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2008年10月の7件の記事

2008-10-28

浅草:ちょっと怖い「被官稲荷神社」

 先週末は浅草ビューホテルで小学校の同期会があった。
 3年ぶりに開かれたもので、ついつい盛り上がって三次会まで出席。メインの会が夕方5時に始まり、家路についたのが11時だから6時間飲み続けたわけだ。最後のあたりはほとんど記憶がないのだが、みんなに迷惑をかけなかったか心配である。

被官稲荷神社遠景

 さて、その同期会の前に、観光客で賑わう観音様(浅草寺)にお参り……をせずに、その脇にある浅草神社を訪問。実は、観音様は戦災(空襲)で焼けたのだが、浅草神社は奇跡的に焼け残り、こちらが重文となっているのだ。
 三社様こと浅草神社は、観音様の御本尊を隅田川で網にかけたという漁師の兄弟と、それが観音菩薩像だとして安置することを決めた人の3人を祀ったものである……と小学校で習った。
 いまではきれいなウェブサイトもあり、「巫女の独り言」というブログまであるから驚きである。

 実はこの日、それなりに人が集まっている浅草神社もまた素通りして、境内の片隅にある被官稲荷神社にお参りしたのであった。ここは、知る人ぞ知る、不思議な雰囲気の神社なのである。

被官稲荷神社

 京都にある伏見稲荷神社から分社したとのことで、いまは浅草神社の末社であると、浅草神社のサイトに説明があった。
 被官という名前なので、出世や就職にご利益があるということは、以前から知っていた。どちらも、わたしには縁もなく、必要もないものだが、ちょっとひいきにしているっていう感じかな。

 稲荷神社だから当たり前かもしれないが、狐の石像が何体もあって、初めて見たときには不気味に思われた。
 その日は先客が2人いたが、手ぶらで来ているところを見ると、やっぱり近所の人なのだろう。
 そして、ここに来るたびに見入ってしまうのが、この狐の「お姿」である。

お姿

 神社に奉納されているのだが、この「お姿」が何百体も並べられているのを見ると、ちょっとドキッとする。
 夜中にこんなものが目の前に現われたら怖いなあ。

2008-10-21

八丁堀:亀島川の夜景

 先日、仕事で八丁堀に出向き、帰りは6時ごろになった。もう、6時で真っ暗である。
 亀島川を渡ったところで目に入った景色がこれ。
 ちなみに、八丁堀で仕事といっても与力でも同心でもない。

亀島川の夜景

 高橋の上から撮ったもので、奥に見える橋は南高橋。ちなみに、高橋は「たかはし」ではなく、「たかばし」と濁る。同名の橋は、深川にもあるからややこしい。深川の高橋というと、「伊せ喜」のどじょうを思い出すが、このところすっかりごぶさたしているのは残念だ。

 ちなみに、私はあまり夜景を撮るのが好きではない。手持ちで撮って写真がぶれて、ヘタクソと言われるのが嫌なのも一つの理由だが、最大の理由は誰が撮っても同じに写ってしまうことだ。きれいなだけ。で、なんだかべろーんと平板なんだよなあ。
 だから、夜景を撮って「きれいでしょ」なんて自慢している人を見ると、「ふっ、まだまだだな」なんて思うのだが、たまにこうしてこっそり撮っていたりする。

2008-10-19

東京中央郵便局建て替え

 先日、まだ暑いころの話である。
 東京駅近くで打ち合わせがあった。その前に、内輪の人間が待ち合わせをしようということになり、誰でもわかる場所として、駅前の東京中央郵便局の正面で会うことに決まった。

 ところが、行ってびっくり。中央郵便局は閉まっていた。正面入口周辺では、局員らしき人たちが、移転先の案内をしていた。
 早めに行って、なかで涼んでいようというもくろみは、もろくも崩れ、蒸し暑い中で時間を持てあますという最悪の事態に陥ってしまったのである。
 あとで知ったのだが、中央郵便局は、以前から建て替えが決まっていたのだそうだ。

東京中央郵便局

 味気ない建物のように思っていたが、いざなくなるのかと思ってよく見ると、正面の曲線がなんとも趣深い。かの建築家ブルーノ・タウトは、これをモダニズム建築の傑作と呼んだのだとか。 
 周囲のビルが高層に建て替えられていくなかで、東京駅の駅舎とこのビルのそばからは、広い空を眺めることができるのはいい気持ちであった。

 さて、この建物はまるごと取り壊されてしまうのかと思いきや、正面の部分を残して背後に高層ビルを建てるのだという。古いものを残しつつ、新しいものをつくるという一つの手なのだろう。もちろん、貴重な建築なのだから、そのまま残せ、という議論もあるようだ。

