玉ノ井いろは通り
鐘ヶ淵通りの中間あたりに、「いろは通り」の入口がある。鐘ヶ淵から玉ノ井に抜ける道だ。
そうそう、前回書き忘れたが、鐘ヶ淵は「鐘ヶ淵紡績」発祥の地。今のカネボウである。
ちなみに、現在、このあたりの住所は墨田区墨田となっているが、以前は墨田区隅田町(すみだちょう)と呼ばれていた。新住居表示にする際、「隅」が当用漢字にないということで、「墨」に統一されてしまったと聞いた。
ちょっと味気ないような気がしないでもない。
そして、いろは通りが向かう玉ノ井といえば、なんといっても遊廓だ。遊び人である私の父方の祖父もずいぶん通ったそうで、周囲の人たちに多大な迷惑をかけていたようである。
東武線の玉ノ井駅は、駅高架下に東武博物館が開業するのに合わせて、現地名である東向島に改称した。
でも、これまたちょっと味気ない。やっぱり、玉ノ井だよなあ。

遊廓のイメージが悪いからと改称したわけではない。むしろ地元では、あえて「玉ノ井いろは通り」と呼んでいることからもわかるように、玉ノ井の名前を大切にしている。駅名を東向島に改称するときには反対運動が起きて、結局、駅名表示板にはカッコの中に玉ノ井と入れることになった。
さて、いろは通りだが、かつては堂々たる看板建築の商店が建ち並び、もっと賑わっていたと記憶しているのだが、今では平日夕方というのにシャッターの閉じた店が多かったのは残念な限りである。
人が集まっているのは、わずかにスーパーのまわりだけだった。
日の傾いた夕暮れの町を歩いていたら、斜陽という言葉が頭に浮かんできた。

10年ほど前に歩いたときは、街角のそこここの何気ない風景が目に入ると同時に、幼いころ見た風景が電撃のようによみがえる瞬間が何度かあった。
だが、今回の散歩では、残念なことにそうした幸福な出会いは訪れなかったのである。
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塚野さん、はじめまして。
返信が遅くなってすみません。
40年前というと、父の実家の工場はすでにつぶれていたので、すれ違っていないかもしれませんね。昔の様子を、じっくり覚えていらっしゃるのはうらやましい限りです。
私がここにいたのは小学校に上がるまでだったので、さすがに記憶はとぎれとぎれですが、それでも昔のイメージはなんとか残っています。
私も、またときどき散歩をしにいこうと思います。
投稿: 駄菓子 | 2015-10-18 18:54
40年前、学生時代にこの界隈で新聞配達のアルバイトをしておりました。このたび、ぶらりと訪問する機会がありまして、当時の記憶のイメージを頼りにいろは通りや周辺の路地を歩きました。いろは通りは当時の風景とは違い、店舗数も減り、人通りも少なく、寂しい感じがしました。しかし、丸田酒屋、宝来軒、大越商店など、現在も営業されている商店もあり、、当時の懐かしい思いがこみ上げてきました。私の一番のいろは通りの思い出は、いろは通りの祭りで販売所のメンバーと一緒に初めて、おみこしを担いで、肩の皮をすりむいた痛い思い出があります。今でも、私の心の中のいろは通り商店街は人情と活気のあった記憶が、色あせることはありません。
機会があれば、また訪問したいと思います。
投稿: 塚野 | 2015-10-11 18:11