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2007年12月の9件の記事

2007-12-16

シチリアのネコ

 そして、いつものとおり、シチリアでもネコを撮った。
 5年前に来たときにも感じたのだが、どうもシチリアのネコは、ほかのイタリアのネコとくらべて警戒心が強いように見える。カラーブリアのネコ なんか、ふてぶてしいくらいのやつも多かったんだけどね。

ラグーザ・イーブラのネコ

 この写真は、ラグーザ・イーブラで出会ったネコ。17世紀の大地震前の路地が残るラグーザ・イーブラは、やはりネコには住みやすいらしく、何匹も見かけることができた。

モーディカのネコ

 これは、モーディカ・バッサで見かけた飼い猫。
 もう少し暖かい時期に行けば、ネコに出会うことも多かったのかもしれないなあ。

シークリのネコ

 そして、シチリアには黒猫の比率が多いように思えた。
 出発前に読んだ新聞記事によると、イタリアでは黒猫は評判が悪くて、心ない人にいじめられているという記事を見かけたのが、それもネコの警戒心が強いことと関係があるのだろうか。

 最後の写真はシークリの町の斜面にある行き止まりの階段で見たネコ。
 この写真だけ見たら、イタリアで撮ったのかどうかわからないね。

2007-12-14

やっぱりチンクエチェント

 去年の カラーブリア旅行のブログ でも取り上げたのだが、今回もフィアット500(チンクエチェント)は健在で、あちこちで目にした。

ノートにて

 ほかのクルマには、たとえスーパーカーが来ようとも、カメラを向けようという気は起きないだろうが、なぜかチンクエチェントは写してしまうのだ。
 上の写真は、バロックの町ノートにて。ノートまで行って、わざわざこんな写真を撮ってくる人間も少ないだろう。路地と洗濯物とチンクエチェントの雰囲気がいいと思ってカメラを構えていたら、ちょうど向こうからおじさんがやってきた。これはいいと思っていると、前をご婦人が横切っていった。
 われながら、なかなか気に入っている写真である。

モーディカにて

 下の写真は、4泊もしたモーディカの町。丘上のモーディカ・アルタの中腹あたりに泊まっていた、夕日を浴びるチンクエチェント。
 今回は、たまたま2枚とも同じ色の、たぶん同じ型のようである。
 街中では、オレンジ色や紺色のチンクエチェントも見た。
 新型チンクエチェントも発売されたそうだが、まだまだ旧型は健在である。 

2007-12-08

シチリア富士・エトナ山

 12月7日朝、ホテルの主人と別れを惜しみつつ、モーディカをあとにした。ちなみに、この主人の姓もモーディカ。シニョール・モーディカというわけである。30~40代のころに北アフリカ、アラブ、スリランカなどを放浪して、インドネシアには3年もいたらしい。
 地元では新聞にも取り上げられた有名人のようである。奥さんとはメキシコで出会ったといってたっけ。

カターニャ市内のエトナ山の眺め

 さて、カターニャへの2階建てバスは、眺めのいい高原というべきか、とんでもない高い台地の上を快走する。だが、おちおち寝てはいられないのだ。車窓に現れる丘上都市をチェックし、手元の地図と対照して次回への宿題とするのである。
 誰に頼まれたわけでもないが、我ながらご苦労なことである。

 相変わらずカターニャは黒っぽい町だが、天気は晴朗で市内からエトナ山がくっきりと見えた。この美しい姿は、まさにシチリア富士と呼ぶにふさわしい。……って呼んでいるのは私だけかもしれないが。

 そして、イタリア時間の12月7日昼、いまこれをローマ空港で書いている。カターニャを出た飛行機はエトナ山をかすめるように飛び、噴煙までも手の届くところに見えた。
 運良く、席も左側の窓側。そして、これまでバカにしてやったことがなかったのだが、恥ずかしながら機内から窓の外をデジカメで連写した。
 以前、この路線に乗ったとき、カメラを収納棚に入れていて写せなかったのが心残りで、今回はポケットに入れておいたのが正解だった。
 私も学習するのである。

