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2009年3月の5件の記事

2009-03-29

伊香保温泉・急ぎ足で初訪問

 草津と伊香保といえば、北関東の伝統的2大温泉場であることに異論の余地はないだろう。
 亡くなった祖父母も、なんとか講だの老人会だのと、しょっちゅう草津や伊香保に行っていたようだ。

伊香保神社

 ところが、私は今まで、そのどちらも行ったことがない。それは旅する葦(いま思いついた名前!)として名折れだというわけで、先週の連休に妻を引き連れて初訪問を遂げてきた。
 当初は、どこかの温泉で1泊しようという話だったが、生来の怠け者体質なため、最後まで予約をするのが面倒くさく、結局ガイドブックも持たずに日帰り旅に出かけたというわけだ。

有名な階段

 新幹線と在来線と路線バスを乗り継ぐ優雅な(と本人は思っている)行き当たりばったりの旅。バスターミナルに着いたら目の前にロープウェイがあったので、高いところに登るのが好きなわれわれは、すぐに乗車。
 早い話が最初から乗り物三昧になってしまった。

露天風呂への道

 天気はいいのだが、赤城降ろしがビュービュー吹いて、しかも花粉もかなり飛んでいる気配。有名な公共露天風呂に入ったのだが、ぬるめの湯なもので、さすがに暖まらない。

 ここでは飲泉もできるというので飲んでみると、これが鉄分たっぷり。
 われわれのあとにやってきた若い女性は、一口含むなり、、「まずい!」と声を上げていた。

 落ち着いて休憩する場所も少なく、結局、有名な階段をあたりをうろうろして、温泉まんじゅうを食って、たこ焼きを食って、早々に引き上げてしまった。
 やっぱり、ここは日帰りであわただしく過ごすところではなく、のんびりと宿泊すべきところだと納得した次第である。

石材店の軌道跡

 晩飯は高崎。西口の再開発が終わって、なかなか趣味のいい通りができているのは知っていた。ファッションの店、食べ物の店など、ちょっといい店が建ち並んでいるのである。
 再開発というと、どこか安っぽく、下品になりがちだが、ここ高崎西口はかなりの成功例ではないかと勝手に評価している。以前来たときは平日の夕方だったので、若い人たちが元気に行き来しているのを見た。昨今の地方都市には珍しい活気を感じたのである。
 ……と能書きは置いといて、ちょっとおしゃれな居酒屋でたらふく食って帰ったわれわれであった。

 最後の写真は、高崎市内で見かけた石材店の手押し軌道跡。
 道を歩いていたら、妻に先に見つけられてしまった。

2009-03-12

佐賀の「くど造り」と「じょうご造り」

 長崎から特急博多行きで1時間。肥前鹿島で降りた客は私一人であった。長崎の町をもう少し見たいという同行のD氏とは、帰りの福岡空港で待ち合わせることにした。
 私がここで降りたのは、佐賀平野に残る茅葺き屋根の民家を見ようと思ったからである。

三河内の集落

 ただの茅葺きではない。このあたりは、くど造り、じょうご造りと呼ばれる独特な構造の民家で知られている。
 通常の民家といえば、当然ながら長方形をしているのだが、2棟が直角に連なって「L」字型になると、北関東や東北地方で有名な「曲がり屋」になる。

三河内のくど造り

 ところが、佐賀の「くど造り」は、さらに1棟が加わって、「凹」字型になっているのである。それが、上の写真の民家だ。
 肥前鹿島駅前のバスターミナルから2時間に1本ほどのバスに乗って約30分。やってきたのは三河内(みかわち)という集落である。だが、すでに屋根をブルーシートで覆った家も2、3軒ほど見られ、くど造りはおろか、茅葺きの家自体が風前の灯火であった。

鎮守さま

 数軒の家を撮って、さあ帰りのバスまで20分ほど、ゆっくりと待つか……と思って、はるかかなたにある隣の集落を見やると、左右とも視力1.0の私の眼に、なにやら茅葺きらしき民家がうっすらと映る。
「うーん、これを見逃して帰るのは心残りだ!」
 そう思い、バスがやってくる方向に向かって歩きだした。15分弱くらいで着くだろうという計算である。
 そうして見つけたのが、下のくど造りの民家だ。

くど造り

 佐賀には、くど造りのさらに発展形がある。凹型の最後の1辺にも棟を渡してしまった「じょうご造り」だ。つまり、上から見ると屋根が「回」の字の形になっているわけだ。
 なぜ「じょうご」かといえば、降った雨が中央に落ち、その様子がじょうごのように見えるからだろう。だから、雨水を排水する工夫が大変なんだとか。
 そんな不便なことをしなくても、全体を大屋根で覆えばよさそうなものだが、それが歴史であって伝統というものなのである。たぶん、家を新築するときも、それ以外の作り方は思いもよらないのだろう。

 だが、じょうご造りの家を見分けるのは難しい。横から見ると、普通の茅葺きの家と区別がつかないからである。真上から見ない限り、それとはわからない。あえていえば、大規模で正方形に近い茅葺きの家というポイントだろうか。

じょうご造りらしき民家

 たどり着いた集落の一番奥に、それらしき家が見えた。だが、そこまで行っているとバスに間にあわない。次のバスは2時間後である。
 涙を飲んで接近をあきらめ、ズームでバス道路から撮影するにとどめることにした。

