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2009年2月の4件の記事

2009-02-27

新幹線を待つ熊本駅前

 2月上旬、九州に行ってきた。3泊4日で熊本と長崎をまわるという駆け足の旅である。
 男性の同行者がいる旅というのは久しぶりのこと。昨年、仕事関係の人と泊まりがけで大阪に行ったのを別にすれば、大学生以来の出来事である。
 往復の飛行機と宿泊の手配はすべて彼に任せて、行程は私の勝手というかなりいいかげんな旅であった。

熊本駅

 さて、熊本駅なのだが、ここは再来年に迫った新幹線の工事が真っ盛りであった。上の写真の奥に見える高架線がそうである。
 そして、駅前もあちこちで工事中。20年前に泊まったホテルは影も形もなく、駅の正面は更地になっていた。駅のすぐ前、赤ちょうちんやラーメン屋が軒を並べていた一角もなくなっていた。
 一方で、駅を出て右側のあたり、市電の田崎橋終点あたりは、2年前にやってきたときには広々とした更地だったが、そこに何十階にもなる東横インが建っていた。

 たまたま、このところ2、3年おきに来ていたからわかるようなものの、10数年ぶりに訪れた人は何がなんだかわからなくなってしまっていることだろう。

市電田崎橋終点

 市電で町の中心部に行き、上通り商店街あたりをぶらぶらと歩く。
 アーケードを抜けたあたりには古本屋があったり、ちょっと横に入ると古い商家があったりして、気に入っている場所である。
 いつものように古本屋に入って品定めをしていると、なんと拙著『国鉄風景の30年』があるではないか!
「おお! はるばるこんなところで出会うとは!」としばし感激の対面。

 ところがである。「もしや」と思って本の底を見ると、やっぱり「B」という赤い印が……。そう、いわゆるB本なのであった。
 倒産した山海堂の倉庫から流出したやつである。

郡市対抗駅伝成績表

「ううっ」とうなるしかなかった。B本が大量に流出したために、別の出版社から復刊した本の売れ行きに影響したことは確かである。そして、B本はいくら売れても私の懐には一銭も入ってこないし、せっかく復刊してくれた出版社の売上げを圧迫してしまう……。
 複雑な心境である。かといって、この本を邪険にするわけにもいかず、そっと本棚に戻す心優しい私であった。当たり前か。

 表通りに戻ると、商店街の一角に、大きなスコアボードのようなものが掲げられていた。
 よく見ると、「郡市対抗熊日駅伝」と書かれている。中学生から高校生、一般の人も出場しているものらしい。
 「熊日」は、熊本と日向かと思ったが、それじゃいくらなんでも呼び方がアンバランスである。熊本日日新聞の後援だった。

2009-02-20

玉ノ井いろは通り

 鐘ヶ淵通りの中間あたりに、「いろは通り」の入口がある。鐘ヶ淵から玉ノ井に抜ける道だ。
 そうそう、前回書き忘れたが、鐘ヶ淵は「鐘ヶ淵紡績」発祥の地。今のカネボウである。

 ちなみに、現在、このあたりの住所は墨田区墨田となっているが、以前は墨田区隅田町(すみだちょう)と呼ばれていた。新住居表示にする際、「隅」が当用漢字にないということで、「墨」に統一されてしまったと聞いた。
 ちょっと味気ないような気がしないでもない。

いろは通りの鐘ヶ淵通り側入口

 そして、いろは通りが向かう玉ノ井といえば、なんといっても遊廓だ。遊び人である私の父方の祖父もずいぶん通ったそうで、周囲の人たちに多大な迷惑をかけていたようである。
 東武線の玉ノ井駅は、駅高架下に東武博物館が開業するのに合わせて、現地名である東向島に改称した。
 でも、これまたちょっと味気ない。やっぱり、玉ノ井だよなあ。

いろは通りの脇道

 遊廓のイメージが悪いからと改称したわけではない。むしろ地元では、あえて「玉ノ井いろは通り」と呼んでいることからもわかるように、玉ノ井の名前を大切にしている。駅名を東向島に改称するときには反対運動が起きて、結局、駅名表示板にはカッコの中に玉ノ井と入れることになった。

 さて、いろは通りだが、かつては堂々たる看板建築の商店が建ち並び、もっと賑わっていたと記憶しているのだが、今では平日夕方というのにシャッターの閉じた店が多かったのは残念な限りである。
 人が集まっているのは、わずかにスーパーのまわりだけだった。
 日の傾いた夕暮れの町を歩いていたら、斜陽という言葉が頭に浮かんできた。

いろは通り

 10年ほど前に歩いたときは、街角のそこここの何気ない風景が目に入ると同時に、幼いころ見た風景が電撃のようによみがえる瞬間が何度かあった。
 だが、今回の散歩では、残念なことにそうした幸福な出会いは訪れなかったのである。