機上からのエトナ山

 安い切符を現地で買ったので出発は早朝の6時35分。機内に乗り込むころは、まだ外は真っ暗。でも、離陸するころには空が明るくなり、エトナ山頂は朝の光を浴びて、神々しく輝いていたのであった。
 そして、早朝発の安い切符だから、当然ローマに着くのも早い。午後2時発の成田行きまで、空港内で6時間も過ごさなければならないのであった。

……と、ローマ空港では無線LANのポイントが見つからず、成田空港でアップしています。
今回の旅ブログでは、なんとか帰国とあわせて終わりました!
去年はだらだらと現地のエピソードを書いていたので、帰国してから1か月以上も続いていたけれど……。
今回は帰国に間にあわせるために、現地でのエピソードは少なくなりましたが、これから気が向いたら少しずつアップしていこうと思っていますのでよろしく。

2007-12-07

小さな丘上都市・キアラモンテ・グルフィ

 モーディカには2泊のつもりだったが、どうにも居心地がいいので4泊もしてしまった。ローマまで陸路で移動することもあきらめて、帰りはカターニャからローマまでの飛行機も予約した。ちなみに、この区間は競争が激しいらしく、早朝の便ならば意外に安く入手できる。

 さて、ラグーザ、モーディカ、シークリ、ノートとくれば、バロック都市めぐりとして、残りはコーミゾとヴィットーリアとなるところだが、ここで生来のへそ曲がり根性が出た。
--日本のガイドブックに出ていない町に行かなくちゃ。

キアラモンテ・グルフィ

 というわけで、5日はラグーザの北方20キロほどのところにあるキアラモンテ・グルフィ(Chiaramonte Gulfi 以下キアラモンテ)を目指した。
 キアラモンテとは、澄んだ山、清い山というイメージか。さしずめ清澄山というところだが、これじゃ千葉県になってしまう。

 それにしても、長距離バスの正確さにくらべて、近距離バスはかなりルーズである。レストランの日本人の方によれば、市内バスはもっといいかげんなのだそうだ。
モーディカ発ラグーザ行きは、所要時間が30分なのに出発が30分も遅れたものだから、とうぜん接続便は発車済み。
 しかたがないので、次のバスまでの2時間を、再びラグーザ見物にあてた。この日はかんかん快晴だったので、いい写真が撮れたということで、これでいいのだ。

キアラモンテ・グルフィの門

 結局、午後の学校帰りの騒々しいガキ満載のバスでキアラモンテ着。ここはこぢんまりとした丘上都市である。
 まもなく昼休みなので、小さな広場に面したバールであわててパンを食らい込み尋ねた。
「ドゥオーモ広場ってどこ?」
 40歳くらいの人のよさそうな恰幅のいい店主は、欠けた前歯を見せながら笑って答えた。
「ここだよ」
 言われてよく見ると、確かに小さな広場の奥に教会があったが、正面が修復中であった。

 バールのトイレを借りようとすると、親切にも近くのおじさんが案内してくれた。
 トイレのある隣室に入ると、驚いたことに広い部屋には20人くらいの親父軍団が集結して、新聞を読んだり、ポーカーをしたりしているではないか。
 ここは町の親父の社交場であった。

 で、町の見物はというと、町自体が小さいことと、山の上で吹きっさらしの風が寒いのとで、1時間ちょっとの滞在時間で早々に退散することにした。

2007-12-06

コンパクトバロックシティ・ノート

 シークリから帰り、モーディカ・バッサからモーディカ・アルタまでの坂道と階段を嫌というほど歩き回った翌日、12月4日はノートに向かった。
 ノートは、ラグーザやモーディカ以上に、バロック建築の粋を集めてつくられた町として知られている。17世紀にこの地域を襲った大地震で壊滅した後に、新しくつくられたという。
 それにしても、このあたりの町は、本当に地震の教訓を得て少しは耐震構造にしてあるのか、やや疑問に思うきょうこのごろである。

聖フランチェスコ教会

 それはさておき、モーディカから約1時間半をかけてやってきたノートの町は、こじんまりとしていて、今風にいえばコンパクトシティであるが、その中心部には当時の流行であった装飾過剰に近いバロック建築が集中している。
 町の中心にあるドゥオーモは、モーディカのホテルのインテリ兄さん(マルチェロ・マストロヤンニに似ているおじさんではない人)によると、約10年にわたる修復作業が終わってきれいになったのだという。
 私が訪れたときは、ちょうどその教会で結婚式が行われている最中であった。
 ちなみに、上の写真はドゥオーモではなくて、聖フランチェスコ教会。

