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著書

  • 『ひたすら眺めていたシベリア鉄道』(私家版)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)

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2009-02-06

墨田区八広界隈

 4日は、墨田区京島にある実家に寄ったついでに、そのまま歩いて北上。八広(やひろ)付近をぶらぶら歩いた。
 旧町名でいうと、吾嬬町(あづまちょう)西4丁目~7丁目にあたる。

 最近では、戦災で焼け残った京島3丁目地区が、すっかり有名になってしまったが、明治通り(地元では環状線と呼ぶ)を越えた北側の八広地区は、戦災でほぼ全焼してしまったためか、あまりメディアでは取り上げられていない。

八広の狭い道

 まあ、下町で育った者にはおなじみの雑然とした風景が広がっているだけなのだが、そんな風景も今や貴重になりつつある。
 八広の細道の特徴は、くねくねとしていて歩いていると方向感覚が狂ってくることだ。タクシーの運転手が入るのを嫌がるというお墨付きのわかりにくさである。
 もっとも、京島はわかりやすいかというとそうではなく、そもそも車の入れない道が多いのだ。タクシーで入れる道に限っていえば、まだましというレベルなのである。

京成八広駅近く

 狭い道をくねくね歩いているうちに出たのが、上の場所。京成電鉄の荒川駅……じゃなくて八広駅そばの交差点である。この駅名にもまだ慣れないなあ。
 実は、私が通っていた幼稚園がこのそばにある。そして、この交差点の光景なのだが、40年以上前とあまり変わっていないことに感動した。
 下の写真はその交差点の反対側なのだが、こちらもバックのマンションさえなければ、40年前と見まごう風景である。

京成八広駅近く

 あなどりがたし八広。
 荒川駅……じゃなくて八広駅はすっかり姿を変えて、コンクリートの要塞のようになっていたが、私がいた幼稚園は昔の姿と大きく変わってはいなかった。
 当時神童だった私が、数々の神話を残した幼稚園である。思わず、のどの奥がひくりと鳴る。
 もっとも、庭では園児がたくさん遊んでいたので、あまりしげしげと眺めたり写真なんか撮っていたりすると不審者と思われかねない。嫌なご時世である。センチメンタルになるのはほどほどにして退散した。

 当初はここを散歩の終点にしようと思ったが、ここまで来れば亡き父親の実家跡も近い。散歩をさらに続けることにした。つづく。

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