 私はどうなのかといわれれば、実はどっちでもいい。こうした大きな建物の価値を探るのもいいが、もっと下々の民家や町家、町並みにも、そのくらいの情熱を持って接してもらえればなあ、なんて思うのである。

2008-10-15

浅草の喫茶店「マウンテン」

 浅草育ちだと自慢はしているのだが、いたのは小学校時代だから、うまいレストランや飲み屋を知っていたわけではない。どじょう屋も神谷バーも大学生になってから初めて足を踏み入れた場所である。

 かろうじて、幼いころ母に連れられて行ったのが、雷門の並び、浅草通り沿いにあった中華料理「一番」と喫茶店「ナガシマ」だ。
 「一番」は、クラシックな中華料理店そのものの雰囲気の中で食べるチャーシューメンが忘れられず、大学生になってからもたまに一人で食べに行ったものだった。だが、その店も20年ほど前に姿を消してしまった。
 *その後、小学校の同期会で会ったT氏から、「裏の通りで営業を続けている」との情報あり。店の正式な名前は「味の一番」 でした。

 「ナガシマ」は、当時にしてはかなりハイカラな喫茶店だったと思う。子どもが行くと必ず小さなアクセサリーのようなものをもらった記憶がある。やがて、やけにあっさりとした店に改装され、さらに数年前には今どきのカフェ風に変わったが、つい最近閉店してしまったそうだ。

喫茶「マウンテン」

 いまでは、浅草で喫茶店というと、もっぱらこの「マウンテン」を利用している。歩き疲れたときに、この店はゆったりとくつろげるからだ。友人や家族と浅草に来たときも、この店に連れてくると喜んでもらえる。なにしろ、ドアを開けたとたんに、古き良き喫茶店の空気が体いっぱいに吹き寄せてくるのだ。

 しかも、メニューがすごい。コーヒー、紅茶、アイスクリーム、パフェ類はもちろん、あんみつ、くず餅、焼きそば、お好み焼き、もんじゃ焼きまで、ありとあらゆる品がぎっしりと記されている。
 そんな品揃えでいて、コーヒーがうまいのもうれしいところだ。

 しかも、店内のごてごてぶりもかなりのもの。この写真を撮ったのは2カ月ほど前のことだが、テーブルの上には花と果物が供えられ、その上にはアンパンマンのお面、さらに上には琵琶のようなウードのような楽器が飾られている。左のほうには演歌歌手のポスターも見える。まだまだいろいろなものが飾られているが、写真ではよくわからない。

 浅草にはしょっちゅう行くわけではないので、この店に顔を出すのも半年に1回くらいだが、ぜひとも末永く残ってほしいと思う。
 これまでは、コーヒーとあんみつくらいしか注文したことがないので、次回はぜひパフェでも食べたいところである。

2008-10-12

都バス・大塚車庫

 地下鉄丸の内線茗荷谷駅近くにある都バス大塚車庫。
 きのう、母校の創立120周年記念祭に出かけた帰りに通りかかった。

都バス大塚車庫

 周囲の建物はすっかり変わってしまったけれど、ここだけは30年前とほぼ同じ。
 春日通りに都電が走っていたころから、この姿のまま。もちろんバスは新しくなり、建物の外壁も白く塗り直したみたいだけど。

 このすぐ東側では、茗荷谷再開発計画だとかで、更地の上で建設機械が動いている。通りの向かいにあった同潤会大塚女子アパートメントハウスも、かなり以前に更地になった。
 車庫のあるこの広々とした土地も、かなりの地価になることだろう。はたして、5年後にはどうなっているだろうか。

2008-10-08

『芸術新潮』2008年1月号「ブルーノ・ムナーリ入門」

 本当だったら去年のうちに書くつもりだったが、いまになってしまった。
 去年のある日、家の近くにある本屋に入り、いつものようにぼんやりと店内をまわっていたときである。
 見たことのある表紙が目に入り、本当に背筋がぞくっとした。

 それは忘れもしない、いまを去ること20数年前、イタリア・フィレンツェの語学学校の教材として使われた本の表紙であった。
 いや、正確にいうと、その教材の表紙と同じ表紙をした雑誌が平積みになっていたのである。下の写真左「芸術新潮2008年1月号」である。

芸術新潮2008年1月号 「間違いの本」

 恥ずかしながら、ブルーノ・ムナーリという名前を聞いたのはそれが初めてであった。もひとつ恥ずかしながら、「芸術新潮」を買ったのは、これが初めてであった。(あ、恥ずかしくない?)

