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2008年11月の8件の記事

2008-11-30

生貝の思い出:ガッリーポリ

 24日、アルゲーロ空港からのエア・ワン便は悪天候で1時間遅れ。ローマからブリンディジ行きのアリタリア便に間にあわないと真っ青になっていたら、幸か不幸かそちらも欠航。遅い便に振り替えになった。

 おかげで、ブリンディジ市内を見物してから悠々と18時ごろにレッチェに着くはずが、21時にようやく予約していたレッチェのB&Bに到着した。

 翌25日は、Sud-Est(南東鉄道)に乗って、未踏の地、ガッリーポリを目指した。サレント地方の重要都市を結んで走るこの鉄道は、1時間半おきとか2時間おきで不便に見えるが、なかなか接続がよくて不便を感じさせない。

網の手入れをする漁師さん

 さて、レッチェから約1時間あまりでやってきたガッリーポリでは、陽の光がさんさんと降り注いでいた。
 やっぱり、南イタリアはこうでなくっちゃ--と思ったが、前日まではこちらもかなりの寒さだったようだ。

 ここは、観光地である以上に漁師町であるようで、トップの写真にあるように、網の手入れしている漁師のおじさんなんかがいた。すでに昼近かったが、市場ではさまざまな魚や山盛りのムール貝が並んでいたっけ。

ガッリーポリ旧市街

 橋をわたって島全体が旧市街になっているところは、昨年訪ねたシチリアのシラクーザに似ている。
 でも、シラクーザよりもさらにおっとりとしている印象で、ふと、「こんなところに部屋を借りて3カ月くらい過ごしてみるのもいいな」と思ったものである。新鮮な魚介類は食べられるし、あとはインターネットの高速回線さえあればOKだ……もちろんカネとヒマもだけど。

 さて、この日の昼食は新市街に戻ってすぐのところにあるレストラン「Marechiaro」で魚介づくし。
 いくらウマくてもイタリアの魚料理は、日本にかなわないところであるが、それでも驚いたのが生の貝の盛り合わせである。
 カキはもちろん、アサリのような見慣れた貝から、初めて見たような貝まで、7、8種類の貝がすべて生で供された。

昼飯前の親父連中

 こんなに生の貝を食っても大丈夫か? と2、3秒間は逡巡したが、すぐにナイフとフォークをつかんでいた。
 貝を口に運ぶと、ほんのりと潮の香り。それはそれは新鮮で、まったく臭みがなく、ぎゅっと引き締まった濃い味でございました。
 あ、思い出したら、よだれが出てきた。もう一度食いたい!

2008-11-28

憧れのトリニタ・ディ・サッカルジャ

 ツアコンから解放された24日、アルゲーロ空港から昼前の便でローマに向かう妻と義母を送りに行かなければならない。
 当初は、見送りのあとでサルデーニャに残り、各地を点々としようと思っていたが、よく考えると伝統的な文化が残る内陸部は、山も多くて寒そう。スキー場もあるほどだ。

 というわけで、ローマ空港まで2人と同行し、そのあとで暖かそうなプーリア南部を巡ることに旅行直前になって変更した。

サッカルジャ教会

 さて、そんなあわただしい最終日の朝、タクシーで行ってきたのがサッサリ南東の郊外にあるサンティッシマ・トリニタ・ディ・サッカルジャ。通称、サッカルジャ教会である。

 このピサ・ロマネスク様式の魅力的な教会の写真を初めて見たのは、今から30年近く前のこと。なんといっても、その縞模様は強烈な印象となって残っていた。

 しかし、前回の旅行では残念ながら時間がなくてパス。列車の窓から遠くにその姿を拝んだだけであった。

 間近で見たその教会は、期待にたがわぬ立派なもの。朝日を浴びてまさに荘厳であった。しかも、町でもないところにぽつんと建っているのが趣深い。
 残念ながら、季節外れの朝早くだったので、内部に描かれているというフレスコ画を見ることはできなかったが、それでも満足であった。

サッカルジャ教会

 教会の建物にあまり興味のない同行者も感激した様子で、周囲をぐるりと1周して写真を撮っているうちに、あっという間に30分がたってしまった。

 このときのタクシーの運転手は、年のころは60歳。イタリア映画のおじいさん役に出てきそうないい男である。しかも、なかなかのインテリ。

サッカルジャ教会

 サルデーニャでも珍しい姓でレッダというのだが、これは日本でもかつて公開された映画「父 パードレ・パドローネ」の原作者と同じである。ちなみに映画の監督は巨匠タヴィアーニ兄弟であった。
 わかりやすいイタリア語を話してくれるレッダ氏からは、興味深い話をいろいろと聞くことができたのだが、それはまたの機会に。

