あの短調の哀切あふれるメロディがミスマッチでおもしろい。
はたして、今の子どもたちは、「因幡の白うさぎ」の話を知っているのだろうか。
また、この話には、歴史的にずいぶんウラがあるのではないかとも思う。

ところで、「大きな袋を 肩にかけ~ 大黒様が 来かかると~」という部分がBGMになっているのだが、そこでふと気がついた。「ここはお国を何百里、離れて遠き満州に~」という歌とメロディーがどこか似ている。
祖父が生きているとき、ちょっと酒が入ると、よく口ずさんでいた歌である。われわれの世代までは、よく耳にしていたものだった。
題名を忘れていたが、調べてみたら「戦友」という名前だった。歌詞をよくよく見ると、ちっとも戦意を高揚するための戦歌ではなく、これまた哀切極まる鎮魂歌である。
日露戦争当時にできた歌とのことで、太平洋戦争も知らない私には、もちろん同時代の歌として聞いたことはないのだが、このメロディーを聞くたびに、祖父がちゃぶ台の前でうなるようにして歌っている光景と、そして宮本輝原作小栗康平監督の映画「泥の河」で、きっちゃんという子が直立不動で歌っていた光景が、まぶたの裏に浮かんでくるのである。
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