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2008-07-01

いつも暑い町(?)フェルトレ

「ああ、フェルトレ(Feltre)ね。あそこはいつも暑いんだよ」
 26日の午後、フェルトレに行ってきたと告げると、ベッルーノのホテルのフロントのお兄さんは淡々とそう答えた。
--なんだよ~。前もって聞いておけばよかったなあ。
 とは思うけれど、アドバイスされたとしてもどうにもならない暑さであった。

フェルトレの旧市街を望む

 フェルトレ駅から徒歩5分足らず、旧市街の入口に着いたまではよかったが、目に入ってきたのは、中心部に続く階段。激しい日射しを遮るものもなく、階段は直射日光に輝いていた。
 こんな暑さの中、60代とおぼしきイタリア人のおばさんグループが、旧市街を見物していたのには感心した。もっとも、やはり日陰を伝って歩いてはいたが。

 中心部の広場に立つと、城砦や教会の鐘楼など、時代を刻んだ建造物が折り重なって目に入ってくるのが見事である。
 もっとも、ミニコンサートでも開かれるのだろうか、無骨な金属のステージがしつらえてあったのは、ちょっと残念であった。

中心の広場

 暑さから少しでも逃れようと、旧市街のはずれにある市立博物館で一息入れよう思い立ったが、そうは問屋が卸してくれない。
 博物館の入口では、40代後半か50代のインテリっぽいおばさんがおしゃべりをしていたのだが、その2人がここの学術員だった。
 館内に人影はなく、私は飛んで火に入る夏の虫である。イタリア語は「ボン・ジョールノ」しか口にしていないはずなのに、2人交代でイタリア語で館内をウーマン・トゥー・マンで丁寧に説明してくれた。゛

 もっとも、とても聞きやすいゆっくりなイタリア語だったので、だいたいは理解できた。
 約20分の「講義内容」を簡単にまとめれば、ここフェルトレはキリスト教伝来以前から栄えた町であり、地中海世界と北ヨーロッパとを結ぶルートの重要な位置を占めていたということである。
 ローマ時代のものはもちろん、エトルリアの遺物も展示されていた。郊外では、先史時代の遺跡も見つかったという。


ポルティコのある道

--当時のフェルトレは暑くなかったのだろうか?
 もとは貴族の家だったというこぢんまりとした館内を一周すれば、あとは館内で時間をつぶすスペースもない。
 再び頭頂部に強い日射しを浴びた私は、そのくらいしか考えつかなかったのであった。

 そういえば、博物館を出るとき、ぜひ訪問帳にサインをしていってくれというのでローマ字と漢字でサインをしたが、よく見ると私の前の人は前日、その前の人はその2日前の訪問であった。

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イタリアの旅 北から南まで」カテゴリの記事

コメント

ikeさん、私は英語でぺらぺらと説明されるのが苦手です。英語はヒアリングが難しいし、そもそもイタリア人の英語は……と人のことは言えませんが。

イタリアでは、イタリア語がわかるというと喜んでもらえますが、英語も同じようなレベルだと知られると冷たい視線が向けられることもしばしば。

フェルトレの旧市街は本当に小さいので、「えっ、こんな町がかつては重要だったのか」と驚きました。

メルクルさん、ささやかなギャグに反応してくださりありがとうございます (^^;;
実は、きのう(1日)の夕方に日本に戻って参りました。日本は涼しい! いま思うに、本当に熱射病にならなかったのが不思議なくらいです。
信じられないほど水を飲み続けたのがよかったのかも。
もちろんブログは最後まで続けますのでよろしくお願いします。
ネコちゃんにとっても、やはり暑すぎたのか、あまりあえませんでした……。

フェルトレは、街のすぐそばの道を通り過ぎたことがあるだけですが、赤い色の塔が立ち並ぶ独特の景観が印象的でした。
石材がやはりドロマイトなんでしょうか。色味からして暑そうです。

ヒマそうな博物館でのご案内というのは、イタリア語がほとんどわからない私には地獄です。
自分のペースで観られないし、フランス語とドイツ語ができて、ロシア語が少しできるけど英語は全然ダメとかいう美人のお姉さんと2人きりで、ずっと黙ってたりするのも気まずいし・・・。

駄菓子さん

熱射病にかからないようにね~ ウーマントゥーマンに笑ってしましました♪ 

エトルリアの遺跡 遺物があるんですね・・暑くても訪れたい街になりました^^

元気で良き旅を お続け下さいにゃ~ん(可愛い猫ちゃんと遭遇されました?^^)

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