2008-11-27

どこか心ひかれる旧市街:サッサリ

 イタリアに旧市街は数あれど、サッサリ(Sassari)のそれほど魅力的なところは少ない。

 といって、どこがいいのかと聞かれても、すぐに答えることはできないのだが、バーリの旧市街とくらべると味もそっけもなく、パレルモの旧市街よりはこぎれいなのにもかかわらず、古ぼけた家にはさまれた狭い道がくねくねと続くありさまを気に入っているのである。

旧市街で見た青いチンクェチェント

 今回の旅でもゆっくりと旧市街を散策しようとしたが、つもり積もった疲労のため、不覚にも日の高いうちからホテルで眠ってしまっていた。

 結局、カステルサルドからの帰りに、ふらふらと通っただけである。18年前の感動を再現するには至らなかったが、当時はなぜか行き着けなかったドゥオーモにたどりつき、その外壁にとりついた不思議な動物を見ることができた。

ドゥオーモの怪物

 そうそう、旧市街の南東側に広がる新市街も、道が広々としていて、すがすがしい。
 以前来たときは、祭りでもないのに、信じられないほどの人が集まっているのを見て驚いたことがあったっけ。

 道も建物もきれいになって、当時とはくらべることもできない。目抜き通りのローマ通りには、おしゃれなブティックも並んでいた。

静かな旧市街

 日が暮れてしばらくたち、同行者たちもおもむろに起き出す。そして、レストランに「からすみ」(ボッタルガ)を食べにいくことになるのだが、それはまた別の機会に。

2008-11-26

崖の上のカステルサルド

 ボーザからマコメール(Macomer)を経由して、サルデーニャ第2の都市サッサリ(Sassari)へ着いたときには、とっぷりと日は暮れていた。
 サッサリは、18年前に訪れた印象深い町で、ここに2泊する。
 翌23日が日曜日であることに気づいたのは、旅行がはじまってから。その日に北海岸の町、カステルサルド(Castelsardo)訪問を予定していたので、ツアコンとしてはいたくあせったが、日曜日にもサッサリからバスの便が3往復あったのは幸いだった。

カステルサルド遠景

 「サルデーニャの城」という名を持つカステルサルドは、トップの写真にあるように、海辺に突き出した崖の上の町である。
 崖上にはジェノバ人が築いたという城砦があり、その下に旧市街が広がっている……と思っていたら、行ってビックリ。

旧市街の教会

 なんと、本物の旧市街は、城砦のそのまた内側にあるのだ。
 しかも、そこにはカラフルな家や味わい深い教会があり、今も多くの人が住んでいる。

 前もって情報を仕入れすぎずに、現地に行って驚くというのもいい体験である。

 きつい階段をひいこら上って、ようやく城砦にたどり着いた義母は、足をさすりながらもご満足の様子であった。

 それにしても、さっきまで晴れていたと思ったら、あっというまに真っ黒な雲に覆われる。波も、まるで台風が近づいているかのように、白波を立てて打ち寄せてくる。

カステルサルドからの眺め

 ふもとの町にある土産物屋は9割がた閉まっていたが、その数の多さと、海岸点在するホテルを見ると、夏のシーズンにはさぞ観光客で賑わうのだろう。いまどき、こんなところにやってくる東洋人が悪いのである。
 まあ、おかげでホテル代は安いし、道は空いているけどね。

 それにしても、町なかのバールはもちろん、しゃれたホテルの1階にあるバールも、やはり昼前は、地元の親父連中に占領されていたのがおかしかった。

2008-11-24

カラフルな家並みの丘上都市・ボーザ

 21日はアルゲーロからバスで南下して海辺の町ボーザ(Bosa)へ。海岸の道を快適に1時間……と思っていたら、乗ったバスは1時間半かかる山の町経由。いやというほどのカーブを曲がり、眺めのいい山道を行って、一同しばし喜んでたのはいいのだが、義母がひどい車酔いをしてダウン。

丘上都市ボーザ

 もうとっぷりと日の暮れたザネッティ広場(バス終点)で途方にくれてしまったが、広場の隅のバールに避難して、ホテルに電話。なんとかタクシーを手配してホテルに到着できた。

 親類縁者の読者が心配するといけないので、最初は詳しく書かなかったが、じつは歩くのも大儀な様子だった。
「もう、本当に死ぬかと思ったわ。ブログにもそう書いとってちょ」とのちに義母は述懐する。

 そもそも、今回のツアコン旅行ではボーザが一番案じていた町である。アルゲーロやサッサリは来たことがあるが、ボーザは初めて。ホテルは予約しておいたが、イタリア語のガイドブックにも地図が載っていない。
 町の大きさや飲食店の見当がつかなくて、ツアコンとしては心もとない限りであった。

ボーザ旧市街

 それでも、翌日の昼過ぎまで町めぐりをしたボーザの町は、意外なほどに居心地がいいところだった。
 なんといっても、見どころは上の写真の旧市街。カラフルな家々が、丘の周囲にびっしりと立ち並んでいる。そのふもとには、味わい深い道の両側に、古ぼけたバールや商店が立ち並んでいた。