2009-02-15

鐘ヶ淵通りへのセンチメンタルな散歩

 鐘ヶ淵通りは、墨田区の墨堤通りから、東武伊勢崎線の鐘ヶ淵駅前を通って水戸街道に至る道である。
 父の実家があったのは、この通りから少し脇に入ったところであり、私も小学校に上がるまではここに住んでいた。
 敷地内にちょっとした町工場のある家だったが、今はもうその跡形もない。
 同じ東京の東部に住んでいながら、そこを再び訪ねたのは30を過ぎたころだと思う。それ以後、数年に一度、このあたりを散歩するのだが、これだけ変貌を遂げた東京にあって、そのあまりの変わらなさには感激するしかない。

水戸街道の近く

 今回の散歩は、八広を起点にしたため、水戸街道側から入っていった。そこで、まず目に入ったのが、この看板建築の商店群。倉持帽子店のガラスを拡大すると、下の写真のような張り紙が見えた。

倉持帽子店

 ハンチング、ゴルフ帽はわかるが、へら鮒帽と海釣帽がそれぞれあることをはじめて知った。
 町会帽っていうのは、町会の集まりでよくおじさんたちがかぶっているやつだろうか。

 平日の夕方にもかかわらず、水戸街道寄りは、シャッターの降りている店が多く、ここにも時代の流れを感じざるをえない。

 片側1車線で歩道のないところは、まさに半世紀前のまま。
 そういえば、この道は車が危ないので、脇道を通って家に戻ってくるようにいわれたっけ。
 確かに道沿いにビルやマンションは建っているが、ここまで昔の雰囲気が残っているのも、勝手ながら昔を懐かしむのが目的の人間にはありがたいものである。

鐘ヶ淵通り商店街

 そう思って歩いているうちに、ぽつぽつと空き地が目立つようになった。そして、とうとう見てしまったのである。
 それは、鐘ヶ淵通りの拡幅工事計画を示す看板であった。
 もう何年もすると、この通りもまったく姿を変えてしまうのだろうか。そうなると、祖母に手を引かれて鐘ヶ淵駅に東武の電車を見に行ったことも、よそいきの服を着せられて母と一緒に浅草に行ったことも、だんだんと思い出せなくなってしまうかもしれない。
 ちょっとセンチメンタルな気分になった私であった。

キリスト墨田聖書教会

 そして、脇道を入り、ドキドキしながら、そして少々迷いながら生まれ育った家の跡に向かう。
 最後の写真は、その家のすぐそばにある、小さな小さなキリスト墨田聖書教会。
 私が物心ついたときから、ここにあった。ネット情報によると、進駐軍放出のかまぼこ兵舎を活用したものらしい。はじめて知った。
(つづく)

2009-02-06

墨田区八広界隈

 4日は、墨田区京島にある実家に寄ったついでに、そのまま歩いて北上。八広(やひろ)付近をぶらぶら歩いた。
 旧町名でいうと、吾嬬町(あづまちょう)西4丁目~7丁目にあたる。

 最近では、戦災で焼け残った京島3丁目地区が、すっかり有名になってしまったが、明治通り(地元では環状線と呼ぶ)を越えた北側の八広地区は、戦災でほぼ全焼してしまったためか、あまりメディアでは取り上げられていない。

八広の狭い道

 まあ、下町で育った者にはおなじみの雑然とした風景が広がっているだけなのだが、そんな風景も今や貴重になりつつある。
 八広の細道の特徴は、くねくねとしていて歩いていると方向感覚が狂ってくることだ。タクシーの運転手が入るのを嫌がるというお墨付きのわかりにくさである。
 もっとも、京島はわかりやすいかというとそうではなく、そもそも車の入れない道が多いのだ。タクシーで入れる道に限っていえば、まだましというレベルなのである。

京成八広駅近く

 狭い道をくねくね歩いているうちに出たのが、上の場所。京成電鉄の荒川駅……じゃなくて八広駅そばの交差点である。この駅名にもまだ慣れないなあ。
 実は、私が通っていた幼稚園がこのそばにある。そして、この交差点の光景なのだが、40年以上前とあまり変わっていないことに感動した。
 下の写真はその交差点の反対側なのだが、こちらもバックのマンションさえなければ、40年前と見まごう風景である。

京成八広駅近く

 あなどりがたし八広。
 荒川駅……じゃなくて八広駅はすっかり姿を変えて、コンクリートの要塞のようになっていたが、私がいた幼稚園は昔の姿と大きく変わってはいなかった。
 当時神童だった私が、数々の神話を残した幼稚園である。思わず、のどの奥がひくりと鳴る。
 もっとも、庭では園児がたくさん遊んでいたので、あまりしげしげと眺めたり写真なんか撮っていたりすると不審者と思われかねない。嫌なご時世である。センチメンタルになるのはほどほどにして退散した。

 当初はここを散歩の終点にしようと思ったが、ここまで来れば亡き父親の実家跡も近い。散歩をさらに続けることにした。つづく。

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著書

  • 社会人に絶対必要な語彙力が身につく本[ペンネーム](だいわ文庫)
  • 『ようこそシベリア鉄道へ』(天夢人)
  • 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)
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