« いつも暑い町(?)フェルトレ | トップページ | 日曜でないとダメだった:アーゾロの城砦 »

2008-07-02

バッサーノ・デル・グラッパの2つの顔

 ベッルーノの次の宿泊地は、同じヴェネト州のバッサーノ・デル・グラッパ(Bassano del Grappa)である。今回の旅でもっとも知られた観光地だと思う。
 カステル・フランコ・ヴェネトで列車を乗り換えて、約2時間の旅。このカステル・フランコ・ヴェネトもおもしろい町で、図らずも翌日訪れることなってしまうのだが、それについては、またいずれ。

ポンテ・ヴェッキオ"

 26日の18時近くに駅に着き、旧市街でたまたま目に入った3つ星のホテルに宿泊。バールと経営が一体となっているのは、先日のマニアーゴと同じである。
 それにしても、星3つにしては部屋が狭苦しい。旧市街にあるのでしかたがないのかもしれないが、この暑いのにエアコンがないことに気がついてがっくり。
 その晩、ピッツェリーアでたまたま出会った中華系(中国本土、台湾、香港)3人連れに「ホテルにエアコンがない」と言ったら、「インクレディブル!」と驚かれてしまった。

 それはそうと、バッサーノ・デル・グラッパといえば、ブレンタ川に架かる屋根付きの橋であまりにも有名になってしまった。トップの写真がそれである。
 観光案内にはポンテ・デイ・アルピーニ(アルプス人の橋)と記されていたが、一般にはポンテ・ヴェッキオ(古い橋)で通っているようだ。

橋からの眺め

 いかにも、ロマンチックな雰囲気で、観光客であふれてかえって騒々しい町なのではないかと思ったら、やはりそうだった。
 あちこちの飲み屋からは、ドイツ語、イタリア語、英語をしゃべる若者の大騒ぎが聞こえてきて、ちょっとげんなり。

 それにしても、あの橋がなければ、普通のイタリアの古い小都市である。橋だけでこれだけの集客力があるというのも、考えようによっては素晴らしいものだ。
 ガイドブックによれば、オリジナルの橋はアンドレーア・パッラーディオの設計によって1569年に架けられたものであり、その後、何度も戦乱や水害で破壊され、そのたびにもとの設計に忠実に再現されたという。最後の破壊は1948年というから、第二次世界大戦のためか。

 そういえば、この町は蒸留酒グラッパ発祥の地という説があるほかに、第一次世界大戦の激戦地としても知られているようで、それにちなんだ碑や看板も目についた。町の本屋のショーウインドウには、当時の写真集や読み物も数多く置かれていた。

中心部の広場

 さて、さきほどはバッサーノ・デル・グラッパの町の悪口を書いてしまったが、翌朝観光客の少ない町を歩いているうちに、そんな印象は大きく変わった。
 いそいそと仕事に向かう人、犬を連れて散歩している人、街角であいさつしている人びとなど、そこにはよきイタリアの小さな町があった。
 町なかで写真を撮っていると、「この坂の上に行けば、橋全体をパノラマで撮れる場所があるよ!」と犬を連れた40歳ほどのお兄さんに声をかけられた。
 どちらかというと、観光客にはクールな対応の多い北部の旅で、こんなふうに声をかけられたのは初めてであった。

 バッサーノ・デル・グラッパに行くならば、ヴェネツィアのついでに立ち寄るのではなく、ぜひこの町で泊まってほしい。そして朝のうちに町めぐりをすべきである。
 そして、夏に泊まるならエアコンのついたホテルにね。

« いつも暑い町(?)フェルトレ | トップページ | 日曜でないとダメだった:アーゾロの城砦 »

イタリアの旅 北から南まで」カテゴリの記事

コメント

づかどんさん、こんばんは。
>イタリアが降伏してから5年もたっているようなきがします。
ありゃ、そうですね。日本が降伏したのが1945年ですしね。まだ時差ボケのようです。
すると、ボロボロになっていたところに水害がきたのか?

グラッパは残念ながら体調がイマイチなので飲みませんでした。
ワインのような醸造酒は現地で飲むとだいぶ違うような気がしますが、グラッパはどこで飲んでも変わりないのでは……なんて勝手に言い訳して。

アトムズさん、カステル・フラントとアーゾロは行きましたが、ポッサーニョという町は知りませんでした。
いま思うと、この町で乾燥フンギ・ポルチーニを買っておけばよかった。空港で見たら倍以上の値段がついていました。
飛行機に液体を乗せられなくなったのは困りものです。
ワインもオリーブオイルもリキュールも、町なかで買えません。ジャムくらいなら預ける荷物に入れてもいいけど、ワインやオリーブオイルの瓶が割れたときのことを考えると……。
バッサーノの駅周辺は、ただがらんとしていて、治安が悪いということは感じませんでしたよ。季節や時間によって印象が違うかもしれませんが。

minaさん、私は普段はあまりエアコンは好きじゃないんです。でも、今回は別!
イタリアの各地で最高気温の記録が出たとテレビでやっていました。
おまけに、バッサーノにいたころは、一時ぽつぽつと雨がふるようになって、涼しくなると思ったら逆に夜は蒸し暑ってしまったのです……。

>先に私死んでしまいますぅ
そう、イタリアは奥が深い! と今回もしみじみ思いました。生きているうちにどれだけ行けるのか。

ヨーコさん、そういえばアスパラ(白)を食べるのを忘れていました! アスパラ(緑)入りのレモン風味リゾットは食べましたが。
グラッパも飲み損ねました。というより、疲れがたまっていたので、自粛したのでした。
といっても、ビールとワインはしっかり飲みましたが。
冬に訪れると、印象もかなり変わるでしょうね。

ポンテ・デイ・アルピーニの最後の破壊が1948年とのことでしたが、イタリアが降伏してから5年もたっているようなきがします。
ボロボロの状態で5年もほったらかしにだったのかな?

本場でグラッパ飲みたいな!

 バッサーノ・デル・グラッパは8年前に行きました。懐かしいです。ヴェネツィアから車で行ったのですが、その日はポッサーニョというところへアントニオ・カノーヴァという建築家のお墓を見に行きました。
 その途中で昼食を食べたのが、カステル・フランコでした。何気に立ち寄った街だったのですが、朝市とかやっていて面白かったです。誰か(画家?)の銅像が街に真ん中に建っていましたね。その後寄ったアーゾロも綺麗な街でしたよ。
 そして、その日の宿泊地がパッサーノ・デル・グラッパ(正確には周辺)でした。駅の近くに車を停めたのですが、治安悪げでしたね。駅周辺はどこでもそうかも知れませんが。この橋も懐かしいし、この広場にあるお店ではいっぱい買い物しました。同じ所を写真に撮っても、こんなに上手に撮れないです。私は構図が悪いんですねえ。
 街中にはグラッパを飲ませる店があちこちにありましたが、お酒飲めないので入れませんでした。駄菓子さんは飲まれましたか?

へえぇぇ??そんなに暑いのですか?
イタリアでは普通はエアコンないでしょ?
駄菓子さんがそんなにエアコンにこだわってられる・・
そんなに暑いですか?

魅力のある街ばっかりで、私、困ります。
死ぬまでにイタリアの小さい街を制覇しようと思ってたけど、こんなに聞いた事もない街があると・・・

先に私死んでしまいますぅ

バッサーノ・デル・グラッパ、私は5年前の12月初旬にPADOVAから日帰りで訪れています。
北イタリアの冬の寒さに加え、当日は小雨まで降り出し、体調を崩してしまいました。
観光場所である木製の橋では、この街の生活者であろう主婦ひとりと擦れ違っただけでした。(旅日記より)
グラッパ酒のアルコール度数の高い方(凄く高かった)で身体を温めたつもりが逆に体調を悪化させてしまいました。
しかし、この街のインフォメーションの対応がすこぶる良いとも日記に記録されています。
この街、アスパラ(白)料理が有名だと町の人から聞きましたが、駄菓子さんは食されましたか?

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« いつも暑い町(?)フェルトレ | トップページ | 日曜でないとダメだった:アーゾロの城砦 »

著書

  • 社会人に絶対必要な語彙力が身につく本[ペンネーム](だいわ文庫)
  • 『ようこそシベリア鉄道へ』(天夢人)
  • 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)
無料ブログはココログ

.