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著書

  • 『ひたすら眺めていたシベリア鉄道』(私家版)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)

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2008-07-14

雌ネコ通り

 ネコで思い出したのだが、フリウリ ヴェネツィア・ジューリア州の山麓にある村、フリザンコに行ったとき、こんな名前の通りが目に入った。

雌ネコ通り

 Via della gatta(ヴィーア・デッラ・ガッタ)、つまり雌ネコ通りである。これまで、イタリアでこの名前の通りは聞いたことがなかったが、ほかにもあるのだろうか。
 そもそも、一般的にネコを指すgattoとせずに、あえてgattaと雌ネコを強調したことに、何かいわれでもあるのかもしれない。

 この雌ネコ通りであるが、小さな村の本当に狭い路地である。確かに、ネコがたわむれていてもおかしくないのだが、それにはあまりにも暑すぎる日中であった。
 結局、この村ではネコを見ることはかなわなかった。冬は寒くなるだろうから、ネコがいたとしたら飼いネコだろう。

金魚のいる池

 フリザンコでもう一つおもしろかったのが、この貯水槽というか池というか水たまりである。
 貯水槽自体は、小さな広場のまんなかにあって、静かな村:ポッファブロとフリザンコ のブログ記事で一番下に写真を入れてある。

 この広場を撮っているときに、ちょうど村のおばあさんが通りかかった。
 私は例によって、不審人物と思われないように、「きれいな村ですね!」とお愛想をいうと、おばあさんは「きれいだろ」と笑顔になって、「魚がいるよ」と教えてくれた。
 こんな山の中で急に「魚(ペーシェ)」という単語を聞いて、一瞬何がなんだかわからなかったが、そのときにおばあさんの視線が貯水槽を向いていることを、私は敏感にも察知したのである。

 そこを見やると、水たまりのなかを確かに小さなものが動いているではないか。
 それは、金魚というには大きいが、鯉というには小さな魚であった。
 山の中の小さな村で、水たまりを金魚(らしきもの)が泳いでいるのは、どこかユーモラスな光景であった。

 もし、雌ネコ通りに本当にネコがいたら、いい食事になっているかもしれない。

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コメント

おお、オス猫の存在意義を問う大胆な発言。
でも、確かにメス猫のほうがいいなあ。
気があるようでいて、プイとそっぽを向いたり。
あ、けっして擬人化してはおりません。

去年だったか、職場の飲み会で、猫好きの先輩と「猫はメスでなくちゃいけない」と意気投合し、かなり盛り上がりました。
だんだん調子にのって、しまいには「オス猫がこの世に存在する意味がわからない。オス猫なんていなくていい。」と勝手なことを言い合ってました。
猫好きもいろいろ。メスでないとダメな猫好きもいます。ウチの猫も当然にメスです。

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