« 2007年10月 | トップページ | 2007年12月 »

2007年11月の5件の記事

2007-11-29

神殿もいいけれど・アグリジェント

 アグリジェントにやってきたのは、なんと25年ぶりである。当時は、夜行列車の連続でシチリアを駆け抜けたので、頭がぼんやりしていたらしく、どこでどう動いたのかあまり記憶がない。

アテネ通りの夕景

 ギリシャ神殿の跡を見てまわったのは確かであるが、それよりも印象的だったのは、そこから見えた丘の上に、家々がびっしりと並んだ市街地の光景だった。
 しかし、市街地を見るゆとりもなく、急ぎ足で町をあとにしてしまった。それがずっと心残りだったのである。

 そんなトラウマがあるものだから、今回は駅前のホテルに泊まり、ゆっくりと市街を見物することにした。メインストリートのアテネ通りを初めとして、この町にはギリシャ語に由来した通りの名や教会、店名が多い。
 アラブの雰囲気を色濃く残しているパレルモとは、また違った、どこかゆったりとした雰囲気の町である。

アテネ通りの夕景

 丘の上にある町からは、遠くにギリシャ神殿が見渡せ、さらにその向こうに海が見える。
 駅前が工事中で落ち着かないのはいま一つだが、ここで2泊して、まあまあのんびりとした時間を過ごすことができた

2007-11-28

カターニャの「象の像」

 カターニャには5年前に訪れたのだが、あまりいい印象はなかった。すすけたような埃っぽい町、駅内にあるインフォメーションの姉ちゃんの応対の悪さ、ホテルの設備の悪さ、ふっかけてくるタクシー運転手などなど、かつてのイタリアの悪いところを凝縮したような町であった。もっとも、観光客に媚びないその態度には、すがすがしささえ感じたものであった。

象の噴水

 そんななかで印象に残ったのは、ドゥオーモ前広場にある「象の噴水」。噴水の中央上に「象の像」があり、その背から伸びる細い塔の先には十字架が据えられている。
「なぜ、象?」
 そう思うのと同時に、夕刻になってその周囲に集まる、膨大な数のおやじ軍団に驚いた。おやじ軍団はどの町にいるのだが、なぜかこの町のおやじは眼光鋭い人が多かった……ように感じられた。そんな人たちと、象のコントラストがあまりにもユーモラスだったのである。

 前回はおやじの眼光に圧倒されて、いい写真が撮れずにいたのだが、今回はゆっくり象を撮ることができた。妻も義母も、その可愛らしい姿に感動してくれたようだ。

「なんで、象なの?」
 ドゥオーモ近くにある星3のホテルのフロントで尋ねると、お兄さんが教えてくれた。
「ずっーと昔に、カターニャに本当に象を連れてきたらしいんだよ。市民の人気者だったんだけど、死んじゃってね。そこで、いつまでも象にいてほしいということで像をつくったということらしい」
「ずっーと昔って、いつごろ?」
「さあ、1400年代とか、そのころかなあ」

カターニャ市内にて

 市の紋章にも、サッカーチームの旗にも象が描かれていて、みんなに親しまれているようだ。
 カターニャの印象がちょっと変わった、今回の旅である。

 25日にカターニャ空港で妻と義母を見送り、例によって今年もこれから一人旅の始まりである。

2007-11-26

「あの」階段の町・カルタジローネ

 パレルモからパスで約3時間。やってきたのは南東部の山の中にある丘上都市、カルタジローネである。陶器がはめ込まれた階段が有名で、世界遺産になったものだから日本からのツアーも多いらしい。
 パレルモからの直通便も最近になって新設されたそうだ。それにしても、SAIS社のバスは噂に違わず、南イタリアにしては珍しく発車時間が異様に正確である。
 発車10分前に検札があり、5分前に運転手が乗り込み、1分前にエンジンをかけて、定刻に発車するという驚きの体験をした。

カルタジローネのザ・階段

 すっかり有名になったカルタジローネの階段は、全部で142段。
「町は坂ばかりですよ」「階段が急ですよ」と義母に吹き込んでいたので、現物を目にするまでは羽黒山か山寺のような恐ろしい階段を連想していたそうだ。
「なあんだ。これなら3回くらい昇り降りできるわぁ」とご機嫌であった。

 あちこちの店に入って、あれこれと陶器を買い込み、これまたこの町で有名なプレゼーペ(クリスマスのミニチュア)を見て過ごすことになった。
 クリスマスに来れば、階段がきれいなイルミネーションになるのだが、そのときは観光客でずいぶん混雑するそうだ。
 その反動で、11月下旬の今は観光客もまばら。階段に日の当たる午前中には、人っ子一人いな階段で貸し切り状態だった。われわれ3人は写真を撮ったりして過ごしたのである。

