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2009年1月の5件の記事

2009-01-27

プーリアの黒猫

 いいかげん、昨秋のイタリア話も終わりにしなくてはと思い、やはりネコで締めくくることにした。
 書きたいことはまだまだあるけれど、そのうちメインのホームページの「イタリア町めぐり」でまとめます。
 
 先日は、旅の前半で見たサルデーニャのネコだったが、今回のは後半で見たプーリアのネコ。
 全般的に天候が不順だったので、ネコちゃんに会える機会が少なかったが、つかのまの晴れ間で見たのは、なぜか黒ネコばかり。

オートラントのネコ

 最初の2枚はサレント半島の先にある港町オートラントのネコ。
 クルマも入ってこない旧市街の路地に、何匹もたむろしていた。
 トップの1枚は、もう少し近寄って撮った写真があるのだが、こちらの写真のほうが町の雰囲気がわかるかな。

 そういえば、かつて「黒ネコのタンゴ」という歌が流行ったっけ。皆川おさむ君はどうしているんだろうか……と思ってネットで探したら、今は工業デザイナーをしているんだとか。46歳かあ。
 黒ネコのタンゴの原曲はイタリアであることを知っている人は少ないようだ……というよりも、黒ネコのタンゴの歌じたいを知る人も少なくなってきたが。

オートラントのネコ

 原曲は、子どものための音楽祭「ゼッキーノ・ドーロ」の入賞曲で、「Volevo un gatto nero」(黒ネコがほしかった)というのだが、そんなこともネットで書いてあるので、知っていてもあんまり威張れなくなってしまった。

 仕方がないので、もっとマニアックなゼッキーノ・ドーロ入賞曲を紹介しよう。その名も「il karate」。小さな男の子が、どこか中国風の音楽をバックに、♪カ~ラ~テ、カラカラカラテ♪と歌うのだ。どうやら空手のことを歌っているらしい。
 で、これまた、まさかと思ってネットで調べたら……
 YouTubeに動画 まであった! (音が出るので仕事中の人は注意)
 日本人の男の子が愛くるしい! 今は何をしているんだろうか。

レッチェのネコ

 3枚目の写真は、レッチェにあるサンティッシマ・ニコロ・エ・カタルド教会で見た黒ネコ。
 この教会の裏は墓場となっており、レッチェらしくゴシック気分たっぷりの、ごてごてに飾りつけられたお墓の数々が見られる。

2009-01-23

プーリアの私鉄「南東鉄道」で目撃した「事件」

 イタリアのかかと、プーリア州は私鉄の宝庫である。
 そのうち、南部のサレント半島を網の目のように……とまではいかないが、ザルの目くらいに走っているのがFerrovie Sud Est(フェッロヴィーエ・スドゥ・エスト)、日本語にすると「南東鉄道」である。
 この私鉄は、大都市バーリと世界遺産の町アルベロベッロを結んでいることで、日本人にもよく知られた存在である。
 のどかな沿線風景(一部を除く)、古い車両(一部を除く)に加えて、よく遅れるという3拍子揃った、古き良きイタリアらしさを,伝える魅力的な私鉄であるといえよう。
 趣味的にいうと、イタリアの私鉄界において、サルデーニャ鉄道を東の横綱とすると、こちらは西の横綱というのが私の勝手な感想である。

 レッチェ駅

 今回は、この路線の南側にあたるレッチェ以南の路線に乗った。
 車両は、旧型のディーゼルカーが1両か2両の編成。
 バーリあたりでは通勤通学時に、2階建て客車(たぶんイタリア国鉄のお古)の6両編成というのも見たし、新しいディーゼルカーも目にしたが、このあたりでは何十年前からこのままなのだろう。
 もっとも、かつては、ボディーはカーキ色や濃緑色に塗られていたはずの車両だが、鮮やかな青と赤を中心とした配色になっていた。
 ちなみに、上の写真の中央がそれであるが、左右に見えるのはイタリア鉄道(国鉄)の客車である。

  車内風景

 9時過ぎのガッリーポリ行きは、レッチェを発車した時点では、ほぼ座席が埋まっていた。
 なかなかの利用率で、これなら当分は安泰だろうと、人ごとながらほっと胸をなでおろす。しかも、老人と学生ばかりでなく、労働人口に当たる年齢層の男女の乗客が多かったのはうれしい。

 レッチェから南下していくと、途中で何本もの支線が分かれていくのだが、それぞれ分岐駅できちんと接続をとっているのは、当然ではあるが便利だ。

 その翌日に乗ったのは、オートラントに行く路線。途中で乗り換えるのだが、ガッリーポリに行く路線にくらべると、かなりローカル度は高い。
 そして、その路線で「事件」は起こったのである。
 