 で、私が実家に保存してあったのが、写真右にある「IL LIBRO DEGLI ERRORI」(イル・リーブロ・デッリ・エッローリ)、つまり「間違いの本」「誤りの本」という名の本である。しかも大型の1964年版。のちに出た小型版ではない。(ちょっと自慢。でも、色が褪せているので、左の本と色調がちがってしまった)
 ブルーノ・ムナーリについての詳細はネットで調べていただければわかるが、デザイナー、絵本画家・作家という狭い範疇でくくるには難しいユニークな人であった……そうだ。板橋区立美術館で開催されたブルーノ・ムナーリ展にも行って楽しんできた。

 「間違いの本」は、そのムナーリが挿絵を描き、ジャンニ・ロダーリという人が文章を書いたもので、イタリア語や文法、方言にちなんだ短い寓話が数十編収録されている。イタリアの子どもの必読書らしいのだが、イタリア語を学ぶ外国人にも、イタリア語の根底にあるものに触れることができるので、おすすめである。

 授業で取り上げられたのは、そのごく一部だが、なかでも印象に残っているのが、「L'Acca in fuga」(ラッカ・イン・フーガ)、つまり「H(アッカ)の逃亡」「逃げるH」といった意味のタイトルの寓話である。

 イタリア語のアルファベットのうち、Hは(フランス語やスペイン語と同様)発音しない。そこで、イタリアにいるHはいじけてしまう。
「自分はいてもいなくても構わない存在なんだ」と感じて、Hをしっかりと発音してくれるドイツ語圏に逃亡しようと企てる。

 だが、Hが行方不明になったとたん、イタリアじゅうで大混乱が起きた。キャンティ(Chianti)のワインはチャンティ(Cianti)になって、急にマズくなった。キョード(Chiodo/釘)はチョード(Ciodo)になってしまい、金槌で打ったらバターのように柔らかくなってしまった……などなど。
 というわけで、これは大変と捜索隊がHを探し回り、ようやく北部のブレンネーロ近くで、オーストリアに密入国しようとしているHを発見。Hはパスポートを持っていなかったのだ。

 捜索隊はHにひざまづいて懇願する。
「君はとっても大切な存在だ。君がいないとダンテ・アリギエーリの名前も発音できない(ダンテ・アリジエーリになる)。キウジ・キャンチャーノテルメ(Chiusi-Chianciano Terme)駅の駅長からも、君がいないとチウジ・チャンチャーノテルメ(Ciusi-Cianciano Terme)になってしまって格下げになると嘆く手紙が届いている……」
 これを聞いてHは気を取り直してイタリア脱出をやめたとさ。めでたしめでたし。

 この話を読んでから、ローマ・フィレンツェ間にあるキウジ・キャンチャーノテルメ駅を通るたびに、思わず頬がゆるむとともに、口の中で「チウジ・チャンチャーノテルメ」とつぶやくようになった私であった。もっとも、その後、新線ができたために特急列車はこの駅を通らなくなってしまったが。

 ブルーノ・ムナーリ展は、去年から東京・板橋区立美術館、滋賀県立近代美術館などで開催。現在は愛知県・刈谷市美術館で今月26日まで開かれている。

2008-10-05

1978年の保津峡

 保津峡のことを書いていて思い出した。
 昔、車窓から身を乗り出して保津峡の写真を撮ったことがあったっけ。
 さっそく写真箱を引っくり返して見つけたのがこれ。たぶんそうだと思う。1978年、大学生のときである。

1978年の保津峡

 まだ保津峡を短絡するトンネルができる前の山陰本線で、いままさに嵯峨野観光鉄道が走っている線路である。
 記録によると、DD51のひく820列車、普通米子発京都行きの旧型客車列車。福知山から12時15分に乗り込んで京都15時12分着とある。時刻と列車番号も記録しているなんて、我ながら昔はマメだった。

 もっとも、マニアになると機関車の番号はもちろん、乗った客車の番号も記録している。さらにマニアになると、その編成のすべての車両の番号を記録する人もいるのだから驚く。私は、極めて健全な一学生であったから、そこまではやらなかった。

 さて、この区間で、左に大きくカーブしていて目の前にトンネルがあるのは、グーグルマップで見ると2か所くらいしかない。しかも、保津川が瀬になっているのが目印になる。
 もう一度、嵯峨野観光鉄道に乗って、定点写真でも撮ろうかなっと。トロッコ列車ならば、身を乗り出して写真が撮れるからね。

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