 夏のバカンスシーズンには、海辺に広がるボーザ・マリーナの町を中心に、客がずいぶん集まるのだろう。
 だが、11月の末、しかも台風並みの強風のなか、わざわざこんな町を訪れている旅行者はほとんどいなかった。

 翌日、バス終点までタクシーを頼もうとしたところ、ホテルの若い者が乗せていってくれた。しかも、お金は受け取ろうとしない。
 時間まで、前日とは違うバールでサルデーニャ産のビールを飲みながら待っていると、30代半ばと見える小太りの主人がやってきて、素敵なビールのグラスをプレゼントしてくれるという。

ボーザの丘上

 やはり、曲がりなりにも女性同伴で来るものである。日本びいきという主人に対して、義母が「私にもグラスをもう1つちょうだい」という。もちろん訳したのは私である。
 そんな無理なお願いにも嫌な顔一つしないで、新聞紙に包んだグラスを2つくれたのであった。
 どう考えてもビール代より高いのだが、まあいいか。

2008-11-22

カタルーニャの香り・アルゲーロ

 今秋も懲りずにイタリアにやってきた。「仕事がらみ」と宣言したのだが、結局、旅の前半は妻も義母も引き連れてのツアコンになってしまった。
 まあ、イタリアを旅行するには、男一人よりも女性がいたほうが何かとおもしろいことが起きるので、それはそれでいいとしよう……と無理やり納得する私であった。

 さて、旅のとっかかりは、妻の提案によってサルデーニャ島。21日の深夜に、北西部のアルゲーロ空港に到着した。

サンミケーレ教会

 じつは、アルゲーロには18年前に来たことがある。カタルーニャ人によって発展した町で、いまもバルセロナやバレンシアあたりと同じカタルーニャ語が話されているという。
 前回聞き損なったカタルーニャ語を、町で聞こうとしたのだが、食事や店めぐりに忙しく、つい聞き逃してしまった。いまは次の町にいるのだが、後の祭りである。
 下の写真は、バレンシア通り。通りや観光名所の名前は、イタリア語とカタルーニャ語が併記されている。ちなみに泊まったホテルがあるのはフランク通り、近くにはケネディ通りがあった。

バレンシア通り

 海に突き出した旧市街はこぢんまりとして、1時間以内で十分まわれるほどである。海側にがっちりと固められた城砦を見ると、かつてこの地の重要性が感じられる。
 もっとも、いまは平和そのものの町で、しかもサルデーニャにしては垢抜けている。夏はバカンスの客で賑わうそうだが、東海岸のコスタ・ズメラルダほどハイソな感じがしないのがいい。
 そんな素朴な町の様子に加え、マジョルカ焼の陶器をクーポラに使ったサン・ミケーレ教会(トップの写真)に、同行者もかなり満足していたようであった。

旧市街

 それにしても、海岸はすさまじい風である。天気予報によれば寒冷前線がまもなく通過するという。西のほうから真っ黒な雲が近づいていた。

2008-11-16

神保町「ミロンガ」のケーキセット

 急に寒くなった東京の町だが、いきなり厚着になる決心がつかないうちに、見事に風邪をひいて寝込んでしまった。
 これは風邪をひく直前に、神田神保町のタンゴ喫茶「ミロンガ」で注文したケーキセット。

「ミロンガ」のケーキセット

 ミロンガは、以前にもこのブログで取り上げたことがあるが、一日中アルゼンチン・タンゴが鳴っている喫茶店である。場所は、書泉グランデの裏、靖国通りに並行する裏道である。
 タンゴが好きだというと、10人中9人は、「踊るんですか?」という反応を見せるが、そうではない。オルケスタ・ティピカ・ビクトルやフランシスコ・カナロ楽団の演奏、カルロス・ガルデルやアンヘル・バルガスの歌をしみじみと聴くのである。
 なんといっても、キンキンシャリシャリの超高音やドンドンボコボコした超低音がないために、心安らかに聴けるのがいい。真夜中の仕事のお供にも最適である。

2008-11-03

羽田:大師橋の豪快な眺め

 羽田から多摩川に沿って六郷土手のほうに歩いていくと、目の前に大きな橋が見えてくる。
 手前の橋が首都高横羽線の橋(写真左側)、その向こうが産業道路の大師橋(写真右側)である。
 この2本の橋(大師橋は上り下りの2本があるから計3本だが)が多摩川上でV字を描き、川崎側の岸辺で交わっているという光景は、なかなかに豪快である。
 この写真は、そのV字の股の真下から撮ったもの。、

大師橋

 その豪快な光景のもと、川岸ではのんびりと釣りを楽しむ人たちがいるのもいい。
「写真の本質は記録である」と常日頃うそぶいているのだが、こんな風景のなかでは、ちょっと気取った写真を撮りたくなってくる。
 ……え、こんなんじゃ全然気取っているうちに入らないって?

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