途中駅にて

 オートラントの2つ前の駅を発車した時点で、すでに乗客は私を含めて2人になっていた。周囲はオリーブ畑がところどころにあるほかは、ぽつりぽつりと人家があるだけである。
 おそらく、次の駅で降りるのだろう、もう一人の乗客である40歳くらいの男性が立ち上がって、ドアに向かって歩いて行った。
 やがて、小さなホームが見えてきた。

 ところがである。
 列車は、スピードこそ落としたものの、その駅を通過してしまったのだ。

オートラント駅

 どうなるのかと見ていたら、その男性は運転室後ろのドアまで小走りに行き、その鉄製のドアをドンドンドンドンと叩く。
 運転室にいた車掌がドアを開け、その男性がなにやら叫んだところで、列車は急停車した。
 すでに、ホームを通過して、駅の先にある踏切の上だった。
 もっとも、踏切といっても人の姿も自動車の姿もない。ただ、がらんとした空間といったほうがいいだろう。

 やがてドアが開いて、何事もなかったように男性は道路の上に降りていった。
 そして、何事もなかったようにディーゼルカーも走り出した。

 こんな私鉄だから好きである。同じことが日本で起きたら大変だろうけどね。
 私の推測だが、あれは駅を見逃したのではなく、あの駅で降りる人間はいないと勝手に判断していたのに違いない。

 もう1、2度はサレント半島を訪れて、この私鉄路線の全線制覇をしたいものである。

(その後、事件の真相が解明されました。詳しくは、ikeさんのコメントをご覧ください)

2009-01-20

からすみのカルパッチョ

 間があいてしまったが、しつこく昨年11月のイタリア旅行の話である。
 サルデーニャ島北西部の都市、サッサリに2泊したのだが、2泊ともレストランが当たりであった。
 2日目に行ったのは都心にある庶民的な店「カステッロ(Castello)」。

レストランの店内

 猛烈にウマいというわけではないが、値段もそこそこで雰囲気も上々。ピッツァもあるし、ここなら一人でも気楽に来られることだろう。

 前菜を選ぼうとして、メニューで目にとまったのが「ボッタルガ(からすみ)のカルパッチョ」。
 からすみはサルデーニャの名物であるが、一般的にはパスタの上に粉がかけられていたり、向こうが見えるほどの超薄切りで乗せられているのしか見たことがない。

「これなあに?」
 注文をとりにきた30代後半とおぼしき女性に尋ねると、彼女はていねいに説明してくれた。
「○★▼×(たぶんボラのことだと思う)の卵を■◇▲して(たぶん加工方法のことだと思う)、それから圧縮して、※■△して(以下不明)……」

 いや、からすみの作り方を聞いてるんじゃないんだけど……と言おうとしたが、これ以上話しても混乱しそうなので、ドゥオーモの舞台から飛び下りた気分で、それを頼むことにした。
 そして、出てきたのが下の写真の皿。

からすみのカルパッチョ

「なるほどね」と、妻は一人で納得したようだった。「生っぽくて、オリーブオイルがかけてあるからカルパッチョなのよ」
 それは、日本酒のつまみとしてもイケそうな一品であった。
 これを、私たちはサルデーニャ島の白ワインで唯一のDOCGである「ヴェルメンティーノ・ディ・ガッルーラ(Vermentino di Gallura)」でパクついたのである。
 このワイン、1杯飲んだだけでは、単なるさっぱりした白ワインという印象だが、飲めば飲むほど海の幸との取り合わせが抜群である。

ヴェルメンティーノ・ディ・ガッルーラ

 じつは、このワインのことは、マコメールからサッサリに来るときに利用したバスの運転手から聞いたものだ。
 数人の乗客しかいなかった急行バスの車内で、一番前に陣取った私たちに向かって、50代半ばくらいの運転手は、ひたすらしゃべり続けた。
 もちろん、「走行中は運転手に話しかけないように」という表示があるのだが……。
 そうか、運転手が話しかけるのはいいのか……。

 それにしても、音のうるさい旧型のバスのなかで、イタリア語を聞き取るのは疲れる作業である。この移動の1時間を休息に当てようと思っていた私はすっかり当てがはずれてしまった。
 それはいいのだが、会話をするときに、いちいちこちらの顔をみるのはやめてほしいものである。イタリアのバスや車でいつも感じるのだが、イタリア人の感性では、脇見運転をすることよりも、相手の顔を見ないで話すことのほうがはるかに避けるべき行為なのに違いない。

 彼によれば、息子が近くの町でシェフをしているのだとか。サッサリのおいしいレストランもよく知っていて、私たちに推薦してくれたというわけだ。

アルゲーロの赤ワイン

 次の写真は、1日目に行ったレストラン「ジャマラント(Giamaranto)」で飲んだワイン。白ワインのボトルを3人で空けたあと、赤ワインのハーフボトルで魚にも合うものと言って頼んだら、「カンノナウじゃないけれど」とニヤリとして持ってきてくれた品である。
 たぶん、「観光客はサルデーニャの赤ワインというと、中部でできるカンノナウしか知らないだろうけど、北西部でできるこっちのほうがウマいんだ」という意味が、あのニヤリに込められていたのだろう。たしかにウマかった。

 このレストランは、新市街の住宅地のまんなかにあって、「えっ、こんなところに」という立地なのだが、じつに洗練されていてよろしうございました。
 地元のちょっとおしゃれななじみ客に取り囲まれて、まったく場違いな私たちだったのだが、店の人のやさしく丁寧なサービスぶりにも好印象を持ったのであった。

090119e

 最後の写真は、2日目の店で食べたパスタ。サルデーニャの地方料理ということだが、すいとんにトマトソースとチーズをかけたような感じであった。

2009-01-07

サルデーニャのネコ

 恒例のイタリアのネコ写真である。
 まずは、旅の前半で出会ったサルデーニャ島のネコたち。

ボーザのネコ、その1

「サルデーニャのネコ」と偉そうにタイトルをつけたが、最初の3枚は、すべて北西部の町、ボーザの旧市街で撮ったものである。

ボーザのネコ、その2

 めったに車の通らない、旧市街の頂上あたりで、つかの間の晴れ間のもと、のんびりと日向ぼっこをしていた。
 3枚目の写真は、そこから少し降りたあたり、やはり旧市街のなかにいたネコである。

ボーザのネコ、その3

 同じ地中海に浮かぶ島でも、シチリアのネコはずいぶん人を恐れていたように見えたが、ここサルデーニャのネコたちは人間が近づいても臆することなく、堂々としていた。

 最後の1枚は、おまけ。
 1990年の旅での写真。サッサリの旧市街をぶらぶらしているとき、窓際にちょこんと座っていた美人ネコ。

サッサリのネコ

「美人ネコ」と書いたが、メスかオスかは確認していない。でも、メスのような気がする。
 いまもご存命ならば、かなりのご高齢であろう。

 残念ながら、今回はサッサリの旧市街を歩く時間があまりなかったので、ネコに出会うこともなかった。そして、この家がどこにあるのか、あの迷路のような旧市街のなかにあっては定かではない。

2009-01-02

雑司ヶ谷鬼子母神の初詣

 ここ数年、初詣とやらで妻や友人たちと、豊島区にある雑司ヶ谷鬼子母神に通っている。
 以前は、たいして人もいなかったのだが、年を経るにつけて本堂前の行列が長くなっている。
 そして、なんと今年は、並ぶのをあきらめるほどの行列だった。

雑司ヶ谷鬼子母神の行列

 時刻は0時半ごろ。気温は間違いなく5度を切っている。この寒いのにヒマな人も多いもんだ……と自分たちを棚にあげて驚きあきれる。
 よく見ると、周囲のほとんどが、20代前半からせいぜい30歳前後の若者ばかりなのが不思議であった。

 しかたがないので、境内の隅にある稲荷神社にお参りする私たち。
 稲荷神社の横では、なにやら火を燃やしていたのが印象的であった。お焚きあげというやつか。最近は、条例や法律やらで、むやみにたき火ができないようなので、久しぶりの眺めである。

お焚きあげ

 その後、近くにある大鳥神社に向かう。
 以前は並ばずにお参りできたのだが、こちらも3、40人の行列ができていたのは驚き。
 
 しかも、去年までは境内の端、都電の線路側にうっそうと木が繁っていたのだが、なんとそれがすべて切られていた。
 この下には、去年開通したばかりの地下鉄副都心線が通っている。つまり、地下鉄を建設するついでに、その上を道路にしようというわけである。

 いまさら、こんな静かな町に道路を通す必要があるのか、いささか疑問なのだが、要はどこかの広い道路のバイパスとするのだろう。

 そういえば、雑司ヶ谷鬼子母神にやってきた初詣の若者たちは、たぶん地下鉄副都心線でやってきたのだろうということがわかった。
 雑司ヶ谷の町も、地下鉄の開通で明らかに様相を変えつつあった。

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著書

  • 社会人に絶対必要な語彙力が身につく本[ペンネーム](だいわ文庫)
  • 『ようこそシベリア鉄道へ』(天夢人)
  • 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)
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