旧市街遠景

 昼過ぎには一人で町の外周を一周して、丘上都市であることを再認識したのだが、もう一つわかったことがあった。
「あの階段がなければ、陶器で有名なただのシチリアの山の町だったに違いない」ということである。

2007-11-24

パレルモ・眺めのいいテラス

 旧市街のビルにあるホテルなんて、古くさくて狭苦しいという印象があったのだが、最近のイタリアはだいぶ事情が変わってきたようだ。

 パレルモのこのホテルは、三つ星ながら部屋は新しく、LAN回線がつながり、フロントの若い人もきびきびして気持ちがいい。
 そして、何よりも朝食会場のこのテラスからの眺めが絶品である。
 難はエレベーターが狭いことだが、それは古い建物ゆえ、しかたがないことだ。

ホテルのテラス

 23日は王宮にツアコン。パラティーナ礼拝堂が修復中だったのは超ショックである。個人的には5年前に見たのだが、あのキンキラキンのモザイクを同行者に見せてあげたかった。まあ、隙間からちょっとは見えたけどね。
 フェデリーコ2世の柩はどこかにしまわれたのか、見当たらなかった。

 王宮ではシチリア在住のおじい・おばあの団体と約30分の王宮内ツアー。
 英語のツアーまでは20分かかるというので、イタリア語のツアーに参加したのだが、さすがにイタリア人に説明するスピードと語彙はキビしい。
 それでも、王宮を出るころには、おじい・おばあたちと親しくなった私たちである。

シチリアの湘南・チェファルー

 今年のイタリア旅行はシチリアが目的地。3年連続のカラーブリアからやや方向転換……いや、方向は南イタリアということでと同じか。
 最初の数日は昨年と同様にツアコン兼通訳。妻と義母を率いて、パレルモからカターニャに抜ける予定である。その後は、一人でぶらぶらとシチリアからカラーブリアを抜けてローマまで行こうと思っている。

 出発当日の21日は成田空港に向かう京成が一時不通になり、スカライナーが運休になってアセったが、なんとかアリタリアのミラノ行きに搭乗。ミラノからのパレルモ接続便も40分ほど遅れ、市内中心のホテルに到着したのは午前1時近くであった。

チェファルー旧市街遠景

 翌日は、パレルモの東にあるチェファルーをぶらぶら。列車で50分の距離にあるこの町は、海岸沿いにあるこぢんまりとした町で、夏は行楽客で大賑わいだそうだ。
 天気もよく、気温も最高で20度ほど。それなりに観光客もいて、ほどほどの賑わいはいい感じである。いくらへそ曲がりな私としても、寒くてまったく観光客がいないのも寂しく思う……ときがある。
 デンマークナンバーのキャンピングカーで来ていたお父さんが、海水浴をしていたっけ。

 まあ、パレルモ市民としては湘南か鎌倉に行く気分なのかな。
 背後に控える岩山がアクセントの町で、アラブ・ノルマン様式のドゥオーモも見事である。

 3人で海岸を散歩して写真を撮っていたら、ボンネットにオレンジを積んだ車があった。おじさんが呼び止めるから、てっきりオレンジを買えというのかと思ったら、一緒に記念写真を撮ろうという。
 どんな展開になるのかと思っていると、「写真をぜひ送ってくれ」といって住所を書いてわたす。
 ふうんと思っていると、連れのやや中年男性が、これまで撮った記念写真の数々を見せてくれた。
 どうやら、旅行者と記念写真を撮るのが趣味らしい。ドイツ人やアメリカ人とおぼしき人が多く、相手は男でも女でも、複数でも一人でもいいようだ。
「日本人と撮ったことはある?」
「ない。初めてだよ。絶対に送ってくれよ」
「あい、わかった。たしかに」
 そう答えると、両手にいっぱいのオレンジをくれたおじさんである。

チェファルーの黒猫


 道々、おじさんの趣味が話題になったのは言うまでもない。
「商売しているんじゃないのかなあ」
「もう年金をもらっているから、道楽で写真を撮っているんじゃないの。家になっていたオレンジをダシにして」
「いや、道端で途中でもいできたのかもよ」
「年金仲間に写真を見せて自慢してるのかもね」

 チェファルーからの帰りの列車は1時間40分遅れてやってきた。

« 2007年10月 | トップページ | 2007年12月 »

著書

  • 社会人に絶対必要な語彙力が身につく本[ペンネーム](だいわ文庫)
  • 『ようこそシベリア鉄道へ』(天夢人)
  • 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)
無料ブログはココログ

.