 掘っ建て小屋のようなバス停で待っていると、やがて、おばあさん2人を乗せたマイクロバスがやってきた。

 というわけで、たった3泊4日の九州旅行を長々と引き延ばしてしまったが、これでひとまずおしまい。書きたいことはまだまだあるけれど、またの機会に。

2009-03-08

長崎のネコ

 坂道で自動車が入ってこないとなると、そこはネコの天国である。
 それはイタリアも日本も同じ。

坂道のネコ1

 まずは、天神町で見かけたネコ。
 階段を上っているところを呼びかけると、こちらを振り向いてくれた。
 きりりとした目つきがりりしい。

坂道のネコ2

 次は、やはりその近くの階段で見つけた三毛のネコ。
 階段の途中から溝に降りていった。
 溝にはまってしまったわけでもないだろうに、なぜかそのあたりでうろうろしていた。

浦上天主堂のネコ

 最後は、浦上天主堂で見たネコ。
 天主堂の裏、十字架をかかえる少年の像の下で、これまた彫像のように微動だにしなかった。

2009-03-07

長崎の坂道歩き

 長崎の駅を降りて驚くのは、丘の上にびっしりと立て込んでいる家、家、家。
 日本のなかで、これほどイタリアの丘上都市と似ている町はない。長崎は地盤が固いのだろうか。さもなければ、これだけ雨の降るところだから、山崩れで家が流されてしまう。

長崎の丘

 そして、丘の上の町が多いから、坂道や階段も多い。4年前の訪問では、車の通れないそんな道がたくさんあることを知って、「次回はもっと坂道・階段めぐりを楽しもう」と思ったのであった。
 だが、今回も長崎で用件を済ましているうちに、残念ながら時間がなくなってしまった。

丘のふもとの家並み

 なにしろ、むやみに階段を上っていくと、行き止まりになってしまうのだ。時間をかけて計画的に歩かないと、丘を乗り越えることはできない。今回も丘の征服は断念して、前回歩いて感動を覚えた道を、同行者D氏とともにたどることにした。

階段の道

 というわけで、今回は4年前に撮った写真をまじえて紹介することにしよう。
 場所は、路面電車の走る国道206号線から少し入ったところ。松山町電停で下車して丘のふもとに歩いていった。
 丘のへりをアップダウンを繰り返しながら、うねうねと続く道筋。同行者も感激の様子であった。

 せいぜい15分の坂歩きが終わって広い道に出ると、そこに「浦上街道」という立て札。
「もしや、これが名高い浦上街道?」
 どこからどこまでが街道だったのかわからないが、嗅覚がきいていつのまにか旧街道歩きをしていたようだ。

坂道

 確かに、よく考えれば、国道や駅のあたりは江戸時代ころまでは海か、せいぜい海岸線だったのだろう。
 そして、昔は自動車を通す必要がないから、広い道にすることもない。
 現代人の目から見ると狭くて不便に見える道も、かつては重要な街道であったに違いない。

坂道

「これは、我ながらなかなかいい発見だったぞ」
 そう考えることにして、丘上征服できなかった悔しさをまぎらそうとする私であった。

2009-03-01

熊本から島原を通って長崎へ

 熊本で1泊したのち、長崎に向かった。
 ルートについては、出発前に同行者とメールでカンカンガクガクのやりとりをした(ウソ)結果、熊本港からフェリーで島原に渡り、島原鉄道を使って諫早に移動してJRで長崎に向かうということにした。
 フェリーと島原鉄道の接続さえよければ、これがベストの選択である。いろんな乗り物も乗れるしね。

雲仙

 飛行機好きの同行者からは、「熊本空港から天草空港に飛び、そこから長崎に入るのは?」という提案もあったが、天草空港があまりにも不便なところにあり、バス便も少ないのでボツに。
 もう少し天草空港の利便性がよければ、ボンバルディアの飛行機に乗らなくてはいけないところだった。

島原外港駅

 前回、島原に来たのは、雲仙普賢岳噴火の半年前にあたる1990年3月。あれから、いろいろなことがあった。私にも島原にも。
 島原鉄道はつい最近、南半分の路線が廃止されてしまった。新しい終点は、フェリーの着く港から300メートルほどの島原外港駅。しかし、フェリーから乗り換える客も見当たらず、寂しい限りであった。

南島原駅

 次の列車まで間があったので、車庫のある隣駅の南島原まで歩くことにした。
 南島原駅の立派な駅舎は以前のまま。なかに入ると、「昔の地方私鉄の主要駅はこんなだったなあ」と思い出させる雰囲気である。小さな待合室の片隅に、小さな出札窓口があった。

南島原駅

 ホームには回送列車が停まっていた。これが島原外港まで行き、客を乗せて急行諫早行きとして戻ってくるわけだ。私たちは長崎までの切符を買って、ホームや車庫の写真を撮ったり、店の一つも開いていない駅前をぶらぶらしたりして、列車待ちの時間を楽しんだ。

 乗り込んだ2両編成の列車は、南島原を発車した時点で乗客が4、5人ほど。それでも、途中でずいぶん客が乗ってきて、なんだかほっとした私たちである。

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