ノートのネコ

 丘上都市好きにしてはちょっと物足りないところもあるが、コンパクトに見どころがまとまっている町としてノートは訪れる価値があるといえよう。
 でも、やはりノートは田舎の町であって、泊まるならやっぱりモーディカだろうなあ。

「カフェ・シチリアにはいらっしゃらなかったんですか?」
 そう聞かれたのは、翌日の夜のこと。モーディカ・アルタのレストランで働いている日本人青年N氏からである。
 どうやら、訪ねる価値のある店だったらしい。まあ、これも宿題にしておこう。全部やりつくすと、もう来る意味がなくなるからね。

バロックか岩山か・シークリ

 モーディカをベースキャンプにして、周辺をまわる1日目。まずは、シークリ(Scicli)に向かった。
 町の地図をもらおうとツーリストインフォメーションを訪ねると、つまらなそうな顔をした姉ちゃんが「1ユーロ」と言う。
 観光地図に金がかかるのはどうかと思うが、世界遺産に指定されたもんだから、バロック様式の教会の修復に金がかかっているに違いない。おまけに、ラグーザあたりと違って宿泊客も少ないだろうから観光で金が落ちていないだろうと、ものわかりのいい私。

シークリ

 手元のガイドブックに地図がないので、素直に1ユーロを払うと「いま着いたばかりなの?」と、ちょっと優しい声になったお姉ちゃん。
 そうだと答えると、「いま、町の教会のほとんどが内部を修復しているのよね。入れるのはこことこことここ」と、3か所を示してくれた。
「残念だけど、いい?」と言ってくれるが、「だめ」と答えてもどうにもならないだろう。「しかたがないね」と答えると、最後は笑顔で見送ってくれた。

 まあ、私としては町をぶらぶら歩いて、その様子を見ていれば幸せなんだから、それでも構わないのだ。しかも、このシークリは町のなかにごつごつとした岩山が立っていて、斜面に家が建ち並び、山岳都市、丘上都市好きの私としては、好みのタイプである。

キアラモンテ・グルフィ

 いくつかある岩山のてっぺんには、ご丁寧に教会がつくられているから、私としてはいちいち登らなくてはならない。いや、「なくてはならない」のではないが、登らないと気が済まないのである。

 そして、岩の斜面には過去の住居跡と思われる穴があったり、道路に面した岩場ではいまだに穴を掘った住居があったりして、プチ・マテーラといった雰囲気である。

 最後に、修復の終わった教会の中を覗いてみて、そのごてごてした修飾の華麗さと色の鮮やかさにびっくり!
「もっと入れる教会があればいいのに」と、教会の椅子に座りながら、さっきとはうって変わって、勝手な感想を抱く私であった。

2007-12-05

感動の丘上と丘下都市・モーディカ

 シラクーザから、さあどこに行こうか迷った。本土に渡って、ここ3年ほど通い慣れたカラーブリアを訪ねようとも思ったが、せっかくここまで来たのだから、ラグーザ周辺のいわゆるバロックの町を見てみようと思い立った。

モーディカ・バッサから見たモーディカ・アルタ

 宿泊先をまたラグーザにするのは芸がないので、モーディカに泊まることにした。ラグーザを発つ日、ホテルからバスターミナルまで、同宿の日本人のご婦人たちとタクシーに相乗りした際に、その運転手であり柔道をやっているというお兄ちゃんの言葉が印象に残っていたからだ。
「ノートもいいけど、モーディカのほうがいいよ。町を見て感動するから!」

 そしてやってきたモーディカは、確かに驚きの町であった。長距離バスや鉄道はモーディカ・バッサ(下モーディカ)に到着するのだが、そこから見上げる斜面にはびっしりと家が建ち並び、道の向こうの山の上にモーディカ・アルタ(上モーディカ)が見えている。

モーディカ・バッサの日曜日

 しかし、到着したのが日曜日だった。ちょっぴりおしゃれをした市民で賑わうバッサの町で、巨大な荷物を持ってひいこら言いながら歩いている東洋人は、あまりにも異質であった。
 それでも、ツーリストインフォメーションの太ったおばさまに推薦された小さなホテルは、非常に清潔で居心地がよく、亡き名優マルチェッロ・マストロヤンニに似た主人が歓待してくれたのは、疲れた体をいやしてくれた。

2007-12-03

シチリアの別天地・シラクーザ

 11月30日はゼネストがあるというので、どこでストをやり過ごそうかと考えた末、シラクーザに2泊することにした。
 本当はラグーザに居すわって近郊の町をまわりたかったのだが、中長距離バスが動かなかったらしかたがない。たとえ動いていても、去年のグラヴィーナのように、行ったきり帰れなくなったら面倒である。

シラクーザの港

 そんなわけで、ラグーザ発14時のバスでシラクーザ着。この町もまた25年前に訪れたのだが、たしか夜行列車でたどり着いて、そのまま夕方までいただけなので、あまり記憶にない。
 たしか、駅に荷物を預けて旧市街のオルティージャ島を歩き、そのまま考古学地区を歩いたことだけは覚えている。写真も残っているし……。

 貧乏旅行ではどこか埃っぽく感じられた町だが、私が人生経験を積んだためか、それとも町が観光客受け入れにがんばっているためか、少なくともオルティージャ島は、なんとも居心地のよい場所になっていた。

シラクーザの路地

 地元の生活もちゃんと守られていて、しかも観光客を意識しているという微妙なバランスを保っている。あえていえば、イタリアのバラディーゾ、つまり天国のようなところ。
 かつてはギリシャの植民市であり、アルキメデスゆかりの地である。私もアルキメデスの名にちなんで、歩き愛でてまわった。

 結局3泊もしてしまい、海の幸も堪能。パレルモで食いそびれたウニのスパゲッティを2夜連続で食べてしまった私である。

2007-12-02

憧れのラグーザ

 いよいよラグーザ到着である。
 アグリジェントの小さなバスターミナルを、ジェーラ行きのバスは朝7時40分定刻に発車した。もう疑いようがない。シチリアの長距離バスは、少なくとも発車時刻は正確であることがわかった。

 バスは途中の丘上都市のいくつかを丹念にまわり、ジェーラには9時12分着。ここから目的地のラグーザ行きに乗り換えるのだが、時刻も調べずにきてしまった。
 だが、閑散としたバスターミナルで、近くにいた中年の上品なご婦人2人に尋ねてみると、9時半発のラグーザ行きがあるというではないか。
--バス会社が違うのに、きちんと接続してるんだ!

ラグーザ・イーブラの遠景

 しかも、昔よく経験したように、「ダイヤ上は接続しているけれど、遅れてしまって乗り換えられなかった」ということもない。私は痛く感激した。
 そして、9時30分発のバスは、7分前に車庫から出てきた。

 さて、1980代にタヴィアーニ兄弟の「カオス・シチリア物語」を初め、シチリアを舞台とした映画でサン・ジョルジョ大聖堂を見て以来、ラグーザは憧れの町であった。

 それにしても、シチリア島南東部の内陸にある交通の不便な町である。さぞかし田舎臭い町かと思っていたら、メインストリートにはおしゃれな店が立ち並び、5つ星、4つ星のホテルもある大きな町だったのには驚いた。

サン・ジョルジョ大聖堂

 それでも、ラグーザ・インフェリオーレ(下ラグーザ)とも呼ばれるラグーザ・イーブラには古い町並みが残り、迷路のような道が続く。
 そして、上ラグーザとラグーザ・イーブラのそれぞれから見たお互いの町の風景が魅力的。これぞ、丘上都市の見本といってもいいほどである。

 初日の11月28日に散歩したときは小雨模様だったが、29日の午前中は晴れ。息を切らしながら、急な坂道と階段を昇り降りしたのであった。
 そして、ラグーザ・イーブラの奥には、昨年修復が終わったサンジョルジョ大聖堂がそびえている。その偉容を目の当たりにして、足の疲れもどこかに飛んでしまったように